Ep1-2 ニアミス
新宿駅新南口。十数本の線路を見下ろす歩行者用デッキから時計台ビルがよく見える。
午前2時をまわっている。
大都会とは思えないほどに、こんな時間の新宿はやけに静かだった。
新宿まで自転車で来れるんだという新鮮な驚きと、やっちまった、どうやって帰ろうという後悔にも似た焦りが交錯する。
さすがに帰り道は行き当たりばったりでは無理だ。
時計台を見るまでは、意地になってスマホを開かずに来た気持ちも新宿にたどり着いたという謎の満足感で治まっていた。
ルートを検索しようとロック画面を開くと、電池のマークの底にわずかに細く赤い線が表示される。充電が残り4%だった。
しまった、家で動画を流し見していたときに充電をし忘れてた。くっそー、Yxxチューブめ。二度と見るか。
充電しようにもお金がない。
最近はファミレスも深夜営業していないし、ネカフェに行くだけの金も持ち合わせていない。コンビニを探せば数百円で充電できるところもあるだろうけど。
幸い充電器はサブバックに入っている。どこかコンセントがあれば……。
そうだ、昔、父さんとバスでキャンプに行った際に新宿バスターミナルでコンセントを借りたっけ。あそこなら深夜でも安全そうだ。
新宿バスタの入り口を探す。
が、入り口は閉まっていた。
午前一時に一度閉店して営業を再開するのは午前三時半か。
あと六十分ある。どうしようか。
どこか路地裏の自販機のコンセントから借電できないかな。
そんなことを考えながらあたりをぶらつく。
新宿駅のこちら側はオフィスビルやデパート、家電量販店が立ち並んでいるからか、この時間にはひと気がなかった。駅の反対側はどぎついネオンサインのような色で輝いている。不夜城と呼ばれた新宿はあちら側らしい。
西口のビル街に警察官らしき姿が見えて思わず隠れるように路地に入る。
さすがに高校生がこんな時間にうろついていたら一発で補導されるだろう。
奥まったビルとビルの間に自動販売機の照明が点灯していた。
コンセントがないかなと自販機の横にしゃがみ込む。残念ながらコンセントは対策がされていて勝手につなぎこめなくなっていた。
明かりの消えた電飾看板があったのでコードを辿ってさらに奥に向かう。だけどそこのコンセントも使えなかった。
「素直に新宿バスタが開くまで待つかな……」
そう独り言ちて頭を起こした瞬間、視界の端を紅色の炎が横切った。
「!」
ビルとビルの隙間の上空を、翼を広げた鳥のような形をした炎が飛び過ぎる。
一瞬のことだった。
が、確かに睥睨するオレンジの瞳と目が合った。
自分が見たことで相手にも見られた。それが分かった。
その刹那、背筋を凍らせるような冷気が走った。
周囲の気温が一気に下がったような錯覚を覚える。
俺は思わずたじろいで一歩下がる。
足元でパキッと何かを踏み潰した音がした。
目の前のビルは落書きされたシャッターが下りており、壁面から突き出た看板も裏返しになって長い間使われていないことがうかがえる。無人のビルの入り口は閉ざされた洞窟のようにも見える。
その入り口のわきを飾るように五角形の結晶が重なり合う群晶が突き出ていた。
「何だろうこれ?きれいだな」
折れた結晶のひとつを拾い上げ、ビルの谷間の狭い夜空にかざす。が、良く見えない。
そのとき、少し離れたところで映画で聞く銃声のような音が響いた。
タタタタッ、タタッ、タタタッ
まさかね、と思ったけれど怖くなって路地から引き返すことにした。
結局、時計台ビルの見えるデッキでバスタ新宿の開店を待つことにした。
午前三時三十分に入り口が開き、三階の東京観光情報センターで無料コンセントを借りて充電する。
充電しながら地図アプリを開き、自宅までのルートを検索する。
「あれ?こんな表示あったっけな?」
どことなくアプリの画面表示に違和感を感じたけれど、最近バージョンアップしたんだろうと推測して気にせずに操作を続ける。
「最短ルートより大きな道路沿いのほうが分かりやすそうだな。時間もそんなに変わらないし」
地図アプリによると、ここから自宅まで自転車で一時間かからないらしい。
急げば母親に気づかれずに布団にもぐりこめそうだ。
俺は夜明け前の街道に向けて力強くペダルを踏み出した。
***
「なあ、リーダー。本当にもう帰っちまうのかよ」
「相手はノクターナルだ。たとえお宝の眠る本丸までたどり着いたとしても、一対一の争奪戦になったら勝ち目はねぇ」
「そんなの、やってみなきゃ分かんねぇじゃん」
「相手は訓練された本物のプロだ。火力も練度も到底足元にも及ばんよ」
「あははは、リーダーのそういう見切りの早いところ、嫌いじゃないすよ」
「ちっ、ギーク野郎はすっこんでろ」
ケイタがトオノをぎろりと睨みつける。
「自分より強い相手とやりあってこそ、強くなれるんじゃないっスか」
「馬鹿やろう。素人の喧嘩じゃないんだ。一銭にもならないどころか、損害が増えるような作戦を遂行できるか」
「けどよぉ、リーダー。それならなおさら、量子結晶を手に入れなきゃダメじゃないか?メイが言ってたけど、参加フィー分の五百ジェムだけでも回収しないと次がねーじゃん」
「むぐぐ」
「まあ、今回はツイてなかったってことじゃん?」
「黙れ、腰抜け。あーあ、オレ、ツキはあるほうなんだけどなぁ。ん?」
ケイタが頭の後ろで手を組んで空を見上げたポーズから急に横を見る。何か見つけたのか、そのままダッシュで路地に入っていく。
「どうした?ケイタ」
「カサギさん、来てくださいよ。これ、量子結晶じゃないっスか?」
「ほう、こりゃあ、ハグレだな」
たいていの場合、量子結晶体はターゲットである失われた資産の近傍に晶出する。目の前の量子結晶体のようにターゲットから離れた場所で偶然発見されるものはハグレと呼ばれ、その近くには未知のロスト・アセット級のお宝が眠っていることが多い。
「ちょうどいいや。さっきバロック・ドッグスの連中からがめてきた量子位相観測機があるから使ってみよう。タダだし」
トオノが手のひらサイズの黒い立方体を地面に置いて操作する。
この量子位相観測機、通称ソナーは純度の高い量子結晶体を消費する。なので、通常は無駄打ちできないのだ。今回は競合チームから奪った戦利品なので使っても懐は痛まない。
トオノが黒い立方体の頭頂部を指でなぞると、のっぺりとした表面に青い線が現れて複雑な幾何学模様を描き、描いた端から消えていく。同時に不可視の光が周囲をセンシングしていき、次々と量子結晶の群晶が現れる。
「すげぇなこりゃ。大当たりだ……」
落書きで埋め尽くされたシャッターの入り口を取り囲むように無数の群晶が生えている。数だけでなく、サイズもなかなかのものだ。
「ざっと五千ジェム。大幅黒字……」
「どわっ、どこから湧いてきたの。メイ。きみ、逃げたんじゃ……」
美しい光景に見惚れていたトオノが驚いて飛びのく。
メイがふるふると首を横に振る。
「逃げたのと違う。安全な場所で待機してた。ぶぃ」
「ちゃっかりしてるなぁ。まあいいさ。これだけ大量だと運ぶのに人手がいる。手伝えよ」
「うぃ」
メイが小さくうなずく。
量子結晶はほとんど重さを持たないが、体積は見た目通りに嵩張る。移動にもたついているとレイドに参加している競合チームに襲われて全部奪われかねない。ちなみに量子結晶の強奪は運営もノータッチ、すなわち合法だ。
「……なあ、リーダー。おかしくないか?」
「どうした?ケイタ。何か気になることでもあるのか?ハグレにぶち当たるなんざ相当珍しいことだがないわけじゃない。とくに新宿みたいないわくありげな街ならな」
「そっちじゃねぇよ。最初からこの場所に量子結晶が見えていたことさ」
「運がよかった……ってんじゃないな。なんでピンを打つ前から群晶が実相化していたのか、ってことか……」
「ここ、量子結晶が一個欠けてる。それに足跡……」
メイが最初にあった群晶のそばにしゃがみ込んでスマホのような装置で撮影している。
「ホントだ。踵の痕がくっきりと残ってやがる。量子結晶を踏み潰すなんざ、どんな大男だ?」
「これ、踏み潰したんじゃないな。踵のところから量子結晶が生えたってことじゃない?」
「そういわれてみればそう見えるな」
「……身長百六十八センチ、体重五十四キロ、十六歳。都内に住む高校生男子」
メイがスマホ風ガジェットに表示された足跡のプロファイリング結果を告げる。
「こら、レイドに関係ないことに機材を使うな。タダじゃないんだぞ」
せこい叱責を飛ばすカサギ。
「これ、靴跡から抽出した量子もつれサンプル……」
いつの間にか作成した五センチメートル程度の短冊形のプレートをケイタに手渡す。プレートは四分の三が透明な板で、取っ手にあたる部分が黒い艶消しのモールドになっている。
「材料費込みで五ジェム」
「ちっ、オレの取り分から引いておいてくれ、カサギさん」
「まいどありー」
乱暴にサンプルプレートを受け取るケイタにメイが小さくブイサインを送る。
「メイのそういうぶれないところ、好きだわー」
と、からかうようにトオノが言った。
気まぐれで拾った謎の結晶が、交わるはずのなかった世界と英太を結びつける――




