Ep2-10 ドラウグルの庭
二酸化炭素ガスが充満する通路の先には窒息不可避の罠が仕掛けられていた――
廊下はすぐに円形の部屋に出た。
周囲に柱が立ち並び、ドーム型の屋根を備えている。柱の奥はアルコーブになっていてよく見えない。
床は桔花たちが進んできた廊下よりも一段低い位置にあり、中央部分に魔法陣が描かれているのが見える。
『つくづく悪趣味ね、ここの連中は……』
ユナが嘆くのも無理はない。廊下の低い位置でさえ、体調に影響が出る二酸化炭素濃度なのだ。そこよりさらに五十センチメートルほど下がった位置なら、まず間違いなく窒息する濃度の二酸化炭素が滞留しているだろう。
「あの中央の魔法陣を起動しろってことよね」
「ユナ、魔法陣を解析してれ」
『やってるわ。……そうね、魔法陣自体は床を昇降させる一般的なものだわ。ただし、起動には五分間継続して魔法陣を活性化し続ける必要があるみたい』
「なんでそんな面倒を……あっ」
「そういうことだな」
「どういうことなんだ?」
術式に詳しくないショーが疑問を呈する。
『あのタイプの魔法陣は術師が直接手を触れて活性化させる必要があるの。窒息レベルの二酸化炭素が充満した床に息を止めたまま手を突いて五分間魔法陣を維持し続ける、そういう作業を強要しているってわけ』
「ほんっと、悪趣味。やっぱりここの指導者はサディストよ」
「その見解は正解のようだな。ここまでのギミックはどれも即死させるようなものではなかった。どちらかというと苦痛を長引かせることを狙っているように思える」
「となると、今度も床の魔法陣を何とかしないと先に進めないということか。どうする、漣?」
「俺に考えがある。ユナ、次に指示する術式を作成して送ってくれ」
漣がユナに細かい指示を出す。
『わかったわ。二分ちょうだい』
「さすがね、ユナ。で、その術式はあたしが起動するの?それとも床の魔法陣を担当する?」
「桔花が術式のほうを担当してくれ。魔法陣は俺がやる」
「了解」
『できたわ』
「はやっ!」
『既存の術式の流用だもの。そこに範囲と温度設定を追加しただけだし。術式投影機のほうに転送すればよろし?』
「ああ、頼む」
『了解……完了っと』
ユナが作成した術式がすぐに漣の手元のガジェットに転送される。モニタ画面に表示される内容を確認してガジェットを桔花に渡す。
「こいつを起動してくれ。全員、マスクを装着」
「了解」
桔花がガジェットを両手に持って円形の床の中央に向ける。モニタ画面の反対側に取り付けられたレンズから発せられた光が床に魔法陣を描き出す。投影された魔法陣の範囲で、空気が急激に冷却される。
ピキパキビキパシ
魔法陣の中心に白い粒が生成され、急激に大きく成長する。
コロン……コトン……
次々と小石サイズに成長した塊が床に転がる。
桔花がガジェットを停止させると、あとには複数のドライアイスの塊が残された。
漣がタクティカルグローブで護られた手でドライアイスを拾い上げ、バックパックの保冷箱に放り込む。
漣は円形の床の低い位置で二酸化炭素濃度を測定し、オーケーの合図を送った。
桔花が床に下りると、身を切るような寒さが肌を撫でる。
「うう、さむっ」
「マイナス79℃だからな。すぐに室温に戻ると思うが、肺を傷めないようにしばらくマスクを装着したままにしておけよ」
「わかったわ。でも何をどうやったの?」
「大気を冷却して二酸化炭素が凝固する温度まで下げた。ドライアイスにして二酸化炭素を回収したんだ。恐ろしく燃費の悪い方法だが、術式を使えば大規模な装置によらずに実現できる」
「ナルホドネ」
「床の魔法陣を起動する。二人は周囲を警戒してくれ」
「「了解」」
漣が床の魔法陣に両手を当てて起動する。派手な発光などはないが、ゆらゆらと揺らめいているのが見える。やがて既定の時間が経過すると、魔法陣の光が安定して床がゆっくりと沈み込み始めた。
石材と石材が擦れる音が響く。
やがて下の階に到着し、床の降下が停止した。
周囲三か所に入り口らしき開口部があり、残りの一か所に祭壇がある。
祭壇はいくつもの燭台の灯りに照らされていた。
白亜の台座の上には、黒く炭化し腹這いになった遺体があった。
遺体は肘をついて上半身を起こした姿勢で、枝のように細い右腕を祭壇の奥の空間にすがるように掲げている。
同じく奥の空間を見あげる頭部は性別が分からないくらいにカラカラに炭化していて、わずかに開いた口が嘆いているようにも、嗤っているようにも見える。
遺体の表面は微細な凹凸があり、角度によってはガラス質のきらめきを見せて燭台の灯りを反射している。そのせいで、生物の遺骸というよりもガラス繊維で造形された芸術品の趣きがあった。
だが一番目を引くのは、背中から突き出た二枚の翼だ。
それは遺体の全身より大きく、無数の羽に覆われていた。
細かな羽を含めたすべてが原形をとどめたまま完全に炭化している。
触れれば今にも崩れて灰燼と化してしまいそうなほどに繊細に見えるそれは、同時にたとえ金床に打ち据えてもびくともしない強靭さ備えていることが感じ取れる。
「これが、『天使の遺灰』……」
「否」
桔花のつぶやきに明確な返答が返る。
「誰?」
天井付近のアルコーブを見上げた桔花の目に、灰色のローブをまとった怪人の姿が映る。
青白い肌は死蝋じみた色合いで、表情のない顔は仮面をつけているかのように無機質だ。痩せた長身を少し前かがみして立ち、異様に長い腕と長い指をしている。
気づくと反対側にも一人、似たような姿の怪人がアルコーブに立ち、シューが警戒の銃口を向けていた。
「其は天使に非ず」
「天使は人なり」
「人ならざるもの、天使に非ざる」
灰色のローブの男が口々に言葉を発する。声が重なり合い、ドームに反響し、重合する。
桔花には聞き取れなかった。
正面の男が叫んだ。
「死して人の糧となり天使となれ!」
ローブ姿の怪人たちの真下でバンっと音を立てて扉が開き、わらわらと人影が現れた。こちらは灰羽派の信徒だろうか。怪人と同じ灰色ではあるが、ボロボロの垢じみたローブをまとっている。どれも痩せ細った姿で、弱弱しく歩き、一人一人には脅威を感じない。しかし、数が多かった。
「どうする、リーダー」
ノクターナルの三人が中央に集まり背中合わせに立って周囲の敵を牽制する。
「ここがゴールらしい。全員倒すぞ」
「了解」
最後の戦闘の火蓋が切って落とされた。
ついにターゲット『天使の遺灰』にたどり着いたノクターナル。彼らの前に怪しい人影が立ちふさがる。多勢を前にリーダーの漣は敵の排除を命じた――




