Ep3-6 アジト再び
ノクターナルの追撃を危惧する英太は仲間の助力を得ようとレムナンツ・ハンズのアジトに向かう――
学校帰りに地下鉄を乗り継いで都心へと向かう。
訪れたのは拉致されて連れ込まれたときと渋谷のレイドの前に装備を受け取ったときの二回だけだったけれど、レムナンツ・ハンズのアジトの場所は覚えていた。
情けない話だけれど、現実問題として俺には守ってくれる存在が必要だ。学校にも警察にも相談はできなかった。相手が同じ学校の生徒だということもあるが、レイドの世界に半分踏み込んだ自分には表の世界の権力に頼る資格がないと思ったし、頼りたくないとも感じるのだ。
レイダーの襲撃から守ってくれるのはレイダーしかいない。まだ仲間になるのかどうか決めかねているのに虫が良すぎると思いながらも、頼れる場所は一つだけだった。
「渋谷のレイド以来だけどみんなどうしているかな?そういえばレイドの収支がどうなったかとか最終報告みたいなのがあるって言ってたけど、正式なメンバーじゃない俺は教えてもらえないのかなぁ」
アジトが近づくにつれ、自然と足が軽くなる。
初めて連れ込まれたときは雑然としていて怖さがあったけれど、思い出す情景にはどこかアットホームな空気を感じている自分がいる。これが絆されるというやつだろうか。つり橋効果とかストックホルム症候群ってやつかも。
そんな馬鹿なこと考えながらアジトの入っているテナントビルの入り口をくぐった。
階を上がって部屋の前にたどり着く。
以前来た時と変わりのない風景だったが、どこか物足りない雰囲気があるのはなぜだろう。ドアノブに何かの小冊子が紐で括り付けてある。
呼び鈴がついていないことに初めて気づいた。事務所用の貸し物件だからなのだろうか?
そういえば全員不在だったらどうするか考えていなかった。まあその場合はもう一度出直すしかないな。連絡先、知らないし。
妙な緊張感に包まれながら、スチール製の扉を拳の裏でノックする。
コンコン。
返事がない。小さくて奥の部屋まで届かなかったかな。
ゴンゴンゴン。
多少失礼かと思ったけれど、少し強めにノックする。それでも中から反応が無かった。というか、人の気配がしない。
考えなしにドアノブを回すと、抵抗なく回った。
カギがかかっていないようだ。
「失礼しま~す……」
恐る恐るドアを細く開く。
目にした風景が信じられなくて、思わず全力でドアを開けて玄関のたたきに踏み込む。
中はもぬけの殻だった。
渋谷のレイドからまだ二日しか経っていないはずだ。それなのにあれだけ物にあふれていたアジトがきれいに片付いている。それどころか、塵ひとつペンキの汚れ一滴すら残っていなかった。
うそだ……それとも、あれは夢だったのか?
レイドも量子結晶も術式も、片梨さんが襲いかかってきたことも。
「そんな……」
そういえば理科実験室の窓もきちんとはまっていた。あのときは学校も仕事が早いなと思ったんだけど、全部俺の記憶違いだったと?
最近夜更かしが続いていて寝不足気味の脳みそが混乱に拍車をかける。
気がつけばいつの間にか地下鉄の最寄り駅に戻っていた。
呆然としながら地下鉄の階段を降りていく英太の背中を遠くから見守っていたケイタが、やりきれない表情で拳を打ち付けていた。
翌日の朝、目の下にクマを作って階下に降りると母さんが話しかけてきた。
「英太、次のお休みの日にひいおじいちゃんの家に行ってきてくれない……ってどうしたのそのクマ?」
「んん、ああ。ちょっと宿題に手間取って寝不足気味なんだ」
テレビからは朝のニュースの音声が騒がしく聞こえている。
『……国会での税制見直し問題が……会期延長が決まり……国会議事堂周辺でもデモが連日行われており、既得権益に結びついた省庁解体を叫ぶ声は日増しに……』
聞き流しながらテーブルに出ている朝食に手を着ける。あれだけ大量の白骨体が見つかったというのにレイドに関することは一切ニュースになっていない。
「大丈夫?この季節に夜更かしなんてしていると夏バテするわよ?」
ぼんやりとパンを咀嚼する俺を気にする素振りで台所から母さんの声が飛んでくる。
「うん、気をつける。それより、母さん。何か用事があったんじゃないの?」
「ああ、そうそう。このまえひいおじいちゃんの家の鍵を渡したでしょ?そろそろ梅雨も明けるから、空気の入れ替えだけでもして来てほしいの。お願いできる?」
「わかった。今日、学校終わったら行ってくるよ」
「悪いわね。場所は分かる?」
「住所聞いたから地図アプリで行けるって」
「頼んでおいてなんだけど、気をつけて行くのよ?」
「もう高校生なんだから都内くらい平気だよ」
「そうよね。じゃあ頼んだわよ」
朝食を終えた俺に母さんが、はい、とお弁当を渡してくれる。
「うん。ほんじゃ、行ってきます」
「なあ、今日も片梨さん、休みだってよ。おまえ、なんかした?」
ホームルーム後の短い時間にカトウが寄ってきて言った。
「なんもしてないって。ってか、俺がなんかされているほうだって。おまえも知ってるだろ?」
「うん、まあ。待ち伏せされたり、呼び出されたり、すっぽかされたり?」
こうやって客観的に聞いてもやっぱりヤバイよね。表に出ているだけでもヤバいのに裏の話まで考慮したらもう相当ヤバイでしょ。それともやっぱり全部俺の妄想だったりするのかな。
いくらなんでもあの体験すべてが夢だったなんて思わない。だけどどこまで現実だったのか、今となってはよくわからなくなってしまっている。それに、掘り下げたいのかどうかも。
記憶を消す云々は置いておいて、レイドの世界から距離を置くことはある意味一番現実的な結論なのかなとも思う。
一般人に過ぎない俺があんな超人的な戦闘のプロ集団に紛れて活動するなんて、無事に済むはずがない。いくら仲間が護ってくれたとしても安全である保障なんてないし。前回はたまたまうまく行ったけど、俺が役に立てる場面がそうそうあるとも思えない。レイダースの大人連中は金銭という明確なモチベーションがあるのだろうけれど、俺自身には体を張るほどの金銭欲もないし。
考えれば考えるほど、メリットはなくデメリットしか浮かばない。
「痛いのは嫌だけど、そうじゃないなら片梨さんに頼んだほうが楽なのかもな……」
「なによそれ。ナニを頼むんよ?」
物思いから覚めるとまだ教室の中だった。しまった、カトウに変な独り言を聞かれてしまった。
「おまえには関係ない」
「やっぱおまえ、何か隠してるだろ?片梨さんのことで」
「あー、もう、うるっさい」
「なんだよー。協力してやってんじゃんよー。教えろよー」
「しつこいな。おまえこそ、また何かこそこそと賭け事とかやってんじゃないのか?」
「ぎくっ」
苦し紛れの口から出まかせが図星だったらしい。
「なんか協力的だなと思ったら、やっぱり裏があったか。おまえとの友情もこれまでだな」
「まあまあ、英太ちゃん。そう息巻かないで」
「なら何を企んでいるのか白状しろ」
「えー……まあ仕方ないか。いいか、絶対に女子には言うなよ?」
「ああ」
「『ウチの学校のナンバーワンとナンバーツーのどっちが先に彼氏を作るか』」
「はあ?」
下世話すぎて溜め息も出ない。
「これがなかなか奥が深くてねぇ。それぞれの派閥が自分の推しを勝たせたいという気持ちと、勝ち=彼氏ができるってことだから自分的には負けイベントってことでどっちに入れるか各々の葛藤が凄いのよ」
「ばかばかしい」
「んでさ、なかなか賭け金が集まらないものだからさ、両方に賭けてもいいことにしたわけよ。したらさ、賭け金は結果がでるまで払い戻し無しじゃん?だから迷った連中が日毎にあっちに賭けたりこっちに賭け足したりしだしてさ。みるみる賭け金の総額が増加してうなぎ登りなのよ」
「おまえ、いつか刺されるぞ」
「大丈夫だって。胴元が有利ではない方式だから勝負の結果で恨まれることはないし。ま、集まった賭け金の総額からパーセンテージで手数料を頂くからハンドルが増えれば増えるほど美味しんだけどな。もちろん胴元の利益を一人でがめたりしないぜ?みんなでカラオケとか、有効に使うから安心しろ」
ダメだ、こいつ。
「そんでさ。いまは英太がいろんな意味でダークホースなわけよ」
「なんで俺の名前が出てくるんだよ?」
「もともとウチのナンバーワンもナンバーツーも浮ついた噂が少なくてさ。撃沈した男の数なら数えきれないんだけどね。そんな中、最近何かと噂のF組のエーさんが、やれ今日はナンバーツーに呼び止められただの、昼にはナンバーワンが学食で相席しただの話題を作ってくれてさー。おかげで賭けは活況よ」
「おまっ、なんてことを……」
「英太が色恋沙汰じゃないっていうんだから問題ないだろ?オレは情報をぼやかした形で市場に流して、賭けを活性化させているだけだし」
こいつ、マジで言っているのか?と思って表情を見ると本当に無邪気に喜んでいる。別に俺を陥れようとも賭けで大儲けしようとも思っていないらしい。ただ単に活況になることが楽しいようだ。それにしても……。これ、当人たちにバレたら俺までとばっちりを喰うヤツでは?
「はあ」
「どったの?英太くん」
「やっぱりおまえ、絶交」
そんなあ、と嘆くカトウを自席に追い返して俺は真面目に授業に臨んだ。
レムナンツ・ハンズは姿を消し、ノクターナルの動きは未だに見えない。五里霧中の英太の周囲ではゆっくりと日常が過ぎていく――




