人は見た目によらぬもの
甲高い悲鳴が夜のコンビニに響き渡った。
タイ出身の女性店員はレジカウンター前に立つ大男を見上げて、腰を抜かしたようにへたり込んでいる。
「……スミませン、ふらいどチキンを――」
「お、お、おか、お金、無い、無理、私、開け方、し、知らなイ」
女性店員のウェストほどの太さがある二の腕に、フトモモよりも太い前腕部。
顔を片手で握りつぶせそうな、何かの冗談のような大きさの手。
サイズがあっていない、ビチビチのTシャツの上からでもわかる腹筋の隆起や、動く度に『ミチィ』と変な音を立てる胸部や袖口。
「あノ、ふらいどチキンと、かれーマンを」
「ひ、ひっ、ひぃ……」
ドリンク用冷蔵庫の奥から、見かねた店長と思しき日本人の男が飛び出してきた。
「あっ、あの! す、すみません、あの、どどどどういったその、ご用件で……?」
「……ふらいどチキンと、かれーマンと、あと――」
巨漢は、指でつまむように買い物カゴをちょこんとレジカウンターに置いた。
中身は、ツナサンドにシュークリームが2つ。そして昆布のお握り。
「レジ袋、いらナイです」
ガタガタと震えながら会計の処理をする店長の横で、タイ出身の女性店員は『おぇ』と嫌な声を漏らして、店の奥へと引っ込んでいった。
グレゴーリィ・ナザレフ・ハセガワは、人並み外れた巨漢であり、同時に体脂肪率が1桁という所謂『筋肉ダルマ』である。
身長2メートル12センチ、体重158キロ、体脂肪率8%という驚異的な肉体の持ち主だ。
スキンヘッドに肉腫が沸いた耳。潰れた鼻に、人間の首がここまで太くなるのかと思えるほどに鍛え抜かれた首周りの筋肉から、グレゴーリィが組み技系格闘技をやっている事は、格闘技をかじったことがあるものならば一目でわかる風貌だ。
それも、強い。
握力は左右ともに測定不能。背筋力は実に500kgを超える。ゴリラのオスの成獣と並ぶほどの膂力を持っている。
おまけに腕とスキンヘッドの頭には入れ墨まで入っている。
彼を見て怯えないでいられる日本人は、1000人に1人もいないであろう。
「あ、あの、せ、せん、1420円、です……」
「ぺいぺいで、おねがいしマス」
「はひぃ」
店長は何とか会計を済ませるが、その間ずっと歯をガチガチと鳴らしていた。
コンビニを後にしようとしたグレゴーリィの前に、警官がふたり立ちはだかる。
「|Здравствуйте《こんばんは》、グレッグさん」
「あぁ、こんバンは、おマワりさん」
凶悪な見た目に反して、グレゴーリィは律儀にぺこりと会釈をする。
ロシア共和国から来日し、日本に帰化して4年になるこの巨漢は、その容貌のためか度々通報を受けていた。
そのため、警察とももはや顔なじみ状態であり、通報を受けた警察も『あぁ、頭に入れ墨のあるデカい人ですよね。大丈夫です、その方は日本に帰化してて、普通の人ですから』と話すのだが、今日通報したタイ人店員のようにパニックを起こしたものは、とにかく来てくれの一点張りになる。
そのたびに警察もこうして足を運ぶのだが、グレゴーリィにとっても警察にとっても、とんだ迷惑な話である。
「ちょっと待っててくださいね、一応連絡しなきゃいけないんで。……えー、通報うけました村田です。グレッグさんです。問題ありません」
短くあっさりと報告を終えた老警官、村田康は申し訳なさそうに一礼して、はるか上へと顔を挙げる。
「Извините、村田さん、いつもいつも
「いえいえ、こちらこそですねぇ、グレッグさん。警察も、こうなると動かざるを得なくって」
「いえ、わかりマス。今ロシアもああいウ状態ですカラ」
「グレッグさんもねぇ、こんな穏やかなのにねぇ。見た目で判断するのが多くてイヤになっちゃうねぇ」
「村田サンみたいな人もいマス」
グレッグはロシア東部の鉱山で働く鉱夫であったが、退職してからは日本文化に傾倒。日本人の小柄な女性と結婚して以降、ボディビルダーとロシア語講師として生計を立てている。
見た目によらず争いごとが大嫌いで、穏やかで静かな優しい男であった。
「ま、なにか困ったことがあったら、いつでも言ってくださいねぇ」
「Спасибо。妻も頼りにしてマス」
「奥さんにもよろしくねぇ。どれ、グレッグさんは今から帰り? 家こっちでしょ、一緒にいくかい?」
「ありがとうゴザいマス、そうしマス」
グレゴーリィと比較するまでもなく、老刑事村田は小柄である。
日本人男性の平均からしても小柄で細身な村田など、グレゴーリィなら指一本で持ち上げられるであろう。
「最近はねぇ、この辺も物騒になっちゃったからねぇ」
「怖いデスね」
「そうだねぇ。グレッグさんに喧嘩売るとか言うのはいないだろうけどねぇ。奥さんは大事にしなきゃねぇ。ルミ子さんは変わりない?」
「Хорошо、Спасибо」
「そう、それは何よりだねぇ」
グレゴーリィの妻、長谷川留美子は柔道のオリンピックゴールドメダリストである。
既に競技は引退しているが、地元の大学の柔道部で指導者として活躍している。今でも普段着よりも柔道着を着ている時間の方が長い、という生粋の柔道家だ。
「ルミ子さん、ボクはミカケダオシだから気をつけなサイって」
「あちゃあ、奥さんに言われちゃ、言い返せないねぇ」
村田は苦笑いを浮かべ、のんびりと巨漢と並んで歩く。
「おいおい、なんだァ手前ぇコラ、おいそこのデカいの?」
2人に後ろから因縁を付けてきたのは、顔にタトゥーの入った、所謂半グレと言われる者たちだ。
このところ物騒だ、と警官がぼやく元凶と目されるグループであった。
「なぁ、喧嘩売ってンだろ? なぁ、オラ来いよ?」
誰彼構わず喧嘩を売る悪漢として、警察もマークしている男だ。
タトゥーの男は、なぜか巨漢グレゴーリィではなく、小男な村田の襟首を掴む。よりによって、現役警察官の村田の襟首を、である。
「えーと、グレッグさん? これ、ねぇ? 掴んでるよねぇ?」
「да」
「じゃあ、あとで証言おねがい、できますかねぇ?」
「да、もちロンです」
「スパシーバ、グレッグさん。じゃあ――」
不意に、くるっと勢いよくタトゥーの男の身体が宙で半回転すると、アスファルトに後頭部を強打する形で強烈に叩きつけられた。
まるでお手本のような小手返しだ。
「抵抗すると痛いからねぇ? 警察にもね、逮捕術っていうのがあるからねぇ」
「Хорошо、村田サン」
「そのハラショーっていうのは知ってるねぇ。えーっと、20時20分。暴行ならびに公務執行妨害の現行犯で逮捕」
数名の半グレと思しき男たちは、ぽかんと呆気にとられたまま立ち尽くしていた。
タトゥーの男に手錠をかけた村田は、無線機を口に近づける。
「えー、至急至急。◯◯◯町5丁目のコンビニ前で乱闘。応援求む。一名身柄確保。繰り返す、至急応援求む」
村田はまたも短く交信を終えると、シワだらけの顔を悪漢たちに向ける。
「さてと、痛い思いしたくなかったら、そこから動かないようにねぇ?」
柔道6段、合気道7段、空手3段の猛者、村田康は、ニッコリと笑みを浮かべ指の骨を鳴らし始めた。
人を見た目で判断しちゃいけませんよね、というハナシです(`・(エ)・´)b




