05
宇宙船は目的地である火星に到着しました。
青年を含めたテラフォーミング担当者達は、それぞれ格納庫に納められた小型船に乗り込みます。
それぞれが火星のいたるところに散らばって、『アニマ』と共にテラフォーミングを開始するのです。
青年も彼女を引き連れて小型船に乗り込みます。
青年の担当エリアは母船から北西百キロほどの荒野です。
第一段階なので難しい場所は割り当てられなかったようで、青年も少しだけホッとしています。
少なくとも水の確保を優先するために永久凍土のある極冠地帯などに派遣されていたら、桜の樹を植えることなど当分不可能だったからです。
「ふむ。これならなんとかなりそうだ」
青年は火星の大地に降り立ってホログラムパネルを操作しながら周辺環境をチェックします。
細かな操作をしながら温度・風量・大気の成分についての数値をはじき出しています。
二千年ほど前ならば防護服を着た上で大がかりな機械を持ち込まなければ不可能だった調査も、技術の進歩によりほぼ身体一つで出来るようになっています。
私服のまま火星の大地に立っている青年の周りには防護フィールドが常時発生しています。温度調整や酸素供給、重力調整などをこのフィールドが担ってくれているのです。
ホログラムパネル技術の確立により物質に依らない機器が完成し、『アニマ』の機体調整や母船への通信管制なども青年は移動しながら行うことが出来るのです。
「マスター。母船と各『アニマ』へのネットワーク構築が完了しました」
「ごくろうさん」
青年は素っ気なく答えます。
「次はマスターの生活空間の環境調整に移行します」
「任せるよ」
「はい」
青年は淡々と調査を続け、彼女は淡々と青年のために働きます。
お互いの役割を、領分を、忠実に果たしています。
まずは空間圧縮技術を使用して持ち込んだカプセルハウスを圧縮開放して火星の大地に出現させます。人一人とアニマ一体が生活するには充分な広さを備えた生活空間です。
彼女はハウスの中に入り、青年が生活する上で不具合がないかをチェックしています。
元素タンクとエネルギータンクが空のままだったので、彼女は二つのタンクをギリギリまで満たします。
テラフォーミング先遣隊参加において、まず参加者は最低限の肉体改造を施されています。
宇宙空間で活動できるだけの身体機能の向上、そして食物摂取に依らないエネルギー摂取を受け入れられる身体に造りかえること。
食糧も水も今の青年には必要なく、身体状態に応じた元素の摂取のみでその身体機能は維持されていきます。
もちろん嗜好品としての食糧摂取は可能ですが、最初に持ち込んだ物資が枯渇した場合、再び同じものを口に出来る可能性は限りなく低いでしょう。
それは人間らしい生活水準の放棄とも言えますが、青年はそれを気にすることはありませんでした。
もとより人間らしい感性をほとんど持ち合わせていないのですから、むしろ栄養摂取が食事に依らなくなったというのは、青年にとって効率が良くなったという意味合いでしかなかったのかもしれません。
エネルギータンクの方は生活に消費する分は約一割で、そのほとんどはテラフォーミング作業の方に消費されていきます。
「マスター。生活空間の調整、完了しました」
「うん。こっちも最低限の調査は完了した。今日はもう休もう」
青年と彼女はお互いの役割を滞りなく終えて、ハウスの方に入ります。
彼女はハウス内の定位置であるパイプ椅子に腰かけ、青年は今日一日で消費した分のエネルギーを補充するために元素タンクから必要な元素を取り出します。
固形ブロックとして出てきたそれを、青年は無感動で咀嚼します。カップに注がれた液体で咀嚼したものを流し込みます。
それは食事ではなく摂取でしかありませんが、青年はそれに対して何を思うこともなく、栄養摂取を完了させます。
それから浄化ポットに一分ほど入って、汗や汚れを浄化させます。地球にいた頃はきちんとお風呂に入っていましたが、水が手に入らない火星ではこの浄化ポットがお風呂の代わりです。
もちろんそんなことで一日の疲れが取れたりはしませんし、お風呂じゃないと汚れが落ちた気がしないという人もいるでしょう。
しかしやはりというべきか、青年はこの浄化ポットに関しても効率的だからこっちのほうがいい、という程度の認識でした。
そういう意味ではテラフォーミング要員としての適正はかなり高い人材と言えるでしょう。
寝る前に必要なことを全て終えた青年は、それ以上無駄なことをせず、ベッドに潜り込みます。
彼女も同じように隣のベッドに潜り込みます。
彼女も生体である以上、睡眠による休息が必要不可欠なのです。
「………………」
青年はおやすみ、と言おうとして思いとどまりました。
それではまるで人間相手にしているようではないかと思ったからです。
しかし彼女の方が灯りを消す前に青年の方を向いて、
「おやすみなさい、マスター」
と言いました。
「……おやすみ」
つい、そう返してしまいます。
そして明かりは消えました。
何も見えない暗闇で、青年は寝る前に少しだけ考えます。
言葉一つに躊躇う自分。
言葉一つを躊躇わない彼女。
人間らしさを欠いた人間。
人間らしさを身に付けている生体端末。
はたしてどちらが、より人間らしいのだろうと。
青年は眠りに落ちるまで、ぼんやりとする頭でそれを考えていました。
青年自身は気付いていませんでしたが、それは青年にとって初めて『他人』に対する興味の始まりだったのです。