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Ep4-11 無火ヲ以テ書ヲ焚ク

禁書庫に入ったレムナンツ・ハンズは用意した取っておきの方法で禁書に処置を施していく――

 中は大人が数人は入れるほどの広さがあり、真ん中の台の上には透明な強化ガラスの箱がかぶせてある。強化ガラスの箱の中にはごく普通の紐閉じの資料が鎮座していた。

 厚紙でできた表紙には糊付けしたラベルが貼られている。


『都市広域区画を対象とした結界封鎖・住民選別技術の実験記録――都市戦略環境安全局』


「すぐにノクターナルが来るぞ。直接邪魔はしてこないと思うが、一応妨害工作には気をつけておけ」

「はいよ。カサギさん、保護ケースを浮かせて。ケイタ……じゃなかった、英太は僕が合図したらボタンを押す。オーケイ?」

「わかりました」

 『天使の遺灰』のときに使ったのとそっくりなガジェットを手渡される。もしかして同じもの?

 トオノさんはバックパックからクモ型のドローンを取り出す。

「それって、OZのドローンですよね?大丈夫なんですか?」

「ああ、制御基板から電源まで全部交換したからね。残っているのは骨格とお腹の部分の収容箱ペイロードだけさ」

「なんで持ってきたんです?」

「こいつの腹の収容箱が必要だったんだ。前回の戦利品の中に『天使の遺灰』がほんの少量残っていてね。いや、ホントにニ、三粒なんよ?不活性化されてたヤツだし」

「バレたらまずいんじゃ……」

「大丈夫だって。知っているのはチームメンバーだけだし、もし見つかったら一蓮托生だしね」

 いや、何してくれてんですか。テヘペロじゃないっすよ。

「ナノマシンを再活性化する術式はどうしても解析できなくてねぇ。ただ、ナノマシンを術式でコントロールする方法だとか、触媒のように分子に作用させる方法だとかいろいろと技術的な収穫はあったよ。で、今回のレイドに向けて自分なりに改造を加えて作ったナノマシンがこちら」

 じゃーん、という感じでクモ型のドローンの腹を開けて見せてくれる。中にはひとつかみほどの量の灰色の粉が入っていた。

「これがナノマシン?」

 ただの灰にしか見えないけど、そういえば声だけの参加だったOZのリーダーも教会の失われた遺産(ロスト・アセット)を『天使の』と呼んでいたっけ。

「……危なくないんですか?OZの人は触れたらどうなるか分からないみたいに言ってたと思うんですけど」

 思わず後ずさる。

「へーき、平気。まったく同じものってわけじゃないんだ。アレは有機物から水素と酸素を抜き取るものだったから人体にも影響があったけれど、今回僕が用意したものはセルロースにだけ作用する術式になっているんだ。人体には含まれないから大丈夫!」

 Vサインでアピールするトオノさん。

「ただね、ナノマシンを安全に運ぶ方法がなくてね。普通の入れ物(ケース)だと劣化が早くて半日ほどで稼働率が半分になっちゃうんだ。こいつのペイロードには何かの保護術式が施されているみたいでね。この中に入れて運ぶ分には性能が低下しないんだ。でもそっちの仕組み解明にまで手が回らなくてね。ドローンのガワだけを再利用させてもらったってわけ」

 話しながらもトオノさんの手は止まらない。台座に鎮座している書類に灰色の粉をまんべんなくかけていく。

 カサギさんが強化ガラスのカバーを戻すと、トオノさんが俺を振り返った。

「よし、準備完了!英太くん、やっちゃって」

「はい」

 俺はずっと握り締めて待機していたガジェットの大きなボタンに手のひらを当てる。

「いきます」

「やれ」

 リーダーの号令に後押しされてボタンを押し込む。

 あの時と同じように、手のひらから力を吸われているような、こちらに流れ込んでくるような奇妙な交感感覚をこそばゆく感じながらガジェットを見つめる。ランプは緑色グリーン。地下聖堂で感じた時間停止のような感覚は訪れないが、トオノさんが作ったナノマシンは正常に起動したようだ。

「おほ、動き出した。へぇ、こんな風になるのか」

「おい、実験で効能は確認したんじゃないのか?」

 レイドの勝敗を分ける切り札と言っていたはずだ。それが動作未確認のギャンブルと聞いては驚きの声を禁じ得ない。

「もちろん効果は確認済みです。でもラボでは普通のコピー用紙を使いましたから。現代のコピー用紙は植物由来以外の成分を多く含みますからね。ナノマシンで分解したあとの仕上がりがちょっと違うんですよ」

 トオノさんがガラスケースの中を覗き込みながら言葉を紡ぐ。

「分解、ですか」

「そう。今回のレイド『白い焚書』の達成条件は書類の完全消去か完全封印。僕たちレムナンツ・ハンズは完全消去を選んだわけだけど――」

 焚書ふんしょ。本を燃やしたり裁断したりして処分することだ。だが、その単純な動作を表すためだけに専用の二字熟語が用意されているのには理由がある。

 本が大量生産できず希少品だった時代、知識が詰まった書物を燃やすという行為はそこに記された思想や歴史を消去することと同義だった。天下を奪取した権力者が敵対する者を弾圧し自らの正当性を確立するためにしばしば行った行為である。本の価値を理解する知識人にとって、それは大量虐殺にも等しい野蛮で無慈悲な行いなのである。『焚書』という言葉には知性に対する冒涜行為への非難が込められているのだ。

「――やっぱり本を燃やすのって嫌じゃない?」

「そう、ですね。なんとなくわかります」

 俺が神妙な顔で答えるのを見て、トオノさんもうんうんとうなずく。

「だから燃やす代わりに、分子レベルで分解することにしたんだ」

 なるほど……わからん。

「本は植物由来の天然繊維でできている。植物繊維はセルロースという分子でね。これはグルコースがβー1,4グリコシド結合で直鎖上に結合した高分子なんだ」

 トオノさんの説明が熱を帯び始め、専門色が濃くなる。

「で、僕のナノマシンはその結合を狙いすまして切断していくんだ。触媒のように分子間をつなぐ電子の橋を外しながら鎖を解きほぐしていくのさ。結合を失ったセルロースはただのブドウ糖の集まりになる。そして、『白い焚書』は文字通り、白い粉末になって失われるというわけさ。見てごらん」

 トオノさんが空けてくれたスペースからガラスケースの中を覗き込む。

 昭和の時代に綴られた黄ばんだパルプ紙の積層がじわじわと一枚一枚の実体を失い、白い砂糖菓子のように変化していくのがわかる。だが、表紙に貼られたラベルの文字はくっきりとした輪郭を保っていた。インクは鉱物を材料にしているからナノマシンの攻撃対象外なのだろう。

「あと五分もすれば分解が完了するよ。ガラスケースの中に入っているから粉になっても原型をとどめているけど、取り出そうとしてケースを持ち上げたら……」

 フッとろうそくを消すように息を吐く。

 俺の脳裏にも、わずかな振動で崩れ去り風に舞い上がって消える光景が思い浮かんだ。

 そこに見えるのに手に取ろうとすると塵となって消えてしまう。読むことが許されず、さりとて燃やすことも叶わなかった書物の最期に相応しいなと思えた。

「目標達成だな」

 カサギさんも安心したように笑顔を見せる。


 ***


『目標達成だな』

「やったぜ、リーダー。俺たちの勝ちだ!」

 待機ポイントでヒャッホー、とケイタが歓声を上げる。

 彼は留守番だったのでボディカメラ映像と音声回線のモニタだけで参加だ。一方通行の情報にやきもきしながら見守っていただけに勝利の報告はことのほか嬉しいようだ。

「あの赤毛女に目にもの見せてやったぜ。へへっ」

 と、ケイタが噂をしていると、その相手の声がモニタから聞こえてきた。

『あー、また先を越された。英太のくせに生意気!』

『片梨さん』

『遅かったね、ノクターナルさん。「白い焚書」はもう消去済みだよ』

「そうだぜ、トオノ、言ってやれ。いまさらのこのこ出て来たって獲物は残っちゃいねぇってな」

『ふーん。でもまだ終わってはないみたいね』

「なんだとォ、負け惜しみを言ってんじゃねぇ」

『時間の問題さ。あと五分もすれば全部粉になって消えてしまうんだ。おっと、処置を止める方法はないよ。なんせ、僕も止め方を知らないんだからね』

「ほーらみろ、無駄なんだよなぁ」

『最後まで見届けられればね。ところで用が済んだなら早くここを出たほうがいいわよ』

『ちょっ、おま、全員退避ーっ!』

 リーダーのボディカメラ映像が慌てたように乱れる。

「えっ、ちょっと、何があったんだよ!おい、リーダー、おいって」

 モニタを揺さぶるケイタの横で、メイは関心なさそうに棒付きキャンディーを咥えていた。

タッチの差で獲物を逃したノクターナルだったが、なぜか桔花の態度には余裕があった。モニタ越しに見守るケイタには現場で何が起きたのか知るすべはなかった――

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