69:実りの時
夏は過ぎたけれども残暑が厳しいこの頃。この日は曇りで日光が遮られ、少しだけ過ごしやすかった。今日もレジカウンターの上には氷を詰めた器と、氷に刺さった二本のカネット瓶がある。いつもの指定席に座った真利は、カネット瓶を一本引き抜いて、クリスタルガラスのタンブラーにお茶を注いだ。今日のお茶は、リンゴと草が混じったような香りがする、蜂蜜色のお茶だ。そっと口に含んで飲み込むと、心なしか落ち着く気がした。
「プラシーボ効果というのも、なかなか馬鹿に出来ないねぇ」
このお茶は心を落ちる貸せてくれる効果があると、何処かで聞いたことが有る。美味しいお茶を飲むと大体の場合は落ち着くような気がするのだが、このタンブラーの中で揺れているカモミールと言うハーブのお茶は、カフェインが入っていないので眠る前に飲むのにも良さそうだった。
お茶を飲みながらゆったりと時間を過ごす。そうしていると、入り口の扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
そう声を掛けてどんなお客さんが来たかを見ると、単の着物に袴姿の男性だ。後ろからは首に風呂敷を巻いた柴犬が覗いている。
「お久しぶりです、真利さん」
「悠希さんもお久しぶりです。外は暑いでしょう。どうぞ中へ。
鎌谷君もどうぞ」
真利の言葉に、悠希は少し大きめに入り口を開き、中に鎌谷を入れ、静かに扉を閉めた。鎌谷はそのまま入り口の側に置かれたルタの鉢植えに近づき、澄ました顔で座った。
「鎌谷君は、いつも大人しいですね」
くすりと笑ってそう言う真利に、何故か悠希はぎこちない顔をする。
「そうですね、割とこういう所では大人しくしてくれます」
「おや、普段はやんちゃなのですか?」
「やんちゃというか、そうですね」
ぎこちなく笑って居る悠希を見て不思議に思った真利が鎌谷を見る。やはり澄ました顔で鉢植えの側に座り、良い子にしていた。
「そう言えば、お土産を持って来ているんです。良かったら林檎さんと召し上がって下さい」
悠希が思い出したようにそう言い、手に持っていた紙袋を真利に手渡す。その紙袋の中を覗くと、微かに香ばしい匂いがした。
「美味しそうな香りがしますね。焼き菓子のようですが」
「はい。錦糸町に寄って、クッキーを少し買ってきたんです」
「そうなのですね。それでは、これから林檎さんも呼んでみんなでお茶でも如何ですか?」
真利の提案に、悠希はにこりと笑う。悠希は普段食が細いようなのだが、こう言ったお茶会は好きなのだろう。真利はクッキーが入った袋をレジカウンターに置き、バックヤードからスツールをひとつと、カウンターの裏から木製の折りたたみ椅子を出して、林檎を呼びに行った。
「うふふ、このレモンのクッキー好きなのよね」
真利と、悠希と、林檎の三人で、冷たいカモミールティーを飲みながらクッキーを囓る。どうやら林檎もこのクッキーが好きらしく、偶に買いに行っているようだ。
「この、ゴマのクッキーも美味しいですね。悠希さんと林檎さんがお勧めする理由がよくわかります」
クッキーを囓ると軽やかな歯ごたえで、甘みと香ばしさが口の中に広がる。どことなく安心する、素朴な味だ。昔はこのクッキーを売っている店にチーズのクッキーがあって、それがとても美味しかったと林檎が言うけれども、悠希はそれを知らないようだ。それもその筈。林檎も一回か二回くらいしかお目にかかったことが無い様な、古いメニューなのだという。
「そうなんですね。チーズクッキーも食べてみたかったなぁ」
ぽつりとそう言う悠希に、林檎がにこりと笑って言う。
「悠希さんが自分から何か食べたいって言うなんて、珍しいですね」
「あ、確かにそうかも」
三人でくすくすと笑って、それから、悠希が思い出したように切り出した。
「そう言えば、真利さんと林檎さんに報告したいことがあって」
「報告したいこと、ですか?」
「あら、何かしら」
不思議そうな顔をするふたりに、悠希がにこりと笑って言う。
「僕、今度小説家としてデビューすることになったんです。
それをおふたりに伝えたくて」
この言葉に、真利も林檎も驚きを隠せない。
「えっ、あの、悠希さんって、小説を書いてたの?」
戸惑うような林檎の言葉に、悠希がはっとする。
「あっ、そう言えば、小説書いて投稿してるって言う話、したこと無かったですね。
実は結構長い間小説大賞とかの賞金で生活してて、やっとという感じです」
「えっと、そうですね。その情報は今初めて伺いました」
今まで悠希がどんな仕事をして居たのかというのを訊いたことは無かったが、そもそも真利も林檎も相手の職業を訊ねると言うことは余りしない。それに重ねて、悠希は誰に何をどこまで話したのかと言うことを把握するのが苦手なので、こう言った情報の食い違いが出て来てしまったのだ。
だけれども。
「初めて聞きましたけど、おめでとうございます」
「これからが大変だと思いますが、無理をしない程度に頑張ってくださいね」
林檎も真利も、悠希の努力が実ったことを祝福する。
「ありがとうございます。これからまた、頑張ります」
照れたように笑う悠希は嬉しそうで、誇らしそうで。これからの道のりはきっと楽なだけでは無いのだろうけれども、今まで努力を重ね続けてこられた彼なら、きっと上手くやるだろうと真利も林檎も思った。




