10
破滅は、それから半年ほどでやってきました。
「………………」
彼女はもう自分では指一本すら動かせないほどに衰弱してしまっています。
彼女は自分の出来る精一杯で青年の夢を叶えました。
辺り一面の桜並木。
そこに立つ青年を満足そうに眺めながら、彼女は微笑みます。
彼女が寄りかかっているのは、彼女が一番最初に育てた一本目の桜の幹です。
「よかった……」
彼女はもうすぐ死んでしまいます。
それは彼女自身が一番よく分かっていました。
そして彼女の状態を常にチェックしていた青年もよく分かっていました。
存在意義の矛盾による自身の崩壊。
彼女はその結末を自分の意志で選びました。
「わたしは……マスターのお役に……立てましたか……?」
彼女の声はもう途切れ途切れでしたが、青年はしっかりと聞き届けます。
「充分だ。僕はこの光景が見たかった。この風景を目に焼き付けたかった。君がその願いを叶えてくれた。道具としてじゃなく、君自身の意志で」
「はい」
道具としてじゃなく、君自身の意志で。
それは彼女にとって何よりの褒め言葉でした。
彼女の心を、気持ちを認めてくれた言葉でした。
それだけで、彼女は笑うことが出来ます。
「感謝している。ありがとう」
「はい」
たったそれだけで、彼女は自分を誇ることができます。
「後悔は、していないんだな?」
桜の幹に寄りかかったままの彼女に近付き、薄れていく彼女の身体を見詰めながら、青年は問いかけます。
「誇りに思っているくらいです」
彼女は薄れゆく中で、それでも微笑みます。
それは自らを誇るには充分すぎるほど、真っ直ぐな笑顔でした。
「最期に一つだけ、聞いてもらえますか?」
「ああ」
道具として生まれて、恋のために命を燃やした彼女が青年に伝えたい最期の言葉。
それはたった一つでした。
「あなたを、愛しています」
そう言って、彼女は消えてしまいました。
光の粒子が青年の周りを舞うように、彼女の名残を追うように、青年はその光を掴もうとします。
その光は青年の手の中に収まって、そしてすぐに消えてしまいました。
彼女はもうどこにも居ません。
彼女にはもう二度と会えません。
彼女の言葉も二度と聞けません。
彼女の笑顔も二度と見られません。
そうして初めて、青年は気付きました。
自分の目から溢れる水を。
「………………」
ぽろぽろと流れるそれを、そっと手で拭います。
拭っても拭っても、それは流れ続けます。
「ああ……そうか……」
彼女の名残を目で追うように、空を見上げます。
「これが、悲しいって感情なのか」
初めて気付いた、胸を締めつけるような気持ちに、青年は満足そうに笑います。
あなたを、愛しています。
「これは、君が僕にくれたものだ」
この気持ちも、この涙も、この寂しさも、苦しさも、全て彼女がくれたものだと青年は理解できました。
失って初めて、自分は誰かを愛せていたことに気付けたのだと。
だから今、こんなに苦しい気持ちになっているのだと。
後悔はありません。
彼女は彼女の望みを果たしたのですから、それは祝福すべきことです。
青年が悲しいと感じている今も、寂しいと感じている気持ちも、彼女に寄り添う感情が芽生えたからこそ、受け入れようと思います。
だから、たった一つの気持ちを、青年も自ら認めるのです。
「僕も、君に恋をしていた」
青年は夢を叶えるために火星へとやってきました。
彼女と共に、夢を叶えました。
だけどもうひとつだけ。
恋をするために、ここへやってきたのだと信じます。
彼女と出会い、彼女と触れ合い、彼女と共に生きました。
二人で一つの夢を叶えました。
彼女が心を得たように、青年も心を知るためにこの星へとやってきたのです。
「空を舞う桜色。花の記憶は儚く散りゆく一瞬の輝きの中に。巡りゆく季節を重ね、ひとひらの想いをこの手に遺す」
一人になった青年はそれでも歌います。
その言葉に、心を重ねて歌います。




