表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
シムヌテイ骨董店  作者: 藤和
2007年
37/75

37:薄氷の張る頃

 年が明けて暫く経ったある日のこと。海外へ仕入れに出ていた林檎も帰国し、いつも通りの平穏な日々を過ごしていた。

 シムヌテイ骨董店では、冬から春の間、店の外に置いてあるテラコッタの器に水を張り、花を浮かべている。花屋で買ってくる物なので多少季節外れな花のこともあるけれど、心なしか暗く感じる冬の日に華やかさを添えられるのならばと、その様にしている。

 レジカウンターの内側に入り、鋏と水仙を手に持つ。鋏で丁寧にボウルの中へと水仙の花を切り落としていく。冬に咲く花は沢山有るけれども、花束で手に入る花というのは案外少なく、どうしても水仙に偏りがちになってしまう。


「胡蝶蘭や、デンドロビウムも良いと思うけど、蘭は鉢でしか売ってないからねぇ」


 ボウルいっぱいになった水仙を見ながら、ぽつりと真利が呟く。

 いつのことだっただろうか、何処かの植物園に出かけた時、水が張られた器の中に、真っ青な翡翠葛の花が浮いているのを見て、ずっと飽きずに見ていた記憶がある。その時真利はまだ子どもで、どんな物も新鮮な物のように感じられていた。あの翡翠葛の花を思い出すと、思わず笑みがこぼれる。水仙の花を全部切り落とし終わった真利は、ボウルを持って外へ出た。身を切るように冷たい空気の中で、一輪ずつ丁寧に、テラコッタの器に張られた水の上に、水仙の花を浮かべていく。

 寒々しい風と、冷えた水で手がかじかむ。この作業が終わったら、中で温かいホットワインを飲もう。そんな事を考えていると、足音が聞こえてきた。


「あー、真利さんお久しぶりです」


 その声に顔を上げると、すぐそこにダウンコートを着た緑と、スタンドカラーのコートを着た恵が立っていた。


「ああ、緑さんも恵さんもお久しぶりです」

「お久しぶりです。何をなさっているのですか」


 不思議そうに真利が持っているボウルと、テラコッタの器を見ている恵に、簡単に説明をする。


「お店の前を華やかにしようと、毎年寒い時期にはこうやって水にお花を浮かべてるんです。

鉢植えを置いたりお花を生けたりしても良いのでしょうけど、手入れが苦手なので、毎年こうしています」


 それを聞いて恵は納得した様だ。


「確かに、鉢植えを見た目よく保つのは大変ですし、生けるのもバランスが難しいですよね」


 そんな話をして居る間にも水仙の花を浮かべ終える。冷たいボウルを持って、真利が立ち上がる。それから、ふたりに声を掛けた。


「本日は、どちらのお店にご用ですか?」


 ここに居ると言うことは、シムヌテイ骨董店かとわ骨董店のどちらかに用事があるのだろう。そう思った真利に、緑が困ったように笑って答える。


「後で林檎さんの所にも行くけど、まずは真利さんの所ですね。

こいつが仕事でかなり疲れてるみたいだから、気分転換にと思って」

「相変わらず、お仕事が大変なのですね。

ここは寒いでしょう、中へどうぞ。ホットワインもご用意しておりますよ」


 真利が招くように店の扉を開いてそう言うと、緑が嬉しそうな顔をする。


「やった! 有りがたくいただきます」

「お前のその前向きな姿勢、見習いたい」


 些か呆れたように恵はそう言うが、ふたりとも揃って店内へと入っていく。真利も続いて店に入り、扉を閉めた。

 早速、水仙の茎を処理しがてらバックヤードからスツールをふたつ出し、緑と恵に掛けて貰う。そうしてから、真利はレジカウンターの裏に置かれた棚からカップをふたつ出す。ワイルドストロベリーの柄の物と、グリフィンが描かれた物だ。

 真利はだるまストーブの上に置かれたホットワインを、まずはグリフィンが描かれたカップにおたまで注ぎ、緑に渡す。次にワイルドストロベリーの柄のカップにホットワインを注ぎ、恵に渡す。最後に、自分用のチャイナボーンに注ぎ、椅子に座った。

 落ち着いた所で、真利が口を開く。


「所で、恵さんはかなりお忙しいようですけれど、結構勤務時間の長いご職業なのでしょうか。SEとか」


 すると恵が、ひとくちホットワインを飲んで答えた。


「いえ、一応研究職です。仕事が忙しいだけで無く、結構嫌がらせの電話が掛かってくるので、その対応も偶にやらされるのでどうしても気疲れしますね」

「ああ、クレーム対応もなさっているのですか。それは大変ですね」


 シムヌテイ骨董店にはあまりクレーマーと言った感じの人は来ないし、来たとしてもなるべく早めに追い出すようにしてはいるが、それをやりづらい職場となると、気苦労が絶えないだろうと言う事は想像に難くない。

 ふと、緑がにっと笑って恵の頭を撫でる。


「でも、頑張ってんだもんな」

「あ、ああ」


 恵が照れたような顔をしているけれども、こうやって気遣ってくれる友人が居ると言うのは、頼もしいことなのだろう。真利も、にこりと笑って恵に言う。


「どんな研究をなさっているのかは存じませんが、どんな物であっても無駄にはならないと思います。

頑張れ。と言うのは簡単ですが、今日は頑張るためにゆっくりひと休みなさって下さいね」

「はい。ありがとうございます」


 恵も少し気が緩んだような笑みを浮かべる。今日ここに恵を連れてきた緑も、きっと仕事で大変な事はあるのだろう。勿論、ふたりを迎えている真利にだって、大変な事はある。それでもこういうひとときで、お互い少しずつ癒やされることがあるならばと、温かいワインをそっと口にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ