12
青年は一人で芝生の上に寝転んでいました。
空を見上げると、無数の星が瞬いています。
そして無数の花びらも舞い散っています。
「夜桜というのも、なかなか綺麗なものだな」
青年は満足そうな声で呟きます。
手を伸ばして、風に舞う花びらの一枚を掴みます。
掴んで、引き寄せて、手を開いたら、再び花びらは風にさらわれて空へと舞い上がります。
もう一度花びらを掴もうとしましたが、青年の手は上には動きませんでした。
「……限界、か」
気が付いたら青年の身体は透けはじめていました。
光の粒子が青年の身体から少しずつ発せられて、その現象とともに青年の身体は薄れていきます。
手足の感覚も少しずつ薄れていき、これが本当に自分の身体なのかどうかという認識もあやふやになっていきます。
存在そのものが希薄になる。
それが『アニマ』の終焉なのだと、この時青年は初めて悟ることが出来ました。
「ああ、そうか……」
そして青年は大切なことに気が付きました。
「だから彼女は『自分』になりたかったのか……」
青年はいなくなってしまった、自分に大切なものを残してくれた彼女の事を思い出します。
彼女の笑顔、彼女の言葉、彼女の仕草。
その一つ一つに、とても強い意志が、想いが込められていたことを。
いつか消える自分を知っていたから。
こんな風に、自分自身すらあやふやになって、消えていくということすら惜しめなくなってしまう未来を知っていたから。
彼女はそれを否定したかったのでしょう。
確かに此処にいたということを、確かなものとして実感したかったのでしょう。
役割を終えて消えていく道具ではなく、此処に生きた命として、その意志を遺したかったのでしょう。
「『わたしの命の使い方を決めるのは、他の誰でもないわたしなんです』、か。確かに、命あるものにしか言えない言葉だったな……」
彼女の言葉を思い出して、青年はくすりと笑います。
笑えるようになった自分を、出来ることなら彼女に見せてやりたいと、叶わぬ願いを抱きながら。
「結局のところ、『命』があって、『自我』があって、『想いをぶつける相手』がいて、初めて『自分』になれるんだな」
人間のようになりたいと願った彼女は、本当のところ『自分』になりたかったのだと、そう気づくまでに随分と時間がかかってしまいました。
青年もかつては『自分』になる前の彼女と同じものでした。
『自分』が存在しない、ただ生きているだけの空虚な存在でした。
そんな自分を哀しいと思う事もなければ、変わりたいと願う事もありませんでした。
ただ一つの願いを胸にこの星までやってきたのです。
願いを叶えた後は満足感だけがあるのだと思っていました。
空虚なまま、決して変わることなどないと思っていました。
「そんな僕がここまで変わることが出来たのは、間違いなく君のおかげなんだろう」
彼女がいなくなって、涙を流すことを知りました。
彼女がいない時間を過ごして、寂しいという気持ちを知りました。
彼女を思い出すことで、温かい気持ちを知りました。
そして命の終わりを実感することで、ほんの少しの怖さを知りました。
この『心』は、すべて彼女がいたからこそ青年の中に芽生えたものです。
だから青年はその『心』をとても大切にしてきました。
彼女がいなくなってしまってから、青年と彼女を繋ぐものはたった一つの心だったからです。
無数の星の下で、舞い散る夜桜を眺めながら、終わりを迎える。
それは案外、悪くないものだと青年は思いました。
隣に彼女はいないけれど、それでも彼女を想いながら逝くことができる。
最期の瞬間に彼女のことを想うことができて、青年はとても幸せでした。
たった一つの心残りは、彼女に何も言えなまま終わってしまったことです。
彼女がいなくなってから、彼女に伝えたい言葉がたくさんあることに気が付きました。
数えきれないほど、抱えきれないほどあることに気が付いてしまいました。
もうどうにもならないと分かっていても、此処に彼女がいてくれたら、と考えてしまうことがたくさんありました。
「それでも、後悔よりも感謝の気持ちが大きいからこそ、こうやって笑っていられる」
もしも死後の世界というものがあるのなら、真っ先に彼女に逢いにいきたいと思いました。
ほんの少しだけ寂しくなりながら、それでも青年は笑います。
青年の身体はどんどん薄れていきます。
青年の目に映る景色もどんどん薄れていきます。
「………………」
いよいよ完全に消えてしまうと思った時に、一番逢いたい人の姿が見えました。
彼女が、そこに立っていました。
周りの景色は、何も見えません。
星も、桜も、夜の闇も、何一つ見えません。
真っ白い光の中に、たった一人、彼女の姿が見えるだけです。
「これは、幻か?」
青年は目を見張りながら、それでも彼女に手を伸ばします。
彼女はにっこりと微笑んで、青年に手を差し伸べます。
まるで青年を迎えに来たかのように。
動かないはずの腕は、彼女に触れたいと願った瞬間から自由になりました。
彼女の手を取って、そっと握ります。
彼女もそっと握り返してくれます。
夢でも幻でも、彼女にもう一度出逢えたのなら、伝えたいことがたくさんありました。
一番に伝えたい気持ちがありました。
愛していると言ってくれた彼女に、同じ気持ちを伝えたいとずっと思っていました。
ですが、青年の口から出た言葉は少しだけ違っていました。
「君に、ずっと逢いたかった」
伝えたい言葉よりも、届けたい気持ちよりも、青年自身が何よりも望んでいたことを口にしていました。
彼女は少しだけびっくりしたような表情になってから、世界中の幸せを独り占めしたような笑顔を見せてくれました。
青年の手を少しだけ強く握って、彼女は言いました。
「おかえりなさい、マスター」
青年も彼女の手を少しだけ強く握って、不器用に笑いながら言いました。
「ただいま」
青年は彼女の元へ還りました。
彼女も青年の側へと還りました。
青年も彼女も、もうどこにもいません。
それでもたった一つだけ言えることがあります。
彼女は青年に出逢えて、そして青年は彼女に出逢えて、誰よりも幸せになれたのです。
なんとなく思いついた追加エピソードです。
書いていいものかどうか少し悩みましたが、読んでみたいと言ってくれた人が結構いましたので頑張ってみました。
これで本当に終わりです。
おつかれ自分!
そして読んでくれた人に最上級の感謝を!




