53:歌えヒバリ
新緑が眩しいこの季節。少し汗ばむ陽気の日も有る頃。この日は快晴で、空を飛ぶ鳥もよく見えた。
シムヌテイ骨董店では、今日も温かいお茶を飲みながら、店主の真利が椅子に座ってのんびりしている。
「今日は、良い天気だなぁ」
店内から外の青空が見えるわけでは無いけれど、ふわりと絡みつく温かい空気が、外の陽気を物語っていた。お茶が入っていたカップも空になり、それをレジカウンターの上に置く。余りにも空気が心地よくて、だんだん瞼が重くなってくる。うとうとして、頭が傾く。暫くそうしていると、瞼に光が差した。
「いらっしゃいませ」
慌てて目を開き挨拶をすると、扉にはくすくすと笑う林檎が立っていた。
「もう、真利さんってば居眠りしちゃって。確かに、今日は眠くなる陽気だけど」
林檎の言葉に、真利は苦笑いを返す。心なしか、顔が熱い。
「申し訳ありません。ところで、何かご用ですか?」
そう訊ねると、林檎が言うにはこういうことだった。
「今、緑さんが来てるんだけど、お土産に芋ようかんを買ってきてくれたのよ。
それで、余り賞味期限も長くないし、真利さんも一緒にどうかなって」
「そうなんですね。では、お言葉に甘えて」
丁度お茶も無くなったことだしと、真利は林檎の誘いに乗り、隣のとわ骨董店にお邪魔することにした。
「どうも、お久しぶりです」
とわ骨董店に入ってそう迎えてくれたのは、磁器のカップを手に持ち、オペラが印象的な髪にヘアピンを着けている男性。
「緑さんも、お久しぶりです」
真利と緑が挨拶をしてる間に、林檎がバックヤードからスツールを一つ出し、棚から出した磁器のカップにお茶を注ぐ。スツールとカップを真利に勧めて、林檎はレジカウンターの上に置かれた紙箱を持って、こう言った。
「それじゃあ、早速芋ようかんをいただきますか。
今からご用意しますね」
箱を持ってバックヤードに入った林檎をしばらく待っていると、お盆の上に、お皿を三枚乗せて戻ってきた。お皿の上には、黄色い芋ようかんと、鉄製のフォークが乗せられている。
「お待たせしました。どうぞ」
林檎がお皿を緑と真利に渡し、自分の分を手に持っていつもの椅子に座った。それから、みんなでいただきますをして芋ようかんを食べ始めた。その芋ようかんは、本当に薩摩芋の味がして、なめらかな舌触りだった。
「随分と美味しい芋ようかんですね。どこでお買い求めになったのですか?」
驚いたように真利がそう訊ねると、緑が嬉しそうに答える。
「浅草に本店がある所です。俺、昔からここの芋ようかんが大好きなんですよ」
緑の言葉を聞いて、林檎は納得した顔になる。
「なるほど、確かにこの芋ようかん、美味しいですもんね」
しばらく三人で芋ようかんを食べていると、無意識なのか、緑が鼻歌を歌い出した。それを聞いて、林檎が訊ねる。
「あら、緑さんは歌がお好きですか?」
その言葉で、自分が鼻歌を歌っていたことに気づいたようで、緑が照れたような顔をする。
「そうですね、歌は好きです。中学生の時、合唱部もやってましたし」
緑の言葉に、真利が悪戯っぽく笑って言う。
「歌っているのを聴きたいと言ったら、どうします?」
もちろん、その言葉は冗談半分だ。だけれども、緑はにこにこして答える。
「もちろん、希望があれば歌いますよ」
緑の返事に、林檎が楽しみといった様子で言う。
「それじゃあ、一曲お願いできるかしら?」
「もちろん、良いですよ。真利さんはどうですか?」
「それじゃあ、僕も一曲お聴きしたいですね」
林檎と真利、ふたりの言葉を聞いて、緑はカップとお皿をレジカウンターの上に乗せ、お腹の上で手の指を組み、すぅっと息を吸う。それから、口を開いた。
その歌声は、余りにも煌めいていて、甘く、到底この世の物とは思えなかった。恍惚を誘うその声が、天使の仕業に悩む乙女の物語を歌っていることに、ふたりともしばらく気がつかなかった。
短い歌が終わり、緑が照れたように笑う。
「どうでした? 最近あんま練習してないんで、もしかしたらお聞き苦しいところがあったかもですけど」
話しかけられて、ようやく真利と林檎は正気に戻る。
「随分とお上手なんですね。もしかして、音楽の学校に通ってらっしゃったとか?」
林檎がそう訊ねると、緑がこう答える。
「いえ、学校は美術系です。音楽科に入り直せって言われたことは有りますけど」
それもそうだろう。と、真利と林檎は思う。もし緑が音楽の道に進んでいたとしたら、今頃どうなっていたのだろうか。たらればの話は無駄だと言うのはわかっているけれども、真利はそれが気になった。
真利がにこりと笑って緑に言う。
「こんなに素晴らしい歌が聴けるなんて、嬉しいですね。
もしよろしければ、もう一曲お願いできますか?」
「もちろん、構いませんよ」
嬉しそうに、緑はまた歌い出す。陶酔的なその歌声に、真利も林檎も、心地よく身をゆだねたのだった。




