Ep4-9 貴重書書庫の迷宮
貴重書書庫に入った桔花と漣は禁書庫への入り口を見つけるべく探索を開始する――
「うわっ、眩しい」
貴重書書庫に入ると自動的に室内照明が点灯した。この部屋の書棚には扉がついてるため照明の点灯時間はコントロールされていない。漣たちは事前に暗視モードを解除していたが、薄闇に慣れた目には少し刺激が強く感じられた。
室内は壁や床だけでなく天井まで内装のすべてが磨き上げられたヒノキ板で覆われている。暗闇に慣れた桔花の目には明るい色味の木肌がいっそう眩しく映った。
引き戸付きの書棚はナラ材でできており、床や天井に比べて少し落ち着いた色合いを見せている。すべての引き戸がしっかりと閉じられた書棚の列は単色の市松模様の壁に囲われた廊下にも見える。隣の列に進むごとに自動的に天井照明が点灯し、背後の照明が落ちる。何列も並ぶ書棚の廊下はどこも同じに見え、無限に続く碁盤の目状の迷路のようだ。
「書棚の中身に用はない。部屋の中で怪しい場所を探せ」
「怪しい場所ねぇ。とりあえず一番奥の壁から始めるのがいいんじゃない?」
少人数なので分散せずに一組になって様子を探りながら進むことにする。体温の上昇は室温監視記録に影響を残す可能性があるので急がずにゆっくりと歩く速度での探索だ。
しばらく進むと書棚の廊下が作る十字路に出た。
途中で左右の列にも移動できるように並べられているらしい。奥の壁を目指して十字路を直進する。しばらく歩くとまた同じような十字路に出る。
「貴重書書庫って意外と広いのね。そんなにたくさんの古書が残っているのかしら。税金の無駄遣いじゃなくって?」
しばらく直進してまた十字路に出た。
「ねぇ、いくら何でも広すぎない?」
桔花が怪訝な声を上げる。
『どうしたの、桔花?さっきから同じところを往ったり来たりしているけれど』
「なんですって?」
漣と顔を見合わせる。
「隣の列に行ってみよう」
今度は十字路を左に曲がって横方向に移動する。が、廊下は書棚一列の横幅分ではなく、先ほどと同じように数メートル続いていた。
「どうなってんの?」
『やはりこちらのトラッキングデータでは同じ場所を往復しています』
「ふむ。転移の感覚はない。幻覚というより、方向感覚の入れ替えか?」
「……よくある陰陽道系のくそったれな術式ね」
桔花が吐き捨てるように言った。
「どこかに仕掛けがあるはずだ。桔花、よく見て進もう」
「わかったわ」
桔花の瞳の黄色が濃くなる。そのまま桔花を先頭に書棚の廊下を進んでいく。次の十字路に着いたとき、床に微かな銀色のラインが見えた。
「あったわ、これね」
注目して見ることで銀色のラインの全体像が姿を現す。それは八角形の中に同心円状に描かれたバーコードのような幾何学模様だった。
「八卦模様ね。でも普通のものとは違って『八卦』の位置関係がでたらめだわ」
八卦模様は古代中国より伝わった思想である八卦を表現した図案で、陰と陽を基本とした三本のラインを組み合わせた八種類の象徴で描かれている。八卦は自然界や人間界の様々な事象を表すために使われるが、とくに方角と結び付けて運用される例が顕著だ。
「なるほど、『八卦転迷』の呪だな。禁書庫には陰陽師が関わっているということか」
正しくない位置に配された八卦がそこを通る者の方向感覚を攪乱する、そういった結界が張られているらしい。陰陽師と聞いて桔花が険のある表情を浮かべる。
「方角を入れ替えている法則性は分かるか?」
「うーん、これ一つじゃなんとも……リーダーには見えないの?」
「あいにくだが俺では術式適性が足りないらしい。そこにあることは分かるのだが……」
『解除できないの?』
「刻まれている術式を焼き切れば消えると思うけど」
「止めておけ。ここは火気厳禁だ」
「わかってるわよ。とりあえずいくつか見てみましょう」
次の十字路まで進んで床の模様を確認する。
「さっきのとは組み合わせが違ってるわ」
さらに進んでみるが毎回異なる八卦模様が現れて桔花には法則性が見いだせない。
『せめてリーダーに見えればよかったんだけど』
ユナの言葉に、ノクターナルの頭脳担当は確かにリーダーだけどあたしだって頭は悪いほうじゃないのよ、という反骨心が首をもたげる。
『まずいわ、リーダー。室内の湿度が想定より上昇している。このままだとログに不自然な記録が残ってしまうわ』
貴重書書庫は収蔵物の性質上厳格な温度湿度管理が施されている。古い書物はカビや虫喰いに弱く、すでに長い年月の中でダメージを受けているものが多い。それら歴史上貴重な唯一無二の資料を未来に伝えるべく保存する使命を負っている部屋なのだ。
突発的に上がる警報とは違い、連続的に記録される観測データの改ざんは難しい。揺らぎの部分を人為的に再現するのが難しいからだ。データの改ざんが長引くほどわざとらしい傾向が現れてくる。詳細に分析すれば改ざんされたデータかどうかは簡単に見破られてしまうのだ。
人間の呼気には百パーセントの湿度が含まれている。光庭に入って以降、吸湿機能をもつマスクを着けて行動していたのは呼気が個室内の湿度測定値に影響を与えないようにするための対策だった。しかし。
『体表からの水分蒸発ね。迂闊だったわ。不感蒸泄に反応するほどセンサーの精度が高いなんて……』
ユナの声に状況を想定できなかったミスを悔やむ気持ちがにじむ。
「時間をかけすぎたか」
漣が撤退の判断を下そうとしたとき、桔花がそれを遮った。
「ちょっと待って、リーダー。もう少しだけ時間をちょうだい」
「何か策はあるのか?」
「一か八かだけど、なんとなくわかった気がするの。こんな性格の悪い結界を思いつくヤツは性根もひん曲がっているのよね」
特定の誰かを思い浮かべた様子で桔花がレイド中には珍しくくさくさした物言いになる。
そして床に術式で描かれた八卦模様を確認すると、歩き出した。
「こっちよ」
次の十字路でも八卦模様を確かめて進む方向を決める。
漣は何となくそちらは間違った方向だと感じたが、桔花に任せることにして後に続いた。
「こっちね」
さらに次、さらに次、と桔花はどんどん進んでいく。
桔花が方角を選ぶたびにそちらではないという違和感が意識に上る。八卦転迷の罠に気づいた今なら、その違和感が外部から挿入されたものだと分かった。
そして七度目の十字路でピタリと立ち止まった。
「どうした?」
「ここの結界は正しい八卦模様が描かれているわ」
「ほほう。それなら桔花の推測が当たっていた可能性が高いな」
ずっと間違った八卦模様が続いていたのだ。正しい八卦模様が最後の関門と考えていいだろう。だが。
「でも、ここまでのルールだと進めないのよね」
「……ふむ。どんなルールだ?」
「八卦模様の艮が描かれた方向に進んだだけよ」
なるほど、と漣は考える。艮は丑寅の方角を示す卦だ。丑寅すなわち北東の方角は古くから鬼門と考えられており、陰陽道でも凶方位、最も悪い方角を意味する。
「方違えでは凶方位を避けて方角をずらして移動するじゃない?ここの管理人は奥に来てほしくなくて結界を張っている。なら、方違えの逆で凶方位である鬼門を目指して行けばそこにたどり着けるんじゃないかって」
「理にかなっているな」
「だけど、ここの八卦模様は正しい絵になっているの。だから艮の方向は……」
「北東、つまり十字路では進めない斜め方向というわけか」
「そう」
あと一歩で、と悔しそうに唇をかむ桔花に、漣が頭をぽんと撫でる。
「よくやった。大丈夫だ、おまえの読みは合っている」
「どういうこと?」
「艮の方向に進む。方角を教えてくれ」
「こっちだけど……あっ!」
桔花が示した通路の角に向かって漣が真っすぐに歩いていく。書棚にぶつかる寸前で、漣の姿がふっ、と桔花の視線から消えた。
慌てて桔花も後を追った。
迷宮と化した貴重書書庫の罠をなんとかクリアした二人の前にさらなる関門が立ちはだかる――




