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Ep3-5 神域

魔人と化した桔花の襲撃を振り切った英太は八坂森の奥へと迷い込む――

 英太は仄暗ほのぐらい森の中を歩いていた。

 何かから逃げている様子ではなく、ただぼんやりと明るいほうへと道をたどっている。

 どのくらい歩いただろう。

 何か強大な暴力から逃れて来た気がするが、それが何だったのか思い出せない。

 今は恐怖心や焦燥感はなく、波風の立たない凪の海のように心穏やかだ。

 ただ喉の渇きだけが意識された。


 やがて乳白色の光に満たされた広場に出た。

 広場の中央には大人が何十人も手をつないでも抱え込めないくらい太い幹の大木があって、てっぺんは遥か上の高みにあって見えない。一番下の枝でさえ乳白色の光の中に半分埋もれた影のようにおぼろにかすんで見えるだけだった。広く大地に張った太い根の間には木の根に圧し割られた石があって、ちょろちょろと清水が湧き出ている。湧き水の周囲は美しい緑の苔に覆われていた。


 喉が渇いていた俺は、ふらふらと湧き水に吸い寄せられていった。

「その水を飲んではダメよ」

 可愛い子供の声に思わず足を止めて振り返る。

 大木の根元にある祠のようなくぼみに黒髪の和装の幼女が座っているのが目に留まる。

 年齢は五歳くらいだろうか。

「どうして?お腹をこわすのかな?きれいな水に見えるけど……」

「ばい菌はいないわ」

「なら、飲ませてくれないかな。走り回ってとても喉が渇いているんだ」

 もしかしたらこの幼女が水を管理している家の人なのかもしれない。そう思ってお願いをしてみる。

 幼女は困ったように目を伏せて左右に首を振る。肩口で切りそろえられた艶やかな黒髪がさらりと揺れ、銀色の髪飾りがキラリと顔をのぞかせる。

「ここのものを食べたり飲んだりしてはいけないの。元の場所に戻れなくなるのよ。前にもお話したでしょう?」

「えっ、そうなの?初めて聞いたと思うんだけど。戻れないってどういうこと?」

「ああ、お兄さん、()()が初めてなのね」

 親しみを見せていた瞳が少しよそよそしいものに変わる。

「ここは神隠しの辻と呼ばれている場所です。わたくしは迷い込んだ人をもとの場所に帰すためにいる案内人です」

「きみが?そんなに幼いのに?」

 幼女はにこりと微笑みを返した。

「幼いからこそ適任なのです。幼い子供ほど神聖なものに近しく影響を受けにくいそうです」

「そうなんだ。寂しくはないの?」

 俺の言葉に幼女が驚いたように目をぱちくりとさせる。

「お兄さんは初めてのときからわたくしを心配してくださっていたのですね」

 ちょっと意味が分からなかったが、幼女の笑顔が親しげなものに戻った。

「あまりゆっくりとお話している時間はありません。ここでの時間が長くなるほど、お兄さんがもと来た場所から離れてしまうのです」

「それは困るけど……。なら、ずっとここにいるきみは大丈夫なの?」

「はい。わたくしにはお役目が終われば元の場所に戻る術式がかけられていますので」

「そっか、良かった……でも、その役目っていつ終わるの?」

「さあ?わたくしにはわかりません。十年か百年か千年か。ここでは時間には意味がないのです。でも必ずお役目の終わりは来ます。わたくしの代わりの神子みこが誕生したときに。それまではわたくしがここにいるのです」

 そういうと幼女がすっと立ち上がって俺のほうにやってくる。

 俺は差し出された右手を自然にエスコートするように手に取った。

「ここには大勢がくるのかい?」

「ええ。でも人は少ないですよ。わたくしの役目は人間の案内だけです」

「えっ?人以外も来るの?」

「ええ。だってここはもともと神々の通り道ですもの。そこに迷い込んだ方をもとの場所にお連れするのがわたくしの役目です。さあ、こちらにいらして」

「ありがとう。一人で大変そうだね。また来てもいいかな?」

 幼女がたもとで口元を隠してクスクスと笑う。

「本当は一度だって来てはイケナイのですよ?」

「そっか。そうだね」

「でも、お兄さんなら構いませんわ」

「そうなの?」

「ええ。だってもう来ることは決まっていますもの」

「それはどういう……」

 幼女がちょいちょい、と手招きをする。

 つられて俺が顔を寄せると、幼女は瞳に子供らしい期待に満ちた笑みを浮かべて耳元で囁いた。

「不機嫌なわたくしに優しくしてくださいませね」

 ぐらりと世界が回ったような感覚がして、一瞬上下も前後左右も分からなくなった。


 目眩が収まるのを待って目を開ける。

 そこは八坂神社の表参道にあたる石段のてっぺんだった。背後の鳥居の上部に日の出の光が当たっている。石段から見下ろす街並みはまだ夜明け前のまどろみに沈んでいた。

「え?どういうことだ?さっきまで片梨さんに追われて逃げ回っていたはず……」

 放課後に教室でプリントとにらめっこをしていた時間を含めても授業終わりからまだ四、五時間も経っていない。ポケットの携帯電話スマートフォンを取り出して時間を確認する。

 画面が明るくなって最初に目に飛び込んできた時刻表示は十九時少し前だった。だが、画面右上のアンテナ表示が×印からアンテナ四本に切り替わった途端、時刻が午前四時三十分過ぎに書き換わる。

「!?」

 なんで?どうして?

 喉の渇き具合や腹の減り具合からして体感的には夕食前で間違いない。炎の小鳥から逃げたあとの記憶が曖昧だけど、八坂神社の大きさから言って半日も歩き回るような森ではないはずだ。第一、徹夜だったらもっと眠くなければおかしい。

 混乱のままに家を目指す。靴は上履きのままだけれど、幸い携帯電話と定期入れは身に着けていた。始発電車に乗って最寄り駅へ。カギを使ってこっそり家に入る。両親とも寝ているようだ。このまま自室に入ってずっと寝ていたふりをしよう。本当は晩御飯を食べたいところだけど。

 時刻は朝の六時前だったが、体感的には夜中の九時だ。前の日がレイドで徹夜だったとしても健全な高校生としてはまだ眠くなる時間じゃない。三十分ほど部屋に篭ってから空腹をこらえきれずにキッチンに向かった。

「あら、早起きなのね?」

 いつの間にか母親が起きていて家族の朝食を準備していた。

「ああ、うん。ちょっと腹が減って目が覚めちゃったんだ」

「そういえば昨日は晩御飯食べなかったみたいだけれど、どうしたの?」

「あー、うん。友達とマックに寄ったからちょっと入らなくて。帰ってすぐに寝ちゃったし……」

「ごめんねぇ、母さんも夜勤明けで眠り込んじゃってて。昨日ので良ければすぐに温めて出すわよ?」

「うん、助かる」

「ちょっと待っててね」

 母さん、嘘ついてごめん。

 レイドにかかわるようになってから嘘ばかりついている気がする。これからも何度も嘘をつくことになるだろう。レイダーになるということは家族に言えない秘密や嘘がどんどん増えるということなんだなと気づいた。


 朝食という名の夕食を食べ終わり、またすぐに登校する時間になった。

 さすがに全校生徒のいる学校で片梨さんが襲ってくることはないだろうとは思うけれど……。

 びくびくしながら昇降口をくぐり、汚れた上履きの靴底を丹念にマットに擦りつけて土を落とす。ニ限目と三限目の間の休み時間にカトウから今日は片梨さんは休みだという情報を得た。

 サンキュー、カトウ。これで昼休みは安心して眠れそうだ……。


 破壊されたはずの理科準備室や四階の非常階段扉はすでに修復されていた。

 それが魔法的な力によるものなのか、それとも現実的な資金力や権力の行使によるものなのか、英太には知る由もなかった。

神隠しの辻から帰還した英太か胸を撫で下ろしていた頃、桔花は――

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