61:宝石を食む
年も明け、冷たい空気の中で吐く息が白くなる頃。真利は仕入れのための旅行から帰ってきて、暫く経っていた。そう言えば、まだ初詣には行っていないけれども、そもそも神社にはあまり積極的に行く質では無いので、また何かの折に何処かの神社の近くへ行ったら、その時に神様に挨拶をしよう。そうぼんやりと思っていた。
店の中央に置かれただるまストーブの上には鍋が置かれ、ホットワインが芳醇な香りを放っていた。シナモンと、ジンジャーと、オレンジと。いつも通りのホットワインの香りに、少し物足りなさを感じた真利は、レジカウンターの引き出しの中に入れてある小さな遮光瓶を取り出した。遮光瓶の蓋を開け、鍋の上でゆっくりと傾ける。ひとしずく液が落ちると、華やかな薔薇の香りが広がった。
「ふふっ、やはり良い物をいただきましたねぇ」
遮光瓶の蓋をしっかりと閉め、また引き出しの中へと戻す。そうしてから、おたまで鍋の中を一混ぜした。
いつものチャイナボーンのカップに、熱いワインを注ぐ。香りを聞いて口を付けようとしたその時、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
声を掛けて入ってきたお客さんを見ると、黒いコートを着込み、赤いマフラーを首に巻いた男性が立っていた。
「真利さん、お久しぶりです」
「お久しぶりです、恵さん。今日はおひとりですか?」
「はい。偶にはひとりで来ようと思って」
いつも、ハルか緑のどちらかと来ていた恵がひとりで来たのには驚いたけれども、都合が付く時ばかりでは無いのはわかる。それよりも、ひとりでも来てみたいと思ってくれたことが嬉しかった。
恵が、棚の上に置かれたプレパラートを眺める。あのプレパラートも、長いこと追加で仕入れていないけれども、だいぶ数が減った。プレパラートを見た後は、星座早見盤に目をやる。前から有る物や、新しく仕入れた物。色々有るけれど、恵は、黒っぽい地に白抜きで星が描かれ、金の箔押しで彩られている物をまじまじと見ている。それを少し手前に置いた後、棚に立てられている古書を手に取った。なめし、赤く着色され、金色の箔でタイトルと枠が押されたその本は、余り有名では無いフランスの小説だ。
星座早見盤と赤い古書、両方を手に持って恵が訊ねる。
「このふたつで、いくらになりますか?」
「そちらですか? 少々お待ちください」
真利は倚子から立ち上がり、電卓に金額を打ち込んで提示する。それを見て、恵は手元のふたつをもう一度見て、真利に言った。
「では、このふたつをいただきます。プレゼント用なので、ラッピングもお願いしたいのですが」
「かしこまりました。どの様になさいますか?」
「宅配便で送るので、箱に入っていると助かります」
「はい。ではその様にいたします」
先に会計を済ませ、真利はレジカウンターの引き出しから、クラフト紙で出来た組み立て式の箱を取り出す。その中に生成りのペーパークッションを薄く敷き、古書を中央に入れる。それから、空いた隙間にまたペーパークッションをぎゅうと詰め込み、上に星座早見盤を乗せた。その上に、箱よりも一廻り小さいワックスペーパーを乗せ箱の蓋を閉める。蓋の開け口には、『C』の文字が入った封蝋風のシールを貼った。
「お待たせいたしました。こちらは送る際、紙袋か何かに入れておくと安心かと思います」
「はい、ありがとうございます」
箱を赤い紙袋に入れ、恵に渡す。それから、にこりと笑ってこう言った。
「ところで、折角いらしたのですし、ホットワインを一杯如何ですか?」
すると、恵もにこりと笑ってこう言った。
「実は、それも期待していたので、お土産を持って来ているんです」
「お土産ですか、ありがとうございます。
何を持ってきてくださったのでしょうか」
真利がそう訊ねると、恵は持っていた鞄から、口を金色のワイヤータイで閉じた透明な袋を取り出す。その中には歪な形の、蒼い宝石のような物が入っていた。恵はそれを真利に差し出して言う。
「琥珀糖を作ったんです。ワインに合わせても良いかなと、思ったんですよね」
「琥珀糖ですか。随分ときれいですね。
それでは、こちらと一緒にホットワインを味わいましょうか」
琥珀糖を受け取り、レジカウンターの裏から木製の折りたたみ椅子を出して広げる。それを恵に勧めてから、真利は棚から白いココットをふたつと、ワイルドストロベリーの柄が描かれたカップを取りだした。ココットの中に、小さなトングを使って琥珀糖を二個ずつ入れる。ココットを片方恵に渡し、カップにホットワインをおたまで注いで、それも渡した。真利もココットとカップを手に持って椅子に座り、ワインをひとくち含む。
「このホットワインは、花の香りがしますが」
恵が不思議そうに言うので、真利はくすりと笑って答える。
「実は、去年ハルさんから薔薇の香油をいただきまして、それを入れたんです。良い香りでしょう?」
「ああ、なるほど」
納得した様子の恵が、ふと思いついたように言う。
「こんなに甘い香りのワインなら、もっと甘くしても良さそうですね。琥珀糖を入れてみますか?」
それを聞いて、真利は琥珀糖をひとつ指でつまみ、光に透かす。
「ふふっ、こんなに宝石みたいできれいな物を入れるのですか、夢が有って良いですね」
「そうでしょう?」
ふたりで悪戯っぽく笑って、お互い青い宝石をホットワインに落とす。赤の中に沈んだ宝石は、透き通って瑞々しかった。




