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シムヌテイ骨董店  作者: 藤和
2004年
11/75

11:待降節

 吹く風も冷たくなってきたある日。その日はどんよりと曇って今にも雨が降り出しそうだった。

 これくらいの冷え込みなら、まだストーブを出すほどでは無い。エアコンの暖房を付けて、真利は暖かいお茶を飲んでいた。今日のお茶は、アッサムに桂花を混ぜたもので、紅茶の渋い香りに混じって金木犀のきらきらとした芳香がカップから漂っている。お茶請けは、真っ白なパウダーシュガーが掛かったドライフルーツ入りのケーキをスライスしてお皿に載せてある。

 このケーキは近所のパン屋が、この時期になると毎年焼いているものだ。真利は林檎と一緒にこのケーキを買って、いつも半分ずつ分けて食べている。きっと今頃は、林檎もお茶を飲みながらこのケーキを食べているのだろう。


「ふふふ、今年のシュトーレンも美味しいですねぇ」


 ともすれば生地からフルーツが零れてしまいそうなケーキ、シュトーレンを、金色のメッキがまだらになっているフォークで丁寧に切り分けて口に運ぶ。甘くて、少しだけ酸っぱいフルーツの味と、甘みは無いけれど華やかな香りの紅茶は良く合う。

 ふと、何かがパラパラと落ちる音がした。

 何かと思い店内を見渡すが、何かが落ちた形跡は無い。しかしよく窓を見てみると、水が当たった跡が数個残っていた。


「ああ、困りましたね。今日は雨の予報では無かったのに……」


 そう呟いた真利は、レジカウンターの棚に入れてあった折りたたみ傘を取り出す。この傘は、広げれば紺色の地にレトロポップな花がステンドグラスのような模様を描いているというものだ。女性向けの傘なのだけれども、柄が気に入ったのでこれを使っている。

 置き傘は、あまり使いたくないのだけれど。

 内心そう思っても、帰る頃までに雨が止まなければこれを使って帰るしか無い。

 少し気分が曇ってきたので、またシュトーレンを口に運んで、紅茶を飲む。なんだかんだで、美味しい食べ物は心を軽くしてくれるのだ。

 お茶とケーキを食べ終えて、暫し雨の音を聞いていた。その中でぼんやりと、来週からの予定を思い描く。次の日曜日に飛行機に乗り、二週間ほど海外へ仕入れの旅に出るのだ。西洋のアンティークで良い物は、何故かしら欧州に集まる傾向がある。なので、仕入れに行くときはいつも欧州だ。

 偶には林檎のように、中国なども行ってみたいけれど、多分自分とは反対のことを林檎は考えているのだろうなと真利は思っている。

 今度の目的地はヴェニスだ。きっとガラスもので掘り出し物があるに違いない。……と、考えを巡らせていたら、店の入り口が開いた。


「いらっしゃいませ」

「どうも、お久しぶりです」


 真利の挨拶にそう返すのは、コンビニのテープが持ち手に貼られたビニール傘を畳む男性。きっちりと編み込まれた白銀の髪には、見覚えが有った。


「お久しぶりです。あいにくの雨ですね」

「そうですね。こう言うことがあると、家に傘が溜まっていくんですけど」


 彼と少し話をして、店内を見てもらう。前回来たときと同じように、紫色のベルベットで装丁された祈祷書を、丁寧に捲っている。

 静かに過ぎていく時間。お互い暫く黙っていたけれども、彼が祈祷書から目を離さないまま口を開いた。


「待降節になってからだと来られないと思ったので、今日お伺いしました」

「待降節? ……ああ、そうですね。そちらは、待降節から暫くお忙しいでしょうし」


 神学校に通っているという彼のことだから、待降節から暫くの間は大切な期間だろう。それに、少なくとも今年は、待降節に入る頃はこの店も休みだ。


「この店も、仕入れのために暫くお休みに入る所だったんですよ。今日いらしていただけて、本当によかったです」

「そうなんですね。タイミングが合ってよかった……」

「よろしければ、来年になって落ち着いた頃に、またいらして下さいね」


 何気なく真利がそう言うと、男性は祈祷書から視線を上げて、ぽつりと呟いた。


「いえ、多分、もうここには来られません」

「え? 何かある……」


 そこまで言いかけて、真利は思い出す。今祈祷書を持っているその男性が、修道院に入ることになっていたことを。神学校は三年制だと聞いては居たけれど、彼にとってのその三年目は、きっと今年なのだろう。


「そうですか。よかったらお茶でも如何ですか? 倚子もお出ししますよ」


 祈祷書を持ったままぼんやりと壁を見つめる彼に声を掛けると、彼は嬉しそうに、お言葉に甘えさせて戴きます。と、祈祷書を元の場所に戻す。

 古びた木の折りたたみ椅子を広げ彼に座って貰い、真利はティーポットの中に入っていたお茶を、レジカウンターの裏にある棚から出した、勿忘草柄のティーカップに注ぐ。


「だいぶ渋く出てしまっていると思いますけれど、お湯で薄めますか?」

「いえ、大丈夫です。渋いお茶が好きなので」


 そう言って彼は紅茶の匂いを嗅ぐ。


「……金木犀ですか」

「そうです。金木犀のお花を売っているお店があって、そこで買ったお花を紅茶に混ぜているんです」


 また、お互い言葉が途切れた。

 彼がお茶の香りを楽しみながら、紅茶に少しずつ口を付ける。やはり濃く出しすぎていたようで、水面の縁には茶色い痕が付いている。

 ティーポットに残った紅茶をチャイナボーンのマグカップに注ぎながら、真利が彼に声を掛けた。


「よろしければ、お名前を伺いたいのですが」

「え? なんでですか?」

「あなたのことを、覚えていたいので」


 ぽかんとした顔で、彼が真利を見つめる。その様を見て、真利はくすりと笑ってこう続けた。


「ああ、まずはこちらから名乗るべきですね。

僕は真利と申します」


 名乗られて安心したのか、彼もにこりと笑って答える。


「僕は修って言います」

「なるほど、良い名前ですね」


 お互い名前を名乗って、少し心の垣根が低くなったのだろう、修は色々なことを真利に話した。話をして、お茶を飲んで、それからベルベットの祈祷書を買って帰っていった。

 修はもうここに来られないと言ったけれども、修道院というのはそんなに厳しいところなのだろうか。

 それならなおのこと、彼のことを覚えていようと真利は思うのだった。

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