3:人形の瞳
「おやおや、これは嬉しいなぁ」
春分の日も近くなったある日のこと、真利はにこにこと一枚のポストカードを眺めていた。そのポストカードには、色白で神秘的な表情をした人形の顔が印刷されている。少しぎこちなさのある造形ではあるけれども、丁寧に作られていることが手に取るようにわかるその人形。特に印象的なのは瞳孔の無い瞳だ。青とモーブが織り成すその不思議な色合いは、見る者が見れば一目でわかる、特殊な硝子のものだった。
「まさか、サフィレットガラスをお人形の目にするなんてね。
いいことを思いつくものだ」
真利が言うとおり、その人形の瞳はサフィレットガラスという、現在では製造されていない、製造法もわからない貴重なガラスで出来ている。この人形の作家が、どうしても人形の目に入れたいと言って、真利の店でいくつも買っていったのだ。人形作家とはもう何年目かになる付き合いで、今度開かれる個展のフライヤー、つまりはこのポストカードを真利の店でも配ることになっている。
「ふふふ、林檎さんにも一枚渡しておこう」
そう呟いた真利は、お客さんが居ないのをいい事に、レジカウンターに置かれたフライヤーの山から一枚手に取って、倚子から立ち上がった。
すぐ隣の林檎の店、とわ骨董店に入ると、香の匂いに出迎えられた。店内は真利の店と同じように、壁際に棚とレジカウンターが置かれていて、窓にはタッセルでまとめられた栗色のカーテンが掛けられている。違う点が有ると言えば、置かれている骨董品が皆、東洋のものだと言う事くらいだ。
「あら、どうしたの真利さん」
「ああ、この前うちでサフィレットを買っていった人形作家さんが居たでしょう?
その方の個展が今度開かれるって言うんで、フライヤーをお配りしてるんだ。
素敵な出来だから、林檎さんにも見てもらいたくて」
そう言って、真利がフライヤーを手渡すと、林檎は驚いたような声を上げた。
「えっ? このお人形さんの目って、サフィレットじゃ無い!
ええ~、あんな高級品をお人形の目にしちゃうんだ」
「それは僕も驚いたけれどね。でも、素敵でしょう?」
「そうね~、素敵だわ。
青山で個展かぁ、行きたいなぁ」
ふたりで人形の個展の話をして、今日焚いている香の話をして、そうしていると、入り口を開ける音がした。
「いらっしゃいませ」
反射的に林檎がそう声を掛けながら入り口を見ると、そこに立っていたのは二人の女の子だった。
髪型は違えど、艶やかなグレーの髪と、瓜二つの顔。その二人が、真利達に話しかけてきた。
「ああ、真利さん、お店に居ないと思ったらやっぱり林檎さんの所に居た」
「ちゃんと店番しないと駄目じゃんよー」
この女の子二人は、近所に住んでいる双子だ。この子達にとって真利と林檎の店は好奇心を刺激されるものが沢山有るようで、学校帰りや休みの日に度々やってくる。
「二人ともすいません。
理恵さんは僕のお店が見たいんですよね? すぐ戻りましょうか」
「あ、なんか急かしちゃってすいません」
「木更さんはここが見たいんでしょうけど、良かったらこっちも来てくれませんか?
渡したい物が有るので」
「んー、渡したい物ってなんぞ?」
理恵と木更と呼ばれた少女二人に、真利はクスクスと笑いながら人形の印刷されたフライヤーを見せる。
「二人とも、お人形が好きでしょう?
お人形の個展のフライヤーを配ってるから、貰って行ってくれないかい?」
すると、二人ともそのフライヤーに釘付けになった。それから、木更がすかさず、真利の手からフライヤーをぱしっと奪い取る。
「よし貰った。ありがとう」
「え、それ林檎さんの分なんだけど」
まさかここまで食いつくとは思っていなかったので、思わず木更の反応に驚く真利。それを見て林檎も笑って居る。
「まぁ、良いじゃない。私の分はまた貰いに行けば良いし。
で、木更ちゃんは私とお話していくのよね?」
余裕の態度の林檎に木更を任せ、真利は苦笑いをしてから理恵と一緒に自分の店に戻った。
自分の店に戻ってから、真利は理恵にも椅子を勧めて話をする。理恵に貸している倚子は予備の物なので、使い込まれた木製の折りたたみ椅子だ。
「すごい、こんなきれいな人形が作れるんですね」
「そうだね。この作家さんは創作人形の教室に通ってるらしいんだよね。
もし興味があったら、理恵さんもそのうち習ってみたら楽しいんじゃない?」
うっとりと人形の写真を眺める理恵にそう言うと、理恵はぽつりと、教室かぁ。と呟いた。