Ep4-8 光庭降下
レムナンツ・ハンズが慎重に地下書庫への侵入を進めているころ、ノクターナルもまた別ルートからの侵入を敢行していた――
国会図書館新館は1986年に完成した。上四階地下八階建てで、約750万冊の収蔵能力を誇る。地下八階がすべて書庫となっており、地震に強く書物の大敵である直射日光を排除し年間を通して安定した温湿度環境を提供する、まさに書籍のための空間を構築している。
だが人にとって新館で最も目を惹くのは光庭であろう。地下で働く図書館職員の健康に配慮して設けられた構造で、地上階から貫通した吹き抜けは幅八メートル、長さ十八メートルの天窓から差し込む柔らかな自然光を地下八階まで届けている。人は大地から離れられないのと同様に、太陽の光を失っては生きていけないのだ。
深夜、光庭の天窓には奇しくも満月の明かりが差し込んでいた。
『光庭には赤外線レーザーによる侵入センサーが張られているわ。気をつけて』
「任せて」
天窓の梁から超張力繊維で吊り下がった桔花が蜘蛛のように滑らかに高度を下げる。少し進んだところで左手首のガジェットを操作し、数メートル先に視線を向けた。
何もない空間の気温が急激に下がり、空中の水分が凝結して小規模な霧が発生する。
赤外線レーザーの通過するエリアに生成された霧はレーザー光の一部を反射し周囲に散乱させる。桔花の装着しているゴーグルが術式の作用により散乱光の波長をシフトさせて可視光に変換し桔花の網膜へと届ける。
光庭の空中に張られたレーザーグリッドを可視化した桔花は、慎重に近づいてベルトの物入れから取り出した親指大ほどの砂時計型ガジェットをレーザーの光軸上に差し入れた。コンマ数秒の光の乱れは監視装置側のエラー回避回路によって除外され、警報は発報されなかった。
桔花がレーザー光に差し込んだものは光子中継器と呼ばれるガジェットだ。受光面と発光面がペアになっており、量子通信により受光面で受けたレーザー信号をそのまま発光面から遅延ゼロで発信する。光軸上に差し込まれた光子中継器は術式を起動すると真ん中のくびれた部分から二つに分かれて光軸に沿ってそれぞれ発光部と受光部まで飛来していき、そこに取りついてレーザーグリッドを無効化する仕組みだ。
術式により重力を無視してすぃーっと空中を進んでいく光子中継器をしばらく見送ったあと、桔花は蜘蛛の糸を繰り出して次のレーザーグリッドの処理に向かった。
『処理完了よ』
すべてのレーザーグリッドをキャンセルして地下八階に降り立った桔花から連絡が入る。
『確認したわ。オールグリーン。作戦を進めてください』
「了解した」
天窓の梁にぶら下がって待機していた漣が一気に蜘蛛の糸を繰り出して地下八階まで降下する。階下では先に下りていた桔花が光庭と地下書庫を隔てるガラス扉の鍵穴にピッキングツールを差し込んで解錠を済ませていた。
「はい、終わり。あんなに侵入センサーを設置しておいて、カギはごく普通のシリンダー錠だなんてちぐはぐよね」
「もともと侵入を阻止する目的ではないのだろう。そもそもここに収蔵されているものは申請すれば誰でも閲覧できるんだ。わざわざ盗みに入る必要はない」
「確かにそうね。この世に存在しないモノをあるはずの無い場所に盗みに来るなんて酔狂なことをするのはレイダースくらいのものだわ」
『それでも扉の開閉記録は電子的に監視されているわ。こっちで処理できるけど、あまりバッタンバッタン開け閉めしないでね』
「子供じゃないんだからそんなことしないわよ」
『あら?』
「どうした?」
『マイクロフィルム保管庫のエアロックから開閉信号が発報されているわ』
「レムナンツ・ハンズか?」
『でしょうね。もう、しょうがないボウヤ達ね』
そういいながらユナがエアロックの開閉通知をブロックする。
「先を急ぎましょ、リーダー。あいつらに負けてらんないわ」
桔花たちは印象的な光庭から中に入り、密閉された地下書庫エリアへと侵入した。光庭は地下書庫の中央を半分に分割するように走っている。たまたま、というわけではなく、ノクターナルはレムナンツ・ハンズとは別の側の地下書庫を進路に選んだのだ。
真っ暗な地下書庫の入り口で立ち止まると、桔花が左手のガジェットを操作してフッと天井に向けて手を振りかざす。桔花の放った術式が人感センサの丸いドーム状のフレネルレンズを温めていく。赤外線まで見えるようになっている暗視ゴーグルを通して天井の人感センサ部分が淡く光り出す様が映し出される。
フレネルレンズ全体が赤外線を放つことで視野を横切る人体の動きは感知できなくなる。桔花の術式は効率よく人感センサーの目を奪った。
「人感センサ―の処理完了よ」
「確認した。奥へ進もう」
集密書架が並ぶ部屋をいくつか通り抜けた先にその扉はあった。
レムナンツ・ハンズが見たものと同様に壁の上部には赤色ランプが突き出ており、黄色い看板に注意事項が書かれている。ハロゲン化物消火施設の印だ。だがマイクロフィルム保管庫にあった重量感のある扉ではなく、明るい木肌色の装飾をされた扉が立っている。
「この中に『白い焚書』が?」
「不正解だ。ここは『貴重書書庫』だ。歴史的に貴重な古書や保存が難しく損傷の激しい資料が保管されている。ターゲットはさらにこの奥、何らかの結界に守られたエリアにあるらしい」
「はっきりしないのね」
「もともとAA級の秘匿資料を保管する禁書庫がここにあることは分かっている。だが存在することを許されない資料となると立ち入り禁止程度のガードでは済むまい。人を寄せ付けないもう一段階の仕掛けがあるはずだ」
『新館の図面で確認できるのは貴重書書庫までなのよね。あとは中を探して禁書庫の入り口のヒントを見つけるしかないわ。中は独立した空調になっていて低温低湿度に保たれています。長時間滞在の滞在は管理システムの記録に不自然な温度変化の兆候を残しかねません。二十分以内に作戦を完了させて退室してください』
「十分よ」
『では、靴底照合データとエアロックの開閉信号を偽装します。どうぞ』
「確認した。行くぞ」
「了解」
地下書庫最下層の貴重書書庫。その先には一体何があるのか――




