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シムヌテイ骨董店  作者: 藤和
2006年
35/75

35:その名を何とする

 銀杏の葉も色づいた頃、その日はシムヌテイ骨董店で、今年初めてだるまストーブが焚かれた。今月に入って二週間ほど海外へ仕入れに行っていたのだけれども、帰国してみると随分と冷え込むようになっていたので、店が休みの間にだるまストーブを用意して置いたのだ。


「今年も、随分と冷え込むようになったなぁ」


 呟きながら、真利はだるまストーブの上に置かれた鍋を、おたまでかき回す。鍋の中に入っているのは、ミルクティー。少ないお湯で茶葉をに出した物に、たっぷりの牛乳を注いだもの。香り付けに、シナモンとクローブ、カルダモンにブラックペッパー、それにジンジャーを入れてある。

 熱いミルクティーを、いつものカップにおたまで注ぐ。そっと口に含むと、ミルクの甘い香りと紅茶の華やかな香り、それからスパイスの温かい香りが口の中に広がった。

 こういうお茶も、偶には良い物だと思いながら、はたと思いつく。


「林檎さんも呼んで、一緒に飲みましょうかねぇ」


 隣のとわ骨董店では、シムヌテイ骨董店のようにストーブを出すと言う事はして居ない。なので、こう言った煮るタイプの飲み物はなかなか作らないのだ。

 真利は熱いミルクティーが入ったカップをレジカウンターに置き、一旦店の外に出た。


「あらあら、いつもご馳走になっちゃって悪いわねー」


 丁度今の時間、林檎も暇だったらしく、今はシムヌテイ骨董店で木製の折りたたみ椅子に腰掛けてミルクティーを飲んでいる。お茶請けは、林檎が銀座で買ってきたというオランジェットだ。オレンジの輪切りに半分ほどチョコレートがかけられたオランジェットは、甘酸っぱい味で爽やかな香りだった。

 ふたりでお茶請けが乗った小皿を膝の上に乗せ、ミルクティーを楽しむ。

 そうしていると、店の扉が開いた。真利はカップと小皿をレジカウンターに置き、挨拶をする。


「いらっしゃいませ」


 入ってきたのは、かっちりとしたジャケットを着た、背の低い男性。その男性に真利は見覚えが有った。


「お久しぶりです。その後、あのコンパクトはどうなりましたか?」


 その男性は、初めて来たときのような厳しい雰囲気は無く、和やかに真利の言葉に返す。


「はい、喜んで貰えました……知り合いのお店で少し修理して……使ってくれているみたいです」

「喜んでいただけましたか。それはこちらとしても幸いでございます」


 少しのやりとりの後、男性が林檎をちらりと見て訊ねる。


「……失礼ですが、こちらの方は……?」


 その問いに、林檎はにこりと笑って答える。


「隣のとわ骨董店の店主、林檎と申します。初めまして」

「初めまして……お隣さんなんですね」


 挨拶を交わす彼に、真利が声を掛ける。


「もしお時間に余裕が有るようでしたら、お茶でも如何ですか? 倚子もお出ししますよ」

「……よろしいんですか? それじゃあ、お言葉に甘えて……」

「はい。では、少々お待ち下さい」


 真利は早速バックヤードへと入り、スツールをひとつ出す。それをストーブの前に置き、男性に勧める。


「どうぞ、お掛け下さい」

「はい……ありがとうございます」


 彼が掛けると、今度はレジカウンターの裏の棚から、カップを出す。今回用意したのは、パッションフラワーの柄のカップだ。それに熱いミルクティーをおたまで注ぎ、男性に渡す。


「熱いので、お気をつけください」

「……はい、ありがとうございます。

いただきます……」


 男性がお茶に口を付けるのを見てから、真利が林檎に訊ねる。


「林檎さん、オランジェットをお出ししても良いでしょうか?」

「うん、構わないわよ。みんなで食べましょう」


 林檎の許可を得たので、真利は小皿を一枚出し、レジカウンターの上に置いてあった紙箱から、オランジェットを二枚取り出して小皿の上に乗せる。それを男性の元に持っていって差し出した。


「よろしければ、お茶請けもどうぞ」

「はい……ありがとうございます……」


 真利から小皿を受け取り、林檎にも軽く頭を下げ、彼がオランジェットを囓る。

「……美味しいオランジェットですね……」


 美味しい物で気が緩んだのか、子どもっぽい笑顔を見せる男性に、林檎も笑って言う。


「そうなんですよ。お客様に教えていただいたお店で買ったんですけど、とても美味しいんですよね」


 お茶とオランジェットを口にしながら話をして、ふと真利が男性に訊ねた。


「ところで、お名前を伺っても良いですか?」


 男性は、少し戸惑った様な表情を見せて言う。


「……名前、ですか?」

「そうです。折角こうやってお話をする機会が有ったのですから、知りたいと思って」


 真利がにこやかにそう言うと、男性は照れたように言う。


「……あの、聞いても、笑いませんか……?」

「もちろん、笑ったりなんてしませんよ」


 今までに色々なお客さんと会って、色々な名前を聞く機会が有った。だから今更、どんなに珍しい名前が来ても驚いたりはしないと、真利は思っている。

 男性が小さな声で、ぽつりと言う。


「……僕、都って言います……」

「都さんですか、良いお名前ですね」


 きれいな響きの名前に真利が素直にそう言うと、都と名乗った男性は恥ずかしそうに言葉を続ける。


「でも……女の子みたいな名前だって、昔からよくからかわれてて……」


 その言葉に対し、真利もにこりと笑って返す。


「それなら僕も、似たような物ですよ。

僕は真利と申します。以後お見知りおきを」


 林檎も、にこりと笑って言う。


「私も、よく名前でからかわれたりしましたよ。私は、林檎と申します」


 この場に自分の名前を笑う者が居ないとわかって安心したのか、都もまた、笑顔になる。

 三人でお茶を飲んで話をして。それから、お茶を飲み終わった都が店内を見ている間に、林檎もとわ骨董店へと戻っていった。

 今日も、平穏な一日だ。

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