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シムヌテイ骨董店  作者: 藤和
2008年
54/75

54:雨が降る日に

 梅雨に入ってしばらくした頃、この日はどんよりと曇り、肌寒かった。しとしとと雨が降る中、シムヌテイ骨董店の店内では、真利が膝を抱えて、いつもの倚子の上に座っていた。一生懸命に唇を噛みしめ、声を堪えている。視線の先には、一匹のナメクジがぬらりと動いていた。

 真利はナメクジが苦手だ。いつもなら大声で隣のとわ骨董店に声を掛け、林檎に助けを求める所なのだが、生憎今、林檎は仕入れのために店を空けているところだ。今まで、林檎が居ない時に店にナメクジが入ってきたことは無かったので、自分ひとりでどうやってナメクジを追い払えば良いのかがわからなかった。

 誰かお客さんが来てくれれば、その人になんとかして貰えるかも知れないけれど、お客さんにそんな事を頼んでしまって良いのか。早く誰かが来て欲しいような、誰も来ないで欲しいような、そんな事をずっと考えていた。

 そうしていたら、店の扉が開いた。


「あっ、い、いらっしゃいませ」


 震える声で挨拶をすると、入ってきたのは星座の模様が入った傘を畳んでいる、背の低い男性。驚いた顔をしながら、傘立てに傘を立てて真利に声を掛けた。


「真利さん……何か、あったんですか……?」


 倚子の上で膝を抱えている真利を見て、事情が飲み込めないと行った様子だ。その彼に、真利が返事を返す。


「お久しぶりです都さん。

実はあの、そこにナメクジが居て、怖くて動けないんです……」


 お客さんにこんな姿を見られるのは恥ずかしいけれど、背に腹は代えられない。事情を話し、ナメクジをなんとかして欲しいと都に頼み込む。すると都は、きょとんとして、鞄の中からポケットティッシュを取りだした。


「なるほど……そう言う事でしたか」


 ティッシュを二枚ほど取りだし重ね、四つ折りにする。それを手に持って、都はナメクジをつまみ上げた。


「……外に出してきます」


 そう言って、都は店のドアを開けて外に出る。少し離れた所で屈んで手を地面に当てているので、そこでナメクジを逃がしているのだろう。都がそうしている間に、真利は急いでレジカウンターの裏にある床用ワイパーにクリーニングシートを挟み、ナメクジが残した粘液の跡を拭き取った。

 都が店内に戻ってくると、外に出ている間に雨に打たれていたので、髪と服がしっとりと湿っていた。


「ありがとうございます、助かりました。

今、タオルをご用意しますね」


 そう言って、真利はバックヤードから焦げ茶色のハンドタオルを出してくる。それを都に渡すと、都はにこりと笑って受け取った。


「ありがとうございます……それで、このティッシュを処分して欲しいのですが」

「はい、かしこまりました」


 タオルと引き替えに、先程ナメクジをつまんでいたティッシュを真利に差し出す。少しナメクジの粘液で湿っていたので触るのが怖かったけれども、いつまでも都に持たせて置くわけにも行かないと、真利はティッシュを手に取る。

 都が、頭と服を拭いている間に、ティッシュをレジカウンターの下に置いているゴミ箱に捨てる。それから、拭き終わったハンドタオルを受け取った。

 いつも座って居る赤い倚子に立てかけたままだった床用ワイパーをレジカウンターの裏に戻し、ハンドタオルをバックヤードへと置きに行く。その間に、都は店内を見て回っていた。

 真利が店内に戻ってくると、都は棚の上に乗った布張りのトレイ、更にその中に置かれたコスチュームジュエリーを眺めていた。今日はアクセサリーを探しに来たのだろうか。そう思いながら、真利は都の様子をそっと窺う。

 ふと、都が口を開いた。


「指輪は、他にはありませんか?」


 はっきりとした口調で言われたその言葉に、きっと特別な理由が有って指輪を探しているのだろうと真利は察する。


「奥にまだ在庫がございます。お出ししましょうか?」

「はい……お願いします……」


 真利はまたバックヤードへと入り、積んであるコンテナの中から、焼いて模様が付けられている木の箱を取り出す。その中には、ひとつずつ丁寧にビニール袋に入れられた指輪がいくつも入っていた。それを店内に持っていき、袋から出して都の前にひとつずつ並べていく。


「古い物ですので号数はまちまちですが、珍しいデザインの物も沢山ございますよ」


 出された指輪を見て、都が訊ねる。


「……実は魔除けとして指輪が欲しいのですが、どう言った物が良いでしょうか……」

「魔除け、でございますか?」


 一瞬どう言った意味だろうと思ったけれども、すぐに思いついた。異性からのいらない誘いを、断りやすくする口実が欲しいのだろう。

 真利は、都から詳しく話を聞く。


「かしこまりました。サイズはどれくらいでしょうか?」

「そうですね……九号です……」

「なるほど」


 サイズを聞き、棚の引き出しを開け、中から先細りになっている棒を出す。その棒には一定間隔で溝が掘られており、数字が振られている。その棒に、真利はひとつの指輪を填める。『9』と書かれた溝の所で、指輪はぴたりと止まった。

 その指輪を都に差し出して言う。


「こちらのエタニティリングは如何でしょうか。スターリングシルバーで出来ていますし、あしらわれているラインストーンもクリアカラーですので、魔除けに良いと思います」


 差し出された指輪を手に取り、都がまじまじと見つめる。それから、何かに思いを巡らせるような顔をしてから、ふわりと微笑んだ。


「では……こちらをいただきます。

ラッピングは、余り派手でないように……」

「かしこまりました。では、先にお会計を失礼します」


 都をレジに通し、電卓に金額を打ち込み、提示する。会計を済ませ、真利はレジカウンターの引き出しの中から、小さな黒い箱を取り出した。その箱の蓋を開けると中には布の張られたクッションが入っていて、指輪を入れられるようになっている。クッションに指輪を填めて蓋を閉め、同じように引き出しの中から出した薄いクラフト紙で、キャンディのように包んだ。ねじった両側に紙紐を結び、片方に鍵の絵が描かれたペーパタグを括り付ける。これでラッピングは完了だ。


「お待たせ致しました。こちらでよろしいですか?」

「……はい、ありがとうございます……」


 包まれた指輪を手に取って微笑む都に、真利が続けて声を掛ける。


「ところで、先程ナメクジから助けていただいたお礼に、お茶を一杯と思うのですが、如何ですか?」


 すると、先程のことを思い出したのか、都がくすりと笑う。


「それじゃあ……お言葉に甘えて」

「はい、少々お待ちください」


 折りたたみ式の木の倚子を出し、都に勧め、どのお茶を淹れようかと、真利は棚の中を眺めた。

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