7:額縁に入れる絵
日差しも強くなり暑い日々が続くある日。シムヌテイ骨董店ではよく冷房を効かせて、お客さんが来るのを待っていた。
レジカウンターの上に置かれた、小さなかき氷器。その下にはタオルが敷かれていて、水滴がカウンターを濡らさないようになっている。いつものマグカップにかき氷を作り、みかんの缶詰の身とシロップをかけて、真利が食べている。使っているスプーンは、金色のメッキがまだらになっている、見るからに古そうなものだ。
「……こう暑いと、たまらないね」
シロップと氷とが混じった物をスプーンですくいながら、ぽつりと呟く。この暑い中、もうすぐ夏休みだからと言って、嬉しそうに理恵と木更がやって来て、帰っていったのは先程のことだ。
もうすぐ閉店時間だ。レジカウンターの上に置かれた金属製の置き時計を見て、溶けかけたかき氷を一気に呷る。スプーンをカップに入れ、それをカウンターの上に置き、店を閉める準備をするかと言ったその時、扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
そう言って入り口の方を向くと、入ってきたのは会津木綿で出来た細身のワンピースを着て、柔らかいピンク色の髪を三つ編みにして肩から垂らしている女性だった。
入ってきてすぐは厳しい表情をして居た彼女だけれども、中に入って置かれている物を見た途端、ふわりと優しい表情になった。
茶ずんだプレパラートや、染みの付いた博物画、それに天球儀やジャンクの古いカメラを見て、ぽつりと呟く。
「なるほど、あの子が好きそうなお店ね」
もしかして、常連の誰かの知り合いなのだろうか。真利はそう思ったが、彼女が真剣に品物を見ているので、今は声を掛けるべきでは無いと判断する。
ふと、彼女が足下を見た。棚の下に、古い額縁を沢山立てかけた箱が置いてあるのだ。
彼女はしゃがみ込み、額縁をひとつずつ丁寧に見ている。時折、気になる物が有るのか箱から取り出して裏まできちんと見たりもしている。
そして、ボルドーの塗装が所々剥げている、木製の額縁を持って立ち上がった。
「すいません、こちらをいただきたいのですが」
「かしこまりました。ご自宅用ですか?」
「そうですね、自宅用です」
その額縁には、絵や写真は填め込まれていない。クラフト紙で額縁をラッピングしながら、真利が訊ねる。
「この額縁には、写真をお入れになるんですか?」
すると彼女は困ったような照れたような、そんな顔をして答えた。
「えっと、私が学生時代に描いた小さな絵を入れようと思って」
「なるほど、自作の絵ですか。素敵ですね。
絵の学校に通われていたとかですか?」
「はい。大学が美大で、それで絵を描いたりしていたんです」
「美大ですか。なかなか大変と聞きますが、絵を描くのは、楽しいですか?」
真利は、絵を見るのは好きだけれども自分で描くことは出来ない。だから、絵を描くのが楽しいのかどうかが、気になった。
「そうですね、私の専攻は彫塑で、主に塑像を作っていたのですけど、デッサンもしなくてはいけなかったですから。
デッサンもそれ以外の絵も、描くのは楽しかったですね」
ふと、彼女の話が過去形な事に真利が気づく。
「今は、絵を描かれないのですか?」
クラフト紙で包んだ額縁に、『C』の文字が入った封蝋風のシールを貼りながら、訊ねる。すると彼女は、口元を引き締めて答えた。
「はい、今は軍に所属しているので、絵は描きません」
「軍にお勤めなんですか」
真利達が住む大日本帝國には、陸軍・海軍・空軍が有るはずだけれども、彼女が勤めるのは一体どこなのだろう。いずれにせよ、厳しい訓練がある職場には変わりがない。
きっと彼女は、忙しい日常の中の貴重な休日を、ここに来る為に割いてくれたのだろう。もうすぐ閉店時間だけれども、真利は彼女に言う。
「もしこの後お時間が大丈夫なようでしたら、少しかき氷でも食べていきませんか?
小さい物ですけれども、お作りしますよ」
彼女は、にこりと笑って答える。
「いえ、余り遅くまでお邪魔するのも悪いので、ご遠慮します。
もうすぐ、閉店時間なのでしょう?」
その視線は、レジカウンターの上に置かれた時計に向けられていた。
お客さんに気を遣わせてしまったと申し訳なく思いながら、真利は額縁を彼女に差し出す。
「そうですか。それでは、こちらがお品物になります。
もしよろしければ、またお立ち寄り下さい」
「はい。ここは面白い物が沢山有るので、またお邪魔したいです。
それでは、失礼します」
そう言って彼女は、シムヌテイ骨董店から出て行った。
そろそろ店じまいだなと、真利も入り口の扉を開いて、『OPEN』と書かれた札をひっくり返し、『CLOSE』の面を表にした。