王立学院は、逃げ場じゃない
王立学院の門は、思っていたよりも大きかった。
白い石造りの校舎。
広大な中庭。
制服姿の貴族子息たち。
俺は門の前で一度だけ深呼吸をした。
「緊張してる?」
隣から声がする。
見ると、腕を組んだ小さな影。
白銀の髪を揺らすリオが、当然のように立っていた。
「……してない」
「してる顔」
言い切られた。
リオは五歳の姿のまま、落ち着き払っている。
俺以外には見えない存在。
周囲の生徒がすり抜けても、誰も気づかない。
ただ、時折不思議そうに振り向く者はいる。
気配は感じるらしい。
「ママ、今日、運命動く」
さらっと爆弾を落とす。
「……不安になること言うな」
「大丈夫。悪い方向じゃない」
その言い方が、余計に不安だ。
入学式が終わり、各自教室へ移動する。
俺のクラスは特待生と上位貴族が混ざる特殊編成だった。
平民は、俺ひとり。
視線が刺さる。
ひそひそ声が聞こえる。
「純人族らしいぞ」
「平民だろ?」
「特待ってことは魔力高いのか」
慣れている。
目立たないように、窓際の席へ向かおうとしたそのとき。
「おい、そこの平民」
足が止まる。
振り向くと、金髪の貴族令息がこちらを見下ろしていた。
胸元の紋章からして、上位家門。
嫌な予感しかしない。
「その席は僕が使う予定なんだが?」
教室が静まる。
初日からか。
「空いている席を使うように言われました」
穏やかに答える。
角が立たないように。
「平民は後ろで十分だろ」
くすくす笑いが起きる。
その瞬間。
「触んな」
低い声が割り込んだ。
教室の空気が変わる。
振り向いた瞬間、目を奪われた。
黒に近い深い青の髪。
縦に裂けた金の瞳。
圧倒的な存在感。
……龍人。
この国でも最上位の種族。
王と同等の力を持つと噂される存在。
彼はゆっくり歩いてきて、俺と貴族の間に立った。
「席、早い者勝ちだろ」
静かな声なのに、圧がある。
金髪の令息が一瞬ひるむ。
「り、龍族だからって――」
「だから?」
たった一言で、完全に黙らせた。
沈黙。
教室の空気が凍る。
「……ちっ」
舌打ちして、令息は下がった。
小さな勝利。
けれど俺は戸惑っていた。
なぜ助けた?
龍人は俺を一瞥する。
金の瞳が、じっと見つめてくる。
まるで値踏みするように。
「……平民」
「……はい」
「名前」
「ルシア」
言った瞬間、なぜか胸がざわつく。
彼の視線が、わずかに揺れた気がした。
「……そうか」
それだけ言って、自分の席へ戻る。
背中がやけに大きい。
「ママ」
小さな声が耳元に落ちる。
リオだ。
金の瞳がきらりと光っている。
「この人」
短く言う。
「未来のパパ」
心臓が止まりかけた。
「は???」
声が出かけて慌てて飲み込む。
周囲には聞こえていない。
「龍。間違いない」
「いやいやいや」
否定したいのに、言葉が弱い。
だって――
さっきから、あの龍人の視線が妙に気になる。
ちら、と視線が合う。
すぐ逸らされる。
なのに、また数秒後には見られている。
「……なんで助けたんだろ」
ぽつりと呟く。
「もう始まってるから」
リオが静かに言う。
「未来、ちょっと変わった」
その言葉に、ぞくりとする。
「本来なら、さっきの貴族に目つけられて、あとで大きくなる」
「……大きく?」
「ママ、退学寸前まで追い込まれる」
血の気が引く。
「でも今、違う」
リオは満足そうにうなずく。
「龍が先に動いた」
教室の前方で、龍人がこちらを見ている。
まっすぐ。
迷いなく。
あの目は――
獲物を見る目じゃない。
何かを確かめるような、強い視線。
そのとき。
教室の扉が再び開いた。
「おー、新入生元気かー?」
明るい声。
入ってきたのは、長身の獣人だった。
茶色の耳と尻尾。
柔らかな雰囲気。
教師というより兄のような存在感。
「俺は戦術実技担当のグレン。困ったことあったら言えよ」
視線が一瞬、俺に止まる。
ほんの少しだけ、優しく細められた。
「……平民くん、緊張してるな」
自然に距離を詰められる。
嫌じゃない。
むしろ安心する。
「何かあったら俺のところ来い」
「……はい」
そのやり取りを、龍人が見ている。
面白くなさそうに。
リオが小さく笑った。
「独占欲、強い」
「……は?」
「これからもっとすごい」
怖いこと言うな。
でも。
なぜか胸の奥が、ほんの少しだけ熱い。
十五歳の春。
俺はまだ知らない。
この龍人が、十八歳で俺に跪くことも。
誰よりも溺愛してくることも。
そして――
この学院で、何度もざまあが起きることも。
リオが俺の袖を引く。
「ママ」
真剣な目。
「今度は、選んで」
「……何を」
「幸せになる方」
その言葉が、胸に落ちる。
王立学院は、逃げ場じゃない。
未来を書き換える舞台だ。
そしてその中心に、
俺と、未来から来た子供と、
金の瞳を持つ龍人がいる。
物語は、もう動き出している。




