46:面影を追って
吹く風も涼しくなり、過ごしやすくなった小春日和のこと。シムヌテイ骨董店の中は心地よい空気で満ちていて、赤い別珍張りの椅子に座った真利が、うつらうつらとしている。昨晩、買ったばかりのDVDに夢中になってしまい、つい遅くまで起きてしまったのだ。見ていたのは、映画仕立てになっているオペラで、途中違うディスクに分かれているのにも関わらず四時間ほど見続けてしまった。内容は、とある屋敷のとある一日。結婚式を控えたひと組の男女を巡って、色々な騒動が起きる喜劇だ。印象に残っているのは、恋に悩み切ない胸の内を語るソプラノの歌。あの歌のタイトルは、なんといったっけ。
耳元で微かに歌声が聞こえてくるような心地になりながら、瞼を閉じて暖かな空気に身を任せる。ゆったりと流れる時間。その中で、ほんとうに眠りに落ちてしまう直前に、店の扉が開く音が聞こえた。
「いらっしゃいませ」
慌てて目を開き挨拶をする。扉の方を見ると、膝丈まであるロングジャケットを着た、黒づくめの人物が居た。体は服の上からでもわかるほどに華奢で白く、髪は真っ黒で肩より長く伸ばしている。上質のルビーのような瞳が印象的な整った顔を見るだけでは、男性か女性かを判断することが出来なかった。
その人物は、何も言わずに店内を見て回る。博物画をちらりと見て、プレパラート、星座早見盤、ノベルティカードの上を視線が滑っていく。一瞬ホーリーカードに目を留めたけれども、すぐに反対側の棚に視線を移した。
細かな入れ物に入れられたビーズやモチーフ、カボッションを見て、目を留めたのは布張りのトレイに並べられたコスチュームジュエリー。ネックレスだけでは無く、指輪やブローチ、それにブレスレットもある。
その人は固い靴音を立てて、コスチュームジュエリーの前に立つ。そして、いくつか有るブレスレットを手に取って見てから、真利の方を向いて口を開いた。
「ブレスレットは、ここに有るだけですか?」
男性らしい低い声で言われた問いに、真利は丁寧に答える。
「いえ、もう少し在庫を奥に置いてありますけれど、何かお探しの物がございますか?」
ただ単純に気になっただけなのなら奥から出すだけなのだが、もし何か目的があって訊ねたというのであれば、あらかじめ聞いて持って来た方が効率が良い。
真利の言葉に、男性は手に持ったブレスレットを見つめながら言う。
「こちらのホームページを見て来ました。
モーニングジュエリーで、赤い物と青い物が有るようなので、そちらをいただきたいのですが」
どことなく寂しさを感じさせるその声。けれども真利は、その言葉を聞いて気まずい顔をする。彼が言っているブレスレットというのは、先日悠希が買っていった物だろう。
「申し訳ありません、そちらの品は先日売れてしまいまして」
「……そうですか」
こまめにホームページの在庫表示は修正しているのだけれども、今思い返すとあのブレスレットの表示を変え忘れていた。
無い物を求めてここまで足労させて、このまま返すのも申し訳ない。そう思った真利は。彼にこう声を掛けた。
「お詫びに、お茶でも一杯如何ですか?
お時間が許せばですけれど」
すると彼は、ブレスレットをトレイに戻し、寂しそうに笑って答える。
「それでは、一杯いただきます」
「かしこまりました。こちらにお掛けになってお待ちください」
真利はレジカウンターの裏から木製の折りたたみ椅子を出し、広げる。彼が座ってから、こう訊ねた。
「なにか、お茶のご希望はございますか?
紅茶か、緑茶か、中国茶か」
彼は一旦瞼を閉じ、少し考える素振りを見せてから答える。
「では、中国茶を。余り飲む機会が無いので」
「かしこまりました」
真利はティーポットに茶葉を詰め、お湯を注ぐ。今回選んだのは四季春と言う、甘い香りに爽やかな味のお茶だ。
お湯を注いだポットをバックヤードに持っていき、給湯設備でお湯を捨てる。すぐに店内へと戻り、またお湯を注いだ。それから、棚の中から小さな杯と、その倍の高さがある細長い杯を、二セット取り出した。
よく蒸らしたお茶を細長い方の杯に注ぐ。その上に、小さな杯を被せて男性に見せる。
「こちらの使い方はご存じですか?」
真利の問いに、男性は斜め上を見ながら答える。
「ええと、それをひっくり返して、茶托にお茶を移して、聞香杯で香りを聞くんでしたっけ?」
「その通りです。ひっくり返すのは出来ますか?」
「だいぶ前にやったきりで、自信が無いのですが……」
「なるほど。では。こちらでひっくり返しますね」
真利は茶托を被せた聞香杯を片方手に取り、少し大きい身振りでひっくり返す。もう片方も、同様にひっくり返した。
「お待たせ致しました。まずは香りからどうぞ」
空になった聞香杯を、片方男性に手渡す。彼は両手で器を包み、顔に近づけて香りを聞いている。
「随分と、甘い香りですね」
しみじみという彼に、真利も聞香杯で香りを聞きながら返す。
「そうですね、今年四季春は当たり年だったようですから」
十分に香りを堪能してから、彼にお茶で満たされた茶托を渡す。真利も茶托を持って椅子に座り、口に含む。青い味がしたけれども、喉を通った後には甘みが残った。
お互い器を空にして、真利が二杯目を注ぐ。その時に、彼に訊ねた。
「ところで、今回お探しだったあのブレスレットをお気に召したきっかけというのは、ございますか?」
もし何か気に入ったきっかけが有るのであれば、それを聞いて今後の仕入れの参考にしたい。そう思って訊ねたのだけれども、予想外の答えが返ってきた。
「あのブレスレットは、大切な人の遺品なんです」
「遺品、ですか」
アンティークというのは、古い物だ。誰かの遺品で有ると言うことは珍しくも無いだろう。だけれども、大切な人が持っていた物を探している人の元に届けられなかったのは、少しだけ心が痛んだ。




