31:あの美食家は
梅雨も明け日差しもだいぶ強くなった頃。この日は快晴で、空には夏らしい入道雲が浮かんでいた。
それにしても、今年の夏は例年よりも暑い気がする。真利はレジカウンターの上に乗せた、氷を詰めてある器に目をやった。氷に刺さっているのは涼しげなカネット瓶が二つ。いつもは両方とも同じお茶を入れているのだけれど、今日はなんとなく二種類用意した。片方は若草色のお茶が、もう片方には真っ青なお茶が入っている。
真利は持っていたクリスタルガラスのタンブラーをレジカウンターの上に置き、カネット瓶の前で手を迷わせる。
「緑茶とブルーマロウ、どっちにしましょうかねぇ」
しっとりと汗をかいているカネット瓶。青いお茶が入っている方の表面をつうっと指で撫で、首を掴んで氷から抜いた。しっかりとパッキンを留めているワイヤーを押し上げ、瓶の中身をタンブラーに注ぐ。
涼しげな青で満たされたタンブラーを手に取り、そっと口づける。口に触れた部分のお茶が、微かにピンク色になった。
紅茶とは違う素朴な味を楽しんでいると、店の入り口が開いた。真利はタンブラーをレジカウンターの上に置く。
「いらっしゃいませ」
そう声を掛けると、入ってきたお客さんもぺこりと頭を下げた。入ってきたのは、手に緑色の紙袋を持って単の着物を着た男性。後ろには、風呂敷を首に巻いた柴犬が居た。
「真利さん、お久しぶりです。お元気でしたか?」
「悠希さんもお久しぶりです。おかげさまで体調を崩したりはして居ませんよ。
外は暑いでしょう、鎌谷君もどうぞ中へ」
悠希は大きめに扉を開き、後ろに居た鎌谷を店内へと入れる。それから、自分も中へ入り扉を閉めた。
「喉は渇いていませんか? 冷たいお茶があるので、よかったら一杯どうぞ」
真利がにこりと笑ってそう言うと、悠希は手に持っていた紙袋を差し出して返す。
「ありがとうございます。それじゃあ、お言葉に甘えて。
あと、お土産にパイナップルケーキを買ってきたんです。よかったら林檎さんと一緒に召し上がって下さい」
「おや、ありがとうございます」
悠希から受け取った紙袋の中を見ると、銀色の袋に入った四角いお菓子が、四つほど入っていた。紙袋をレジカウンターの上に乗せ、真利はカウンターの裏にある棚から白いグラスを取り出して、悠希に訊ねた。
「お茶はどちらに為さいますか? 緑茶と、ブルーマロウとありますけれど」
「そうですね、家で余り飲まないので、緑茶でお願いします」
「はい、かしこまりました」
氷の詰まった器から、冷えたカネット瓶を抜き、若草色のお茶を白いグラスに注ぐ。それを悠希に渡すと、彼が香りを聞いてから訊ねた。
「このお茶は、どこの物ですか?」
「確か、和歌山だと聞きました。お客様からいただいた物なのですよ」
「和歌山ですか、珍しいですね。あそこのお茶は紅茶にする事が多いと聞きますけど」
そんな話をして居る間にも、真利は木製の折りたたみ椅子を出してきて広げている。
「そうですね、緑茶のまま東京に来るのは珍しいです。
悠希さん、どうぞお掛け下さい」
「あ、それじゃあ失礼して」
悠希が椅子に座ると、真利は続けて訊ねる。
「そう言えば、折角お土産をいただきましたし、林檎さんも呼んできてみんなで食べますか?」
「林檎さんのご都合がよろしければ、一緒にお茶をいただきたいです。
でも、僕はさっきかき氷を食べてきたので、お茶請けは無くて大丈夫ですよ」
「かき氷ですか。ああ、なるほど。それでパイナップルケーキなんですね」
それから、一声掛けて真利は林檎を呼びに隣のとわ骨董店へと向かう。扉を開けて呼ぶと、どうやら林檎も暇をしていたらしく、少しの時間ならと、シムヌテイ骨董店へやって来た。
「林檎さん、お久しぶりです」
「お久しぶりです。三人揃うのは久しぶりですね」
軽く挨拶をして、真利がバックヤードからスツールを出してきて林檎も座り、楽しいティータイムが始まる。林檎は、白いグラスにブルーマロウのお茶を揺らしている。
「そう言えば、先日は美味しいドーナッツをありがとうございました。
あの時いらしてくれたのに気づかず、申し訳ありませんでした」
昨年末に悠希が来た際、気がつかずに居た事を詫び、差し入れで貰ったドーナッツのお礼を言うと、悠希ははにかんで答えた。
「いえ、お忙しいところを邪魔するわけにはいきませんから」
「そうはおっしゃいましても、お客様に対応するのが一番の仕事ですから、私もまだまだ未熟ですね。
それと、ドーナッツはとても美味しかったです」
あの時のドーナッツのことを思い出してか真利がにこりと笑うと、悠希も嬉しそうだ。そんな悠希に林檎も話しかける。
「本当に、美味しいドーナッツをありがとうございました。
それにしても、悠希さんは美味しい物を沢山ご存じですけれど、結構色々と食べ歩いていらっしゃるんですか?」
すると悠希は困ったように笑って、こう答える。
「実は、余り外食とかはしないんです。
でも、美味しい物は好きなので」
色々と美味しい物を差し入れしてくれる悠希が余り外食をしないと聞いて真利も林檎も少し驚いたが、それと同時に、だからこそたまの外食に美味しい物を食べているのだろうなと納得もする。
「僕が淹れるお茶も、悠希さんのお眼鏡にかなうと良いのですけれど」
くすくすと笑って真利がそう言うと、悠希も控えめに笑う。
「ふふっ。真利さんのお茶は、いつも美味しいですよ」
三人でゆっくりとお茶を楽しんで、話をして。結局パイナップルケーキは開けなかったけれども、それはまた後日、この日の事を思い出しながら食べても良いだろうと、真利は思った。




