Ep3-7 曽祖父の家
量子結晶を持つ者にだけアクセス可能な謎の裏ネットワークで伝説の魔石細工師と紹介されていたひいおじいちゃん。母親のお遣いを思い出した英太はひいおじいちゃんの家に赴く――
土曜日の午後、都心のお堀端にある曽祖父の家を訪れた。
何の変哲もない昭和の民家で、狭い道路の歩道いっぱいまで建てられたモルタル造りの木造二階建ての家だ。窓枠に付けられた手摺りの塗装は錆びてハゲており、エアコンも取り付けられていないような古い佇まいだ。だけど外壁は塗り直されているし玄関扉もきれいにされている。母が毎月訪れて掃除しているというのは本当のようだ。
玄関脇に取り付けられた常夜灯に達筆で『馬酔木』と書かれている。『あせび』と読むらしい。
渡された鍵を玄関扉の鍵穴に差し込む。当然だけどカチャリと音がしたあと、カラカラと滑らかに引き戸が開いた。
「お邪魔しまーす」
ひいおじいちゃんの家は、なんだか懐かしい臭いがした。幼少の頃の思い出ではなく、イメージの中の昭和の香りを想起させるからだけれど。母親に連れられて何度が来たことはあるらしいが、五歳よりも前の話だし自分的には何一つ覚えていない。そもそも小学校より前の記憶なんてほとんどないし。
裏側の台所の窓を開ける。すぐ目の前に鉄筋造の壁があり裏庭というほどのスペースはない。二階に上がり同じく道路側と裏側の窓を開けて風を通す。都心のど真ん中といっていい場所だったが、目の前の道は狭く車通りのある道とは高いビルで遮られているから意外と静かだ。お堀から少し高台になっているせいか心地よい風が入ってくる。とはいえエアコンの無い部屋はきつい。
掃除するほど埃も積もっていないしどうしたものかなと思って作業台のある部屋を覗き込む。畳の部屋に本棚と古い箱箪笥が置かれていて手前に文机のような作業台がある。丸い座布団は少々くたびれていて使い込まれた雰囲気があった。
本棚の一部は飾り棚になっていて何かの模型が置かれていた。薄い円形の台座の中心にマストのような棒が突き立っている。それを円周の四か所から心張棒が支える構造になっており、マストの根元には十字の横棒が突き出ていた。マストの上半分にも横棒が出ているが、これは下部の円形の台座の半径よりも長く飛び出しておりそれぞれが水平面に対して百二十度ずつずれた位置で垂直方向にも間隔を置いて取り付けられている。
「どこかで見たことがある形だな」
ひいおじいちゃんの手作りみたいだけど……。
模型の横の本棚部分に手で綴じた冊子が立てかけられていた。
何となく手に取りパラパラとめくる。
図表や記号が書き殴られていて、ところどころにメモ書きもある。同じような絵が何度も出てくるからどうやら何かを作るときの走り書きを集めたもののようだ。
冊子の最後のほうに見たことがある絵が描かれていた。これはひいおじいちゃんの絵ではない。正確にはひいおじいちゃんが別の書物から書き写した絵だ。なぜそれが俺に分かったかというと、それがとても有名な絵だったからだ。
ダヴィンチのヘリコプター
西洋の天才画家であり万能の発明家でもあったレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿に残された図案である。史上初のヘリコプターの原理を記したものだともてはやされると同時に、どうやっても飛ばないと失笑される発明だ。俺も小学生の頃にこの図案に触れて、こんな益体もない絵のどこが凄いのだろうと疑問に持ったものだ。歴史というものをある程度理解するようになった今なら科学の発展していなかった当時に空を飛ぶ原理を考えたことの凄さは分かるが、それでも実際には飛べないことが明白なアイデアに感銘を受けるのは難しい。
「出来もしないことを夢想するにしても、史上初なら尊敬されるってことなのかな」
なんでもある現代では何を夢想しても先駆者がいる。そのうえ夢を実現できなかったとなると何の評価もされないし何も得られるものがない。ダヴィンチの天才は認めるけれど、同時に万人からそうもてはやされることに嫉妬と虚しさを覚えてしまう。
なんだかレイドに出会う前の何もない自分に戻ってしまったようだ。
諦念と嫉妬。
やっぱりレイドはほんの一時の興奮がもたらした夢のようなものだったのかも知れない。
自分にできないことを夢想しても将来になんの益もないのだと感じる。
虚無感を引きずりながらひいおじいちゃんの模写を指でなぞっていると、絵の下方に矢印が伸びて注釈が書かれていることに気づいた。
「『空気の魔石』?」
よく見るとダヴィンチのヘリコプターのマストの根元に籠状の部分が描かれている。そこに量子結晶体を入れるということか?
ページをめくると別の器具の図解が載っていた。
「『アルキメデスの螺旋ポンプ』……ダヴィンチが着想を得た元ネタ……水よりも粘稠な空気をスクリューで掻く……適切な術式……これって」
ひいおじいちゃんの難解な走り書きを指で追う。
ダヴィンチは空気に密度があることを知っていたらしい。そして螺旋ポンプで水を低地から高いところへくみ上げる技術も。適切な密度と適切な動力、軽量な機体があれば空気の中をスクリューで進ませることができる。上向きのスクリューなら空中を飛べると考えたのだ。
「この模型。ダヴィンチのヘリコプターだ。帆がないから一目ではわからなかったけど……そうか、帆がないのが正しい姿なんだ!」
ひいおじいちゃんの作ったダヴィンチのヘリコプターの模型を手に取る。よく見ると円形の台の裏側や、マストから突き出た腕木に象嵌細工のような手法で細かな模様が刻み込まれている。
あの謎のウェブサイトでひいおじいちゃんは伝説の魔石細工師と紹介されていなかったか?
箱箪笥の抽斗をいくつか開けてみたが、量子結晶は入っていなかった。
「片梨さんが言っていたっけ。量子結晶体は実相化したあと二年以内に自然消滅するからストックができないって」
なら、どこかに生えていないか?どこかに……。
はっ、この文机の抽斗。
惹かれる感覚があって文机の小さな抽斗を引き開ける。中にはひいおじいちゃんが使っていたと思われる鑿や彫刻刀、彫金細工の道具が入っていた。俺の目にはその道具たちを囲むように、びっしりと量子結晶体が生えているのが見えた。
いくつかある中から一番白い結晶を選んで折り取る。ちょうどよい大きさで、ヘリコプターの模型の籠にぴったりと収まった。
次はどうすればいいんだろう?
とりあえず模型を文机の中央に置いた。
円形の台座を覆うように両手の人差し指と親指で輪を作って添わせる。すると、どこに触れたのが正解だったのかはわからないが、円形の台座に光の紋様が浮かび上がり、魔法陣が起動した。
不可視の光のような形で円筒形の結界のようなものが立ち昇る。
次に模型全体が反時計回りに回転し始めた。
さらにマストの腕木に刻まれた術式が輝きだし、回転する腕木のあとに光の膜のような残像を描きだす。同時に模型がゆっくりと空中に浮かび上がり始めた。
回転しながら緩やかに昇っていく模型は腕木に光の帆をはらんでおり、ダヴィンチの手記に描かれた通りの姿を見せていた。
「これが……本当のダヴィンチの発明の姿……」
ダヴィンチは量子結晶体を使った術式を知っていたのだろう。秘匿したのか解説をあきらめたのかはわからないが、その部分は手稿には残さずにおいたのだ。それをひいおじいちゃんが解明して当時の発明を再現して見せた。
もちろん人を乗せて安全に飛ぶことはできなかったろう。横方向への移動も考慮されていないから実用的なヘリコプターとは到底言えない。理論の実証モデルすぎないと言ってしまえばそれまでだ。
だけど、実際に浮いたのだ。ただ夢想しただけではなく、実際に空を飛ぶ手段を手にしていたんだ、ダヴィンチは。
それをひいおじいちゃんが解明して見せた。
ひいおじいちゃんにしてみても、仕事の合間の手遊びだったのかもしれない。
だけど二人とも自分で考え、試し、実現してみせた。
挑戦する前から『できるわけない』とあきらめたりせずに。
手作りの木のおもちゃが空中にふわふわと浮かぶ姿を見つめながら、俺は自分に足りないものが何なのかやっとわかった。
やりたいことが何もない?
違う。やりたいことをやり遂げる覚悟がなかったんだ。
レイドにしてもなんにしても、できない理由ばかりを挙げてやらない理由を積み上げていた。
やりたいことならできるまでやればいい。
好きなことなら誰が何と言おうと取り組めばいい。
『できないかもしれない』はできないという結果につながるだけの言い訳だ。
行く手を阻む数多の『できないかもしれない』をすべて打ち砕いて進む覚悟があれば、実現へとつながる道を進み続けられる。
唯一の障害は寿命だけだ。こればかりは乗り越えるすべはない。だけどいいじゃないか。道半ばでも目標に向かって前のめりに倒れるなら、それは幸福というものだろう。
母さんが言うようにひいおじいちゃんがまだ生きているなら、きっと目標に向かって今も世界のどこかを旅しているのだろう。
俺にもできるはずだ。そんな生き方が。
なろう。挑む者に。
挑戦しよう。量子結晶の可能性の限界に。
自分に足りないものを知った英太は自らの殻を破るためにレイダースの世界に身を投じることを決意する――




