Ep1-4 シエスタ・デイズ
ネットで調べた知識をこっそりと試したくて英太は学校の裏庭に向かう――
やっぱりせっかく超常現象の再現実験をするなら広さと高さがある場所で試したい。今日は昨日とは別の弁当ポイントにやってきた。
この場所、なんとなく気分が落ち着くっていうか、空気がいいんだよね。
いろんな弁当ポイントを開発しているということは、ボッチ飯のプロじゃないかって?
いやいや、そんなわけないじゃん。ほら、雨の日とかは屋上階段って人気高いし。昨日みたいに先客がいた場合は譲るのがマナーでしょ。だから毎日のお弁当タイムを快適に過ごすには、いくつか場所の候補は持っておくよね?ふつう。
ここは非常階段の先が藪になっているせいで虫が多くあまり人が来ない。俺も冬場以外はあまり利用しない弁当ポイントなんだけど、今日は石の実験のために早弁をしたから問題ない。カトウがしつこくサッカーに誘ってくるのを断るのに苦労したけど。
あ、ちなみにカトウの漢字は河隝と書く。河は川の意味で、隝は三百六十度海に囲まれた陸地、すなわち島という意味らしい。『だったらカワシマでいいじゃん』って言ったらぶん殴られそうになった。
人の名前はイジるものではない。どんな思い入れを持っているかは人それぞれだからね。みんなも気をつけよう。
「さてと、せっかくだから手摺りの上から行くか」
塗装がはげてサビサビになっている手摺りによじ登る。非常階段の最初の踊り場部分なので地面までそれほど高さはない。
壁に手を当ててバランスを取りつつ、ポケットから石を取り出し左手に握る。
軽く目を閉じてプールサイドに立っている自分をイメージする。
地面から五十センチほどの高さまで水が溜まっている浅めのプールだ。あまり深いと溺れても嫌だし、浅すぎると飛び降りたときに怪我をするかもしれない。だからちょっと高い場所から膝くらいの水深の子供プールに飛び込んでみる感じを想定している。
今回やりたいのは少し離れた場所の空気を水のような粘度に変えられるかという実験である。
手に握った石が熱くなってきた。そろそろよさそうだ。
ゆっくりと目を開ける。
草むらが目に入るがこれといった変化はない。風でも吹いてくれたら葉っぱの揺れ具合で超常現象が起きているかどうかを判断できたんだけど。
今回はゆっくりしっかりイメージしたからだろうか、石は最初に少し熱くなったけれど、今は人肌より少し温いくらいの温度で安定している。ほんのりと発熱状態が続いているから魔法効果は継続しているのだろうと推測する。
魔法が発散して消えてしまわないうちに効果を確認してみよう。
「とうっ」
イメージした浅いプールに腹打ちする感じで飛び込む。
とぅっ。
「あーっ、ここにいた。やっと見つけた!」
えっ?
聞き覚えのない高めの声が飛んできて、思わず空中で振り返る。
昨日の屋上階段の女子が腰に手を当ててこちらに指を突きつけている。
仁王立ちで肩幅より広めに開いた足がすでに短いスカートの裾を持ち上げてすれすれだ。
うん。男の子だからそこに目がいくのは仕方ないよね。性だよね。
どっぱーん
音はしないけれど体感はそんな感じ。五十センチくらいの高さまで溜まった水のように抵抗感のある空気に着水ならぬ着気する。
飛び込みのときのような腹打ちの痛みがないのは服を着ているからなのか、抵抗があるとはいえ空気だからなのか、などというとりとめのない思考が脳を過る。
俺の体を受け止めた空気のプールが大きく波打った。
押しのけた波はひざ丈より少し高い位置で周囲に波及し、雑草が水藻のように揺らいで空気の動きを視覚化する。目に見えない空気の波頭が、仁王立ちする女子の膝頭を越えて打ち寄せ、頼りないチェックの布切れを押し上げる。
「!!」
声にならない悲鳴を上げて女子の顔が引きつるのが見えた。当然、スカートの中も。
言い訳をさせてください。
だってしょうがないじゃないですか。誰もいないと思って秘密の実験をしているところに背後から声を掛けられたら普通振り向くよね。で、一連の空気の動きでアレがどうにかなってしまったら、視線の方向にナニが見えるのは当然じゃないですか。そんなの、フリーハンドでも簡単に図を描いて証明できますよ。不可抗力の必然的な成り行きだって。数学幾何は得意分野だし。
耳まで真っ赤にした女子が突き付けた指もそのままに俺を糾弾する間、そんな台詞が脳内を駆け巡っていた。
「まったく。昨日に続いて二日連続で覗くなんてサイテー」
やっと落ち着いてきた女子が正座してしょんぼりとうなだれている俺を腕組みしながら見下すように軽蔑の眼差しを送る。
「……すみません」
俺が悪いんじゃないんだけどね。間が悪かったんだよ。
「まあいいわ。出しなさいよ」
「へ?」
「詫びよ、詫び。誠意を見せなさいって言ってんの」
「あ、はあ」
見かけによらず、この子、ヤンキーだったんだ。
尻ポケットのナイロン製折りたたみサイフから硬貨を取り出す。
「ちっがうわよ!」
「えっ、お札?」
近頃のJKの相場を知らんのか、という感じで激おこなんですけど。これ、他責事故なんだけど俺が払わないといけないのか?
「バカ言わないで。詫びと言ったら石でしょ」
「あー、詫び石か。でもどのソシャゲ?」
プレイヤー間で贈り物ができるタイトルだといいんだけど。
「アプリの虹色石なんかもらったって嬉しくないわよ。量子結晶よ、量・子・結・晶。あんた、持っているんでしょう?」
あー、これのことか。
左手を開いて小さくなった石を見つめる。
「あー!なんでもうこんなに小さくなっているワケ?バッカじゃないの?!稀少な量子結晶をエッチなことに使いつぶすなんて。やっぱり私が使ってあげるほうが有意義だわ」
「いや、エッチなことに使ったわけじゃないよ。二回くらいお試しで使ってみただけで……」
「はあ?術式をたった二回使ったくらいでこんなにチビっちゃくなるわけないでしょう?もしかしてあんた、シロウト?道具も使わずに直接石を使ったの?バッカじゃないの?」
そりゃあ、シロウトには違いないけどさ。そんなにバカバカ言わないでほしい。高飛車女子に正座させられて上から何度も罵倒を浴びせられるなんて……ご褒美?
いやいや、それはアニメや漫画だからであって、現実ではやっぱり怖いし嫌なものだ。
「……あのさ、俺は悪くないと思うんだ。全部わざとじゃないし。それにそんなにしっかり見たわけじゃ……あー、さっきのは割としっかり見ちゃったけど……」
「あーっ、これ、白結晶じゃない!量子結晶の中でも一番純度が高いヤツ!あー、もうバカバカバカ。シロウトがこんなに無駄遣いしちゃってぇっ!」
俺がなけなしの勇気を振り絞って出した小さな抗議の声はバカのバーゲンセールにかき消されて届かなかったようだ。
「あんた、これをどうやって手に入れたの?」
「えーっと、道端で拾いました」
「採掘品?どうりで成形されていないわけね。それにしてもこんなに純度が高い結晶が出るなんて……あなた、これを拾った場所に案内しなさい」
「なんで俺が……」
「私のパンツ、見たんでしょ?こんなチビた石じゃ足りないわ。だから情報もよこしなさい。いいわね?今日の放課後、昇降口で待ってなさい」
それだけ言うと、女子はふん、と踵を返して教室のある校舎の方へ帰っていった。
「俺の石……」
石を人質に取られては言うことを聞かざるを得ない。膝の土埃を払いながら悲しくなってきた。
どうやら俺はもうすっかりあの石の魅力に取りつかれているようだ。
突然現れた女子に石を不当に取り上げられた英太は、意図せず深みへといざなわれていく――




