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Ep3-4 八坂の森

校舎からまろび出た英太の頭上で最上階の非常扉が弾ける――

「うわっぷ」

 非常口と裏庭の段差に足を取られてつんのめる。突っ伏した鼻先に青臭い雑草の汁の匂いが萌え立つ。ここは例の空気の魔法を試した場所?

 四階上の非常階段では扉のノブが赤熱してぐにゃりとけ始めていた。

 鉄扉が曲がる勢いで蹴り開けられ、非常階段の踊り場に朱色の髪が躍り出る。

 やばい、あそこから一気に飛び降りてくる気だ。

 熔けたドアノブの残骸が降り注ぎ草を焼く匂いが立ち込める中、俺は必至で周囲に目を配った。

 あった。量子結晶。

 大きくはないが、いくつかの五角柱の結晶が点々と地面から生えているのが見える。

 手元に生えている大きめの量子結晶体をつかみ取り、俺は跳びあがるように身を起こして走り出した。

「うふふ、逃げるのね。いいわ……すぐに捕まえてあげる!」

 片梨さんが非常階段の手すりをフワリと越える。

 広がった赤髪が猛禽の翼を思わせる。

 同時に両手から十矢じゅっしの炎が放たれた。

「くそっ」

 俺の前方をふさぐように飛来する炎の矢に向けて後ろ手に量子結晶を放り投げる。

 背後に分厚い空気の壁をイメージする。

「むっ?」

 炎の矢が空中で急に失速し、落下していくのを見た片梨さんが俺の造った空気のドームに両足で着地する。

「なにこれ?壁?固くはないけど通り抜けられない……英太、あんた何をしたの?」

 えーと、それはですね、空気の粘度をあげて固体を通さない壁を作ったんですよ。どのくらいの強度かはわからないけど、飛んでくる物なら勢いを削げるから命中は防げるかなーと思ってね。などと悠長に解説する気はさらさらない。

 俺は点々と生えている量子結晶を目じるしに、一目散に学校の裏に広がる森を目指して走った。

小癪こしゃくな!」

 片梨さんが立て続けに炎の矢を放つ。

 俺は足下の量子結晶を拾っては投げ、拾っては投げして背後に防壁を生成する。最初の一個に比べると小振りな量子結晶は狭い範囲でしか空気の防壁を形成できず、次第に俺の周囲に炎の矢が着弾するようになる。片梨さんは俺の作った空気の壁を足場にして絶え間なく上空の優位な位置から攻撃を仕掛けてくる。

 あの森に逃げ込めば上空からの攻撃は難しくなるはず。

 そう信じて真っすぐ学校裏の森を目指す。


 ウチの高校は古い神社の敷地の一部を借用して建てられたと聞いている。裏の森は神社の神域らしく、鬱蒼としていて人が出入りするような場所ではない。神社との境界は安山岩でできた石造りの柵で仕切られている。高さは一メートル半ほどなので高校生ならば乗り越えられなくもないけれど、ぐるりと張り巡らされた玉垣は侵入を拒む独特の雰囲気があって粗相をする生徒は出ていない。やんちゃ盛りの男子が多数通う高校としては、逆七不思議のひとつに数えてもいいだろう。

 俺がその伝統を破る最初の生徒になるのかな。

 こんなときだからこそどうでもいいことが脳裏を過る。

 しかし、量子結晶が導いた先は玉垣が途切れて暗い森がぽっかりと口を開けている場所だった。

 こんな場所、あったっけ?

 学校の裏庭をくまなく知っているわけじゃないけれど、こんな場所があったなら学校でも噂になっているはずだ。とはいえ、迷っている余裕はない。俺は当初の作戦に従って森に続く道に駆け込んだ。


「ちっ、八坂森に逃げ込んだか。じゃが、わらわからのがれられると思うなや」

 さらに瞳の黄色を濃くして森の入り口に立つ桔花が玉垣の作る境界線を越えて一歩踏み込んだ瞬間、彼女の髪に、腕に、制服に、朱色の炎が立ち昇る。その炎は本人も周囲の草木も焼くことなく静かに桔花にまとわりつく。炎で織られた豪奢な打掛をまとう姿は人知を超越した凄絶な美を宿していた。


 森の中の道は獣道だったのか、すぐに細くなって下草の中に消え失せた。どこまで逃げるか、どうやって振り切るか。プランは何一つ持ち合わせていない。道を見失っているとはいえ都内の神社の敷地内だ。遭難なんてことにはならないはず。森の中は昏くて時間がよくわからないが、真夜中まで待って抜け出せば片梨さんも追いかけてはこないだろう。

 そんな目論見でとりあえず木の根元にときおり見かける量子結晶体を辿りながら奥へと進む。

 少し疲れたな。そういえば今日はろくに水分補給をしていない。森の夜は多少涼しいとはいえ真夏に走り回ったので喉が渇く。絵本のなかの森のようには都合よく小川やお菓子の家は現れない。

「あるとしたら自動販売機だな」

 我ながら夢の無い妄想に笑いつつ、古い木の幹に背中を預けて座り込む。

 息を整えながら周囲に注意を払う。何というか、生き物の気配がない。小さな虫までが息をひそめているような感じだ。

 ふと枝を見ると、朱色の小鳥が少し離れた枝にとまっていた。

 薄闇の中でやけにくっきりと姿が見える。

 細く鋭いくちばし、くりっとしたつぶらな目、広げた手の平より少し大きい細身の体、長い尾羽。姿形はヒバリのようだが、炎でできたヒバリなんて聞いたことがない。

 見ている間に一羽、また一羽とどこからともなく飛来して、俺を監視するように見つめている。

「やばっ」

 ピッ、ピッ、ピルルルルゥ~

 最初の一羽が冠羽を逆立て、仲間を呼ぶ叫び声をあげる。と、次の瞬間、俺をめがけて突進してきた。

 間一髪で幹の裏側に回り込んだ俺の鼻先に、炎の矢と化した鳥が突き刺さる。

「やばい、やばい、やばい~っ」

 再び足場の悪い森の中で逃走が始まる。

 時間のあるうちにかき集めていた屑石サイズの量子結晶をときおり撒いては空気の障壁を生成する。が、今度の炎の矢は意志を持った鳥のように障壁を避け、枝をくぐり、木を回り込んで俺の身体へと迫ってくる。

「くっ」

 このままじゃやられる!

 少し大きめの量子結晶を取り出しイメージを練る。

 女郎蜘蛛じょろうぐもの張る大きな網。カラスでも破れないほどの強靭な糸。

「それっ」

 量子結晶を後方に投げてイメージを大きく展開する。

 木々の間に空気でできた不可視の網が形成される。

 ピッ。ピピッ。ピルル。

 ヒバリたちが次々と空気でできた蜘蛛の巣にからめとられて炎の矢の姿に戻り、地面に落ちて消える。

 うまくいった。いまのうちだ。

 俺は蜘蛛の巣の効果を確かめると、さらに森の奥へと進んでいった。


 しばらくして全身に炎をまとった桔花が緩やかな足取りで現れた。

 網にかかったままのヒバリに手を差し伸べ、優しく両手で包み込む。再び開いた手のひらから、ふっと薄紙の燃え殻のようなものが虚空に舞い散った。

わらわ焔雀ほむらすずめから逃れようとは。思ったよりもやりよるのう。これは玖条くじょう小童こわっぱが警戒するのもうなずけるというものよ」

 鋭く伸びた炎の爪をふるって空気でできた蜘蛛の巣を切り裂く。

 黄色い炎を宿した瞳で迷いなく英太の進んだ方向を見つめると、桔花はまた緩やかに歩き始めた。

「じゃが、その強い力ゆえに足跡は明白じゃ。頭隠して尻隠さずとはこのことよ。ふふふ、好ましいのう」

 桔花には余裕があった。どこまで逃げてもこの森からは出られない。八坂の森とはそういう場所だ。そのうえ、この場所では桔花には無尽蔵に力が使えた。いわば桔花にとってのホームグラウンドだった。

 ゆっくり追い詰めて楽しませてもらおう。桔花の内に潜む魔性が、弱者を蹂躙する享楽を思い描き悦に浸る。

「む?」

 桔花の足が止まる。

 古い苔むした自然石に五芒星が刻まれている。

「ちっ、そうじゃった。ここは土御門の……。忌々しいが約定には従わねばのぅ」

 そう独り言ちると、桔花が自然石に手を伸ばす。

 手のひらを五芒星にぴたりと押し付けた途端、桔花の全身を覆っていた炎が消える。

「……やりすぎちゃったわね。また漣に叱られるわ。仕方ない。今日のところは戻りましょう」

 髪色も瞳の色も正常に戻った桔花が言葉を漏らす。

「英太のせいよ。本当に、あのバカは……。明日、朝イチで謝らせてやるんだから」

 桔花は英太の記憶を消せなかったことに少しほっとした様子でつぶやいた。


桔花の追撃を逃れ、英太は八坂森の奥へと入り込んだ――

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