Ep4-10 禁書庫の番人
桔花の機転で迷路の罠を抜けたノクターナルがたどり着いた先は――
書棚の角を進んだ先は黒い霧に覆われた空間だった。
直接目で確認できないが左右には壁があることが感じとれ、高い天井の気配もある。どことなく洞窟のような、少し広い通路になっている印象だ。
漣を先頭に縦列で通路を進む。
しばらく行くと霧が晴れてきた。
正面に、ごつごつとした鉄鋲が打たれた巨大な黒い門が現れる。
門の前には牛頭に雷光をまとった人の倍ほどもある鬼が立ちふさがっていた。
「雷牛……」
鬼門を護るという言い伝えがある怪異だ。
神の使いであり、鬼門に入ろうとする者を排除するとも、鬼門から出ようとする物の怪を閉じ込めているともいう。
手にした武器は先端部分が太くなった柄の長い棍棒から星と呼ばれる鉄の突起がいくつも飛び出している。金砕棒と呼ばれるものだ。その立ち姿は正しく鬼と呼ぶにふさわしかった。
様子をうかがいながら漣が門に近づく。
すると、数メートル手前で雷牛が一歩前に進み出た。
『……資格無き者は去れ。去らぬ者は骸となれ……』
直接頭蓋骨に響くような割れ声で怪異が警告を放ち、金砕棒を振り上げる。その威圧だけで、普通の人間ならば腰が抜けただろう。
頭上の雷雲がパリパリと雷光を走らせ、腹を空かせた肉食獣の唸り声のような雷鳴を響かせる。
「物理プラス雷属性の攻撃か。厄介だな」
それでも値踏みするように相手を観察している漣の肩を桔花がそっと抑える。
「化け物相手の荒事ならあたしの領分よ」
ニヤリと笑みを浮かべながら一歩前に出る。
拳を手のひらに押し付けて闘気を漲らせて進み出る桔花に対し、雷牛が感情を感じさせない黒曜石の眼を向ける。
すると、頭上を覆っていた暗雲から雷光が消え雷鳴が収まった。
怪訝な表情を浮かべた桔花がそのまま前に進み出ると、雷牛がゆっくりと門の脇へと引き下がっていく。
「何もしていないのに?……何なのよ、こいつ」
偶然よ、きっと。桔花は心の中で自分に言い聞かせた。
門を見上げる位置まで桔花が進み出る。
門扉には五角形に配置された大きな丸と中心部の小さな丸から構成される梅鉢紋が描かれている。
桔花がさらに近づくと右上の星が朱色に光りはじめる。
すぐに門扉の中央に線が奔り、扉がゆっくりと左右に分かれて開き始めた。
「何なのよ、これ……」
「おまえの血筋に反応したのだろう」
桔花が聞きたくない答えだと知りつつ、漣は無情に告げる。
「……そんなもの、今さら誇りに思えっていうの?」
誰にも聞かせない小さなつぶやきは、周囲の闇へ消えた。
桔花が門をくぐると、そこには黒のモーニングコートをまとい、銀にも見紛う艶を湛えた白髪の女性が立っていた。滲み一つない白手袋を揃えて深々とお辞儀をしている。
「ようよう揃いましたな。貴人様御一行も先にお待ちです」
じっと初老の女性を見つめる桔花。彼女は面識があるようだ。
「ふん、北家のあなたがいるということは、これはすべてあいつの掌の上ってことかしら」
「そうではありません。わたくしは主家の義務としてのお勤めを支えているだけにすぎません。他意はございませんよ」
上品な声音には桔花を侮るような色合いはなかった。
「貴方様もお久しゅう」
だが、漣に向けた笑みには何か含みがあるように見えた。
それを無視して漣が問いかける。
「ターゲットはどこだ?まさか今更謎かけをやろうというのではあるまい」
苦労を重ねた侵入の先に誰かが待ち受けているなどとは想像もしていなかったが、漣は驚きの感情をおくびにも出さない。
「ご案内いたしましょう。こちらです」
綾神家の家令に促されて二人は禁書庫の中を進んでいった。
***
「なんだこりゃ?何もないじゃねぇか」
隠し通路の奥、禁書庫の入り口と思われる木製の扉を開けると、中は四畳半ほどの会議室のような殺風景な小部屋に続いていた。目当てのお宝がしまい込まれた箱か金庫のようなものが並んでいる光景を想像していたカサギは思わず声を裏返して言った。
部屋の中央にはしっかりとした造りだが装飾のないシンプルな木の机が一台あるだけだ。
近づいてみると、机の上に魔法陣が描かれた紙が一枚だけ置かれている。
「これを起動しろってことですよね?」
「まあ、ここで罠が発動ってことは無いと思うけどな」
「……確かめる方法はないんでしょうか。どんな作用があるとか」
魔法陣のジャンルが分かれば少なくとも心の準備はできる。攻撃系のものなら防御を固めておけばいいし。最悪なのは転送系だ。ゲームでも宝箱を漁ったらレベル違いのモブ敵がわんさかいる洞窟に飛ばされて脱出できるまで何日間も泣きながらプレイする羽目になったし。あれをリアルで喰らうのは勘弁願いたい。
「うーん、こういう本格的な術式って苦手なんだよね。基礎術式を組み合わせて機能を実現しているようなシステマチックなものなら分かるんだけど。ま、一か八かで起動してみましょうか?」
「このままじゃ埒が明かんからな。やってくれ」
うちのチームって基本、慎重派なのに結構な頻度で一か八かをやっているよね。
「はい、英太くん」
「はい?俺ですか?」
「そうだよー。術式発動要員でしょ、きみは。ちゃっちゃと働く」
「は、はい」
へっぴり腰で卓上の紙に触れる。よく見るコピー用紙とは違ってしっかりとした厚みのある和紙のようだった。
……転送系を引きませんように……
そう念じながら魔法陣を描いた紙に右手を置き反対の手に握り締めた量子結晶から力を引き出し送り込む。次の瞬間、銀色の線が紙面を奔り描かれた魔法陣とは別の紋様が浮かび上がる。
五つの丸と中央にもう一つ。周囲の丸の中心を結ぶように銀線が伸びていき……。
「五角形の魔法陣?」
つぶやきが口から洩れる暇もなく、独特のねじれるような感覚とともに俺たちは別の空間へと転送された。
ゆっくりを目を開けると、初老の女性が優雅にお辞儀をして俺たちを迎えてくれていた。
女性だけどスーツというのか燕尾服のような上等そうな衣装を着て白手袋までしている姿は漫画やアニメでときどき見る執事さんのように見える。
「い、異世界転移?もしかして、俺、やっちゃいました?」
「ようこそいらっしゃいました。あなた方が最初の到達者です」
「へぇー、一番乗りってことですか?やったぁ、ノクターナルを出し抜いたぞー」
「なんだ、あんたは?レイド関係者か?ここはまだレイドエリア内だと思っていいのか?」
三人がばらばらの態度で出迎えた初老女性に話しかける。
「おほほほ、ここは異世界ではありませんよ。レイドエリア内です。ここから先はわたくしがご案内いたします。どうぞこちらへ」
疑っても仕方がない、と腹をくくってカサギさんが初老女性の後をついていく。当然、トオノさんと俺も後に続いた。
がっしりとした扉に舟のハッチのような丸いハンドルが取り付けられた部屋の入り口に到着する。
「こちらにターゲットが保管されております。くれぐれも禁書の中身をご覧になりませぬように。触れた者は政府の監視対象となりますので」
なにそれ、怖い。
「入るぞ」
カサギさんは案内人の執事さんの言葉にはちらりと視線を送るだけにとどめて、メンバーに行動を促した。
丸いハンドルを回して扉を引き開けたリーダーに続いて、俺たちは禁書庫の一室へと入っていった。
謎の番人に案内され、英太たちは一番乗りでターゲットの眠る禁書庫に足を踏み入れる――




