Ep4-13 結末と決意
決着がついたはずの封印された空間で、密かに動き出すものがあった――
***
照明の落ちた禁書庫の中で、ナノマシンによる分解が静かに進行していく。四百年開かない封印といっても中の時間が止まるわけではない。やがてナノマシンはセルロースの鎖をすべて分解しつくし、使命を終えて無価値なただの分子量の大きい有機物の残滓へと還っていった。
すべてが終わり、静寂に沈んだ禁書庫は長い長い休眠に入った――
――はずだった。
キュゥゥゥン……ピッ、ピピピ、ピ……
電子回路のキャパシタに電荷がチャージされるような音とともに、裏返しに打ち捨てられていたクモ型ドローンの脚部関節から青い光が漏れる。
細長い歩脚を構成する七つの節のうち、最も太い腿節が胴体側からずるりと抜け落ちる。アルミ合金製の殻の中からさらに細い脚が何本も伸び出して、ヤドカリのようにカサカサと床を這い、台座を登っていく。
合計五体の細長い小型ドローンがグルコースの固まりと化した『白い焚書』のガラスケースの前後左右および上面の五か所に取りつくと、互いに細い腕を伸ばし合って結合していく。
ガラスケースを覆うように組み上がった装置が、ケースの内容物に向けてぎらつく青色のレーザー光を放ち、ゆっくりと分子の一層一層を撫でるようにスキャンしていく。頭頂部の突起にあるインジケーターが高速でデータを送信するようにせわしなく明滅し、禁書庫の壁に不気味な陰影を作っていた。
ドローンがスキャンしたデータは量子通信で遠隔地にあるサーバに直接アップロードされていく。リアルタイムで蓄積されていくスキャン結果からもとの文書に記されていたインクの位置情報を抽出し紙面が再構築されていく。
『うふふ、上手くいったね』
モニタから響くボーイソプラノの声に、コンソール前に座って作業しているオペレーターの手が止まる。
「計画値からの乖離は許容範囲内に収まっています。遂行率は九十八パーセント。全体として良好な結果と言えますが、現時点で完遂したとはいえません」
『人間なのに厳密だねぇ、クロエは』
「ドキュメント再生作業完了。内容チェック。全文の有意性クリア。五か所の誤りを検出。読み取りエラーではなく原文の誤字と判断します。修正せずコメントを付記して保存します。作業完了。現時点をもってプロジェクト完遂を確認いたしました」
『やれやれ、味気ないなぁ。きみは』
「雑談をご所望でしょうか?」
『いや、いい。ご苦労さま。作戦終了、オペレーターは撤収していいよ』
「了解です」
『さて、次は……』
***
「運営の裁定が出たぞ。レイドの勝者はノクターナル。俺たちは次点だそうだ」
「くそッ」
だんっとケイタの拳がテーブルを殴る。
乱暴な振る舞いを予測していたリーダーとトオノさんが事前に紅茶の入ったマグカップを持ち上げていたため、目立った被害は出なかった。
「次点ってなんです?初めて聞くなぁ」
「今回のレイドはいろいろと異例ずくめだったからな。ミッション成功条件が二つあったろう?あれはどうやら依頼主側で派閥争いをまとめきれなかったせいらしい。結果的に俺たちとノクターナルがそれぞれのメルクマークをクリアしたからな。依頼主の両派閥が面子を潰されずに済んだことをいたく喜んで、両者を勝ちにと言ってきたらしい。困った運営が次点ってことで俺たちにも成功報酬を出してくれることになったんだ。いやー、太っ腹だねえ」
「やった」
メイさんが小さくガッツポーズをとって、ぐふふと笑う。
「じゃあ何で勝者はノクターナルなんだよ?俺たちでもいいじゃんか」
「一応、こっちも食い下がったんだぞ。ナノマシンは発動していたから結果は確実だ、先に目標を達成したのは俺たちだ、ってね。だが連中も曖昧な裁定を出すわけにはいかないんだろう。『消去が不可逆的に始まっていたことは認められるが、封印によって結果の観測は不可能となった。ゆえに消去は未確定事象とみなし、勝利条件を満たしたのは封印側である』ってのが公式見解だそうだ」
「コペンハーゲン解釈かぁ。観測されるまで『白い焚書』は半分存在してて半分消滅している、ってわけね。それをいわれちゃったら量子工学を扱う者としては反論できないなあ」
トオノさんが、たははと苦笑する。さしずめ、シュレディンガーの禁書ってところか。なんかちょっとカッコイイかも。
「くそッ」
ケイタの二度目の悪態は勢いがなかった。
「えっと、じゃあ俺の立場は……」
「おまえはレムナンツ・ハンズからは除名だ。ノクターナルがどうするかはあっちの問題だから俺は知らん」
カサギさんは俺を見つめながら淡々と告げた。
「はい。分かりました」
レイダーを続けるのかどうか。それはおまえが決めることだと言われた気がする。
「すみません、俺、ノクターナルに移籍します」
トオノさんはもともと淡白なところがあるから笑って送り出してくれるだろう。
メイさんはほとんど接点がないから気にしないと思う。現に今もひとりだけモニタに向かってヘッドホンを鳴らしているし。
ケイタは恩知らずと言って怒るだろうか。
「なンだ、シケた面してんなぁ」
バシンと背中をどやされる。
「あの、俺、いろいろ教えてもらったのに、ホントすみません」
「チーム間の移籍はよくあることだ。気にするな」
「でも、これから俺は敵に回るわけで、その、なんていうか……」
「ハハハ、敵ってなんだよ。オレと英太はダチだろうが。レイドで会っても仇じゃねぇ。ライバルだ。正々堂々やりあおうぜ」
「ケイタ……」
「英太はまだひよっ子だけどきっと強くなる。同じチームだと本気でバトれないだろう?むしろ楽しみだぜ」
「……お手柔らかにお願いします」
ニカッと笑って掲げたケイタの手に、叩きつけるようにしてがっちりと握手をした。
帰りの移動中に電車の窓から新宿の時計塔ビルを見かけた。
あのとき、あの場所から始まった。
巻き込まれていろいろあったけれど、今度は自分から飛び込むんだ。
いまなら禁書庫で感じたムズムズする気持ちの意味が分かる気がする。
これは恐れと期待の混じった武者震いだ。
どんなフィールドだろう。
どんなギミックが行く手を阻むのか。
お宝はいったいどんなものなんだろうか。
次のレイドこそ勝つ。勝ちたい。
俺は胸の奥に灯った小さい炎を、ただぎゅっと握りしめて窓の外を見つめ続けた。
〔アーバン・レイダース序 完。破の章に続く〕
レイダースの世界に飛び込むことを決意した英太は、知られざるOZの目的に否応無く巻き込まれて行く。レイドは、冒険は、英太をどんな景色へと導くのだろうか。たどり着いた先で英太は何を思うのだろうか――




