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地球国家共同体が建設した宇宙港は、一つの街ほどに巨大な施設でした。
青年は宇宙港の入り口からその中枢へと辿り着くまでに随分と時間を要しました。入り口から時速八十キロの自動走行車両で移動したにも関わらず、一時間近くの時間を消費してしまったのですから、一つの施設の面積としては呆れたものと言うしかないでしょう。
そもそも宇宙船が出発する為だけの施設にここまでの面積を要求する理由自体が、青年には理解不能でした。
きっとよく見れば無駄なものがたくさんあるに違いありません。
しかしそれを指摘するのは青年の仕事ではなく、別の監査役の仕事なので青年は放っておきます。
税金の無駄遣いも甚だしいですが、青年は父親の功績により免税特権を与えられているのであまり関係ありません。自分のお金ではないのですからどう使おうと興味もないのです。
「ようこそ、お待ちしておりました」
先遣隊の管理スタッフに迎えられて、青年は必要な荷物を受け取るために研究エリアの建物に入りました。
ここに火星のテラフォーミングに必要なシステムが納品されているのです。
それは『アニマ』と呼ばれていました。
記憶転写型生体端末。
青年の父親がその根幹を完成させ、青年と共により実用性の高いものに仕上げた惑星改造システム。
少女の形をしたそれは、かつて自然豊かだった地球の環境をその肉体に記憶し、そしてその記憶を元に火星の大地を書き換えるというシステムです。
火星のテラフォーミングには様々な段階が必要とされます。
メタンなどの、温室効果を発生させる炭化水素の気体を直接散布すること。
火星の軌道上に、PETフィルムにアルミニウムを蒸着した巨大なミラーを建造し、太陽光を南極・北極に当てること。
黒い藻類を繁殖させ、黒い炭素物質の粉を地表に散布するなどして、火星のアルベド(反射能)を変化させること。
それら一つ一つを科学技術で地道に解決するのではなく、星そのものの記憶を強制的に書き換えてしまおうというのがアニマ・システムの画期的なところです。
星の魂と接触するためには、システムそのものが生体である必要があります。
人間が適応する環境を作り出すために、人間と同じ形をしている必要があります。
過去に幾人もの科学者や開拓者が挑戦して挫折していった惑星改造という偉業を、『星の魂と共鳴する生命』の創造によりほぼ実現させたのです。
火星の大地は広大なので、先遣隊のほとんどは一人につき一つの地域を担当することになります。
恐らく、この宇宙港ほどの面積を一人当たりが担当することになるでしょう。そしてその際に重要なパートナーとなるのがこの『アニマ』なのです。
もちろん青年にも専用の『アニマ』が与えられます。
いえ、『与えられる』という表現は語弊があるかもしれません。
その『アニマ』は青年みずから手掛けた作品なのですから。
青年は自らが先遣隊に志願すると決めた時に、自分専用の『アニマ』を自らの手で創り出しました。その為の製作費用は地球国家共同体から出ているので、所有権を主張することは出来ませんが、それでもその『アニマ』は青年の為に生まれてきたものだと言えるでしょう。
アニマ・システムの生みの親の一人である青年が創り出したその『アニマ』を担当したいという人は沢山いましたが、そこは青年が頑として譲りませんでした。
マニュアル対応出来る他の『アニマ』と違って、青年が創り出した『アニマ』には新しいシステムが色々と組み込まれているからです。
他の人間にそのシステムを使いこなせるとは思えませんでしたし、何よりも初めて最初から最後まで自分の手で創り上げたその『アニマ』に、青年はそれなりの執着を持っていたのです。
「初めまして、マスター」
青年が創り出した『アニマ』、彼女は鈴の音のような声で挨拶をします。予め組み込まれているプログラムによって、誰が自分の主人であるかを理解しているのです。
「ああ。よろしく」
青年は簡潔に返答します。
製作の過程で彼女のことは知りつくしているものの、こうして会話をするのは初めてのことでした。
青年は彼女を製作するにあたって、いくつかのこだわりを持っていました。
まずは青年の夢である桜並木、その成長を手助けするプログラムを優先して組み込んでいること。
もちろんその為の環境作りが必要になりますが、全ては桜並木を実現させるための過程でしかありません。
彼女は他の『アニマ』と違って桜並木を作り出すことに特化しているシステムと言えるでしょう。
もちろん、だからといって平均的な機能が他の『アニマ』に劣っているというわけではありません。
ただほんの少しだけ、青年の好みに適した機能調整を行っているだけなのです。
そして彼女の外見こそが青年のもっとも気を遣った部分と言えるでしょう。
彼女を見た多くの人間は、彼女に対して『桜のような少女だ』という印象を受けるでしょう。
桜色の瞳、桜の幹のような長い髪の毛、そして全体的な儚さと華やかさ、その全てが『桜』を体現しているのです。
青年が見繕った桜色の着物もそのイメージを手助けしているのでしょう。それは彼女のために作られたかのように、とてもよく似合っています。
その正体を知らなければ『桜の精霊』と見間違うほどに、彼女は『桜』そのものでした。
「自分の仕事は分かっているな」
青年は彼女にそっけなく問いかけます。
「はい、もちろんです。マスター」
彼女もそっけなく応えます。
主人の命令を受諾して遂行するために、最低限の意思疎通は可能なのですが、しかしだからといって会話が可能というわけではありません。
あくまでも機械的な対応。
青年は夢の実現の為に彼女を利用するのであって、彼女そのものに対して執着はあっても愛着はありません。
あくまでも道具、そう割り切っています。
そして彼女の方もそれを不満に思う感情はなく、自らの主人のために役割を十全に果たすことを最優先事項として行動しています。
「では行こう」
「はい」
青年は彼女を振り返らず、宇宙船の搭乗ゲートへと向かいます。彼女も黙って青年についていきます。
これが、青年と彼女との出会いでした。