触るな危険、そのドアノブ
昨夜から、テレビでは、今年一番の冷え込みがどうとか、しきりに言っていた。
それを聞いた母親が、春にクリーニングから返って来たままのビニール袋に入っていた、毛糸のカーディガンを出してくれていた。わたしは、ありがたくそれを羽織って登校することにした。
「おはよー」
「ノブちゃんおはよー」
近所の友人たちと合流し、すっかり冷たくなった風に吹かれながら学校に向かう。空気がからっからに乾燥する季節の到来。すっかり油断していて、わたしは自分の体質を忘れていたのだった。
学校につき、教室の入り口のドアノブに触れようとした瞬間。
バチバチッ!
「いったぁ!」
ゲームに出てくる魔法のような電撃に襲われ、反射的に指を引っ込めた。わたしの悲鳴に、廊下にいた子たちがびっくりして、こちらを振り向いている。
「いたたた……」
「ノブちゃん大丈夫?」
そう、わたしは極度の静電気体質なのだった。
この季節、金属製のドアノブは大敵。あらかじめ手の甲などの痛覚が鈍い部分で静電気を逃しておかないと、一日中、あっちでばちばちこっちでびりびり、痛い目に遭うのである。
わたしがちょっと涙目になりながら指をさすっていると、友人たちが心配して声を掛けてきた。中の一人が、気をつかって教室の入り口を開けてくれようとして、ドアノブをつかんだその時。
「ふぎゃっ!」
わたしはおしりを押さえて、踏まれた猫のような声を上げて飛び上がった。
わたしはそのとき、確かに「しっぽ」をつかまれたと感じたのだった。
*
ドアノブが、延山信子のしっぽになった。
口の軽い友人に、馬鹿正直に打ち明けてしまったのが運の尽き。その噂は、たちまち教室に広がった。
「まさかあ。嘘でしょー?」
「嘘じゃな……ひぃっ!」
最初は半信半疑だった友人たちも、誰かが教室入り口のドアノブをつかむたびに、わたしがおしりを押さえて身もだえする様子を見て、その超常現象をだんだん信じ始める。そしてその友人たちの顔に、不穏な表情が浮かぶまでに時間はかからなかった。
「ややや、やめてよー!」
「いーじゃんノブ。かわいーよ。こちょこちょこちょ……」
「にゃぁぁあ!」
日ごろ、強気の親分キャラでならしているのが災いした。級友たちはここぞとばかり、わたしのドアノブをいじりまわす。握ったり回したりさすったり。それを止めようにも、身体が言うことを聞いてくれない。くすぐったさが背筋を走り、身悶えしてのたうちまわる。
「ほーれほーれ」
「やだぁ……んっ……やだぁ……」
人がやめろと言うのもきかず、何人もで寄ってたかって、ドアノブをやさしくなでまわす友人たち。いじり回されるのはいやだが、正直、これまでの人生で経験したことのない気持ちよさである。わたしはあたまがぼうっとなってしまい、いつの間にか服が汚れるのも気にせず、教室の床に横たわり、身をくねらせていた。
「にゃあぁん……もっとぉ……」
青息吐息で身を捩らせながら、思わず本音を口走ってしまった。
級友たちがさあっと引いていく気配が感じられる。
「は、はは……やりすぎちゃった。ゴメンね」
ううう、いいところだったのに……これでは蛇の生殺しである。床に寝転がったまま、袖を噛みつつ恨みがましく睨みつけてやると、友人たちはそれぞれにそっぽを向いて知らぬふりをしている。見てはいけないものを見てしまった、そんな雰囲気。
その時である。
「よお、ノブ。お前ドアノブがしっぽになったんだって?」
話を聞きつけたらしい。隣のクラスの砥綿という男子が廊下をやってきた。
砥綿は、わたしの幼馴染にして、日頃から何かとわたしに絡んでくる男である。性格は陰湿にして陰険。そのくせ秀才で運動神経抜群、家は金持ちと、絵に描いたような「鼻持ちならないヤツ」だ。
わたしは喧嘩だったら絶対に負けない自信があるのだが、あいにく、国語と英語と数学と理科と社会と音楽だけはこいつに連戦連敗を喫している。まさに天敵。顔がわたしの大好きなアイドルに良く似ているのが、余計に気に食わない。
友人たちにさんざん気持よくさせられて、床にのびていたわたしだったが、砥綿の声を聞き、顔がさっと青くなる。こいつにだけは、しっぽを握られてはならない。そんな屈辱を受けるくらいなら、死んだほうがマシ!
慌てて立ちあがろうとしたのだが、すっかり腰砕けになっていたわたしは、足腰が立たず、その場にへたり込んでしまった。砥綿はそんなわたしの様子をさも愉快そうに見下ろし、ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべながら
「どーれ。メス猫のしっぽを拝見……」
「や、やめ……」
わたしのとっても敏感な場所に手を伸ばし――
バチバチバチッ!
「いってえ!」
――盛大に自爆した。
わたしの時以上の、爆竹が爆ぜたような大きな音。砥綿の指とドアノブの間に、ミニサイズの青白い稲妻が走るのが、わたしの目には確かに見えた。
わたしは思い出す。そういえば、砥綿はわたしに負けず劣らずの静電気体質だった。小さい頃は、お互いにプラスチックの下敷きを頭に乗せては髪型を乱し、嫌がらせをしあったものだ。
天罰てきめん、砥綿は弾かれたようにドアから飛び退いて、痛さを振り払うようにぶんぶんと指を振っている。イケメンの滑稽な様子に、級友たちの間からどっと笑い声が上がった。
わたしもそれを見ながらざまーみろと舌を出す。そしてふと、自分のおしりの違和感が消えていることに気付いた。
あれれ?
級友たちはまだ笑いながら、指をさすっている砥綿に声を掛けるなどしている。ドアノブのことはすっかり忘れている様子だ。わたしは、ドアノブが自分のしっぽになってしまった時のことを考えていた。これは、もしや……。
砥綿に気付かれないように、四つん這いのままそろりそろりドアに歩み寄る。腕を伸ばし、意を決して、ドアノブをぎゅうっとつかんだ。
「うひょっ!」
急におかしな声を上げた砥綿に、囲んでいた級友たちがびっくりして後ずさる。
その広まった輪の中心、何が起こったのか分からない様子で、目を白黒させている砥綿。一方のわたしは、すっかり身体の自由を取り戻していた。推測が、確信に変わる。
わたしはゆらりと立ち上がると、不敵な笑みを浮かべて砥綿を睨みつけた。
「……な、なんだよ」
強がった口調で言いながら、睨み返してくる砥綿。しかしすでにその声には怯えがにじんでおり、腰が引けている。わたしは湧き上がる優越感に笑みを大きくすると、右手でドアノブを思い切り握った。
「ひゃぁっ!」
砥綿が飛び上がった。あっけに取られて、わたしたち二人を見つめる級友たち。悶絶して身をくねらせている砥綿と、ドアノブをつかんで勝ち誇るわたし。その様子を見比べ、徐々に事態についての理解と共に、くすくす笑いの波が広がっていく。
「さあ、子猫ちゃんのしっぽをいたずらしちゃおうかなっ」
「ノブ、おまえ、やめ……ひっ!」
止めようと近づいてくるのに構わず、ドアノブを更に強く握りしめると、砥綿は身をくねらせて地団駄を踏む。さらにそのまま、ドアノブを左右にぐるぐると回してやると、怒涛の攻撃に、男はあっけなく陥落。その場にうずくまってしまった。くすくす笑いが、爆笑の渦へと変わった。
わたしはそれに気を良くして、友人たちにさんざんしっぽをいじられた意趣返しとばかりに、目の前の獲物に八つ当たり。ドアノブを両手で握りつぶす勢いで、つかんで回して押して引っ張る。
「ほらほら。ここがええのか。ええのんか!」
「あっ……ちょ……やめっ……」
いつもわたしを小馬鹿にしている砥綿が、目の前でのたうちまわり悶絶している。実に気分がいい。最高の気分である。
「……ノブちゃん、ちょっとやりすぎ」
級友たちがまた引いているような気がするが、この際気にしない。一気にトドメを刺そうと、腕の動きに勢いをつける。
「それそれ、そーれ!」
「や、やめっ……バカおまえっ! マジでやめろっ!」
本気の怒声にびくりと身をすくませる。思わず手が止まった。級友たちも、ふだんはクールを装っている砥綿の怒鳴り声を聞いて、ぴたっと静まり返ってしまった。改めて見れば、教室の床に横たわる砥綿は顔を真っ赤にし、股間を抑えながら涙目でこちらを睨んでいる。
……股間?
ドアノブを握っていた手を、おそるおそる、ゆっくりと離す。
砥綿はズボンの前を抑えながら、ふらふらと、内股のかっこうで立ち上がった。そのあまりに情けない姿勢と、怒気をはらんだ涙目に、わたしと友人たちは事の真相を悟った。
わたしの場合は、ドアノブはしっぽになった。砥綿の場合は……。
自分がさんざんやっていた行為の意味に気付き、顔から血の気が引く。ついですぐに、首筋から耳へと真っ赤な色が上がってくるのが分かった。顔は火が出るほど、頭は湯気が出るほど。周囲の友人たちは、しいんと静まり返って、ことの成り行きを見守っている。
砥綿が、上目遣いの涙目でこちらを睨みつけ、声を震わせながら言った。
「……お前、この責任取れよな」
とても目を合わせてはいられない。わたしは俯いて歯を食いしばり、ぎゅっと拳を握りしめる。
級友たちは、無言でわたしたち二人を注目している。
砥綿が、陰険な目付きで、わたしの顔を覗き込んできた。
「……なにか言えよ」
無理。この状況にはとても耐えられない。
「ヘ……」
「へ?」
「ヘンタイッ!! いやああああぁーーーっ!!!」
渾身の力で男の頬を張り飛ばして、全速力でその場を逃げ出した。
*
しっぽになったりアレになったりした気まぐれなドアノブは、時間が経つと、その日のうちに何の変哲もない、普通のドアノブへと戻った。
今では、再び悲劇を繰り返すことのないように「取り外し厳禁」の注意書きと共に、静電気防止用のカバーがしっかりと被せてある。
わたしは最近「責任を取る」形で、ずっと砥綿と行動を共にさせられている。一緒に登校したり一緒に下校したり一緒に買い物に行ったり。ドアノブの恨みは深いらしく、砥綿がわたしを解放してくれる様子はいっこうにない。いまだに言い合いは絶えないが、自分がしてしまった仕打ちを思い出すと、どうにも怒りのボルテージが保てないわたしである。
これは将来、砥綿信子になってドアノブ子だね、などと友人たちはからかってくる。
腹が立つ一方で、なかなか気がきいた駄洒落なんじゃないかな、なんて思ったりもしている。
お下劣な話ですみませんorz
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