Ep3-1 夜嵐のあとに
深夜のレイドが終わり、英太は眠い目をこすって学校という名の日常へと戻っていく――
白いバンがアスファルトの上に浮いた砂粒を踏みしめて閑静な住宅街を静かに進んでいく。やがて丁字路の手間で止まるとスライド式の後部ドアが開いた。
「ここでいいです」
「家の前まで送るのに」
「いえ、もうすぐそこですから……」
「ちゃんと学校には行けよ」
「へぇ、ケイタがねぇ」
「ンだヨ、文句あっか?」
「深夜に騒ぐんじゃない。ほら、いくぞ」
「あの……ありがとうございました」
俺が頭を下げるとカサギさんが複雑な表情でこちらを見て言った。
「礼を言われるようなことはしちゃいない。ギャラは迷惑料でチャラだ。いいな?トオノ、車を出せ」
バンはすぐに角を曲がって見えなくなった。
……疲れた。もう朝も四時近い。すぐに空も白み始めるだろう。
今日は母さんは夜勤だから家にはいないはずだ。妹を起こさないようにできるだけ音を立てずにゆっくりと鍵を回してそっとドアを開ける。
静かなリビングには人の気配はなく、自分が夜中に家を出たときのままのようだ。
そのまま真っすぐに自分の部屋に向かい、着替えも惜しんでベッドにもぐりこんだ。
ピピピ、ピピピ、ピ。
死ぬほど眠たくて頭の芯に鈍痛が残る感じ。完全に寝不足だ。だけど、昨夜――というより今朝といったほうがいいか――の興奮が残っているせいか意識は一瞬で覚醒した。
シリアルに牛乳とヨーグルトをかけて掻き込む。
深夜の大運動会のあとだというのに着替えもせずに寝入ってしまった。今から急いでシャワーを浴びないと学校に遅刻してしまう。
今日は弁当を詰める余裕はないな。購買か学食で済ませることにしよう。
電車の中でもずっとウトウトしっぱなしだった。
こんな日に限って目の前の席が空いたけれど、ここで座ったら絶対に乗り過ごしてしまう。涙を呑んで吊革につかまり続ける。
ヨタヨタと校門までの道を歩いていると、背中をバシンと叩かれた。
「おう、英太。寝坊か?」
カトウである。こいつはいつもチャイムギリギリで教室に入ってくるから登校途中でいっしょになるのは珍しい。つまり、このペースだと遅刻だ。
「ちょっと夜更かししててさ」
「なんだぁ?寝てない自慢か?何時だよ、寝たの」
「四時前かな……あんま覚えてないけど」
「あれか?例の何たら彗星。おまえ、世間が騒いでいたころには観ようとしなかったくせに、遠ざかってもう見えないってなったらとたんに悔しがってたもんな」
「渋川・ターナー彗星。まあ、次に地球に近づくのは三百七十八年後って言われたらやっぱり気になってさ」
夜更かしの理由は勝手に誤解させておこう。
「おまえ、変に意固地っつーか、格好つけなところあるからなあ。昔から星とか好きなのににわか連中といっしょにされたくないってだけで話題に乗らなかったもんな」
「うるせー」
「他人の目を気にして好きなものを逃すなんて、人生損してるぞ」
「うぐっ」
ぐうの音も出ない。カトウのくせにど正論をかますなんて、生意気な……。
「ま、俺は好きにやってるからな。ちなみに俺は朝五時までゲームしてたぜ」
ニッ、と笑ってVサイン。こいつ……。
「自慢になんないって。っていうか、そんなんで大丈夫なのか?」
「一限目とニ限目に寝るから大丈夫だ」
いや、授業受けられるのかっていう意味だったんだけど……まあ人のことは言えないか。
「やべ、遅刻だぞ。ペース上げろ」
「お、おう」
午後の授業の教科書を忘れたので二限目と三限目の間の休み時間に隣のクラスに借りに行く。やっぱりレイドのある日は事前に学校の準備を済ませないとダメだな。
昼休みは久しぶりに激混みの学食に挑戦した。ただでさえ疲労と寝不足で体力が落ちているのに購買の争奪戦に参加する気力はわかない。学食も混んではいるけれど、並んでいればそのうち順番が来るので問題ない。かけうどんの乗ったトレイを持って空いているテーブルを探す。普段使い慣れていないからテーブルのそこここを占拠しているグループにどう対処して良いかわからない。なお、ウチは原則弁当ありなので、学食での食事はお小遣いからの自腹になる。よって今日は一番安いかけうどんなのだ。
「石守さん。お食事ですか?」
席を探してうろうろとしていると通り過ぎたテーブルから声がかかった。
「え?あー、はい。席が空いていなくて……」
振り向くと生徒会役員に囲まれてテーブルについている綾神さんがにこりと笑いかけていた。俺は少し上ずった声で言わずもがなの言葉を口にする。
「では、こちらの席をお使いください。わたくしはもう食事を終えましたから」
「いえ、お気遣いなく……」という間もなく、食後のお茶を嗜んでいた生徒会の面々が慌て気味に片づけを始める。
「今日はお弁当ではないのですね」
「ちょっと今朝は時間が無くて……」
仕方なく綾神さんの隣の空いている席に座る。
「石守さんはご自分でお弁当を作ってらっしゃいますの?」
「いえ、母親が夜勤のときとかは前日におかずを作り置きしてくれるんです。それを弁当箱に詰めるだけですよ」
「それでもご自分でなさっているなんて、素晴らしいですわ」
何が嬉しいのかとてもにこやかな笑顔で話しかけてくる。心なしか周りの生徒会役員の視線が険しい気がする。
「綾神さんはお弁当じゃないんですか?」
いたたまれない空気を感じて、ついわけのわからない質問で会話をつないでしまった。
「カフェテリアに関する要望や苦情が多く寄せられますの。ですから生徒会もこうして月に二、三度こちらを利用して実情を把握するようにしております」
「なるほど、それで今日はたまたまいっしょになったんですね」
いっしょという言葉に反応して綾神さんが少し顔を赤らめる。
「石守さんとご一緒できるなら、もっと頻繁に利用しようかしら……」
「え?」
つぶやくような声だったので学食の喧騒に掻き消されてよく聞こえなかった。
Ep3-1 夜嵐のあとに〔つづく〕




