Ep2-1 レイド開始
毎日280万人を越える人々が行き交う渋谷。その中心部にあった駅ビルは大正時代から増改築を繰り返してきた末に姿を消し、大規模な再開発計画のもとで生まれ変わろうとしていた。大都会の新陳代謝の隙を縫うように新たなレイドが幕を開ける――
6月末某日 25時55分 渋谷
あえて何もない巨大なデッキ空間として設計された超高層ビルの屋上から寝静まりかけた都会を見下ろす。頭上からは失われた太古の夜空を思わせる星の海が眼下に広がっている。
地上二百二十九メートルでは穏やかな天候でも風が強い。
「見晴らしはいいけれど、さすがに物騒ね」
ガラスの仕切りの向こうで屋上の縁に寝そべるショーを見守りながらユナが声を掛ける。ショーは不安定な足場を気にする素振りもなくスナイパーライフル型デバイスを下界に向けて調整している。
「問題ない。ターゲットの位置情報をくれ」
ユナが風に乱された濃藍色の髪を白い指がかき上げる。ノート型情報端末のキーボードを撫でるように叩くと、簡略化した地図にいくつかの光点が浮かび上がる。
「現時点では四機ね。バロック・ドックスの認識コードを確認。連中、懲りないわね。無線封鎖って教わらないのかしら」
「開始前からドローン飛ばすとか、バカじゃないの」
ユナから少し離れた場所でウォーミングアップをしている桔花が感想を漏らす。
「レイド開始後に離床するドローンもあると思うわ。索敵は五分でいい?」
「二分だ。それよりも遅いチームは無視して構わない」
「了解、リーダー」
漣は偵察用双眼鏡で地上を観察する目を外さずに言った。
「目視確認できた競合チームは四チームだ。それぞれ工事用ゲートのA2からC1に分かれて待機している。地上での潰し合いは連中に任せて、我々は中央立坑から直接侵入する。開始四分で支援ドローン排除を完了、0205に降下開始」
「「「了解」」」
屋上からひと時の間、会話が途絶える。
ユナが見つめる情報端末の画面に輝度の低い緑色で刻まれている文字列は――
【案件コード】 :No.0136
【依頼主】 :聖座秘蹟典礼局第三聖務管理課
【報酬】 :3000万クレジット
【参加フィー】 :1000GEM
【制限時間】 :九十分
【依頼ランク】 :B
【ターゲット】 :天使の遺灰
【ミッション】 :目標達成型
【ロケーション】:渋谷区地下に埋もれた聖オルテンシア教会址
【情報概要】 :過去のカルト団体が使用した遺灰が教皇庁から盗まれた聖遺物の一部を含んでいることが判明。回収を急ぐ――
「時間だ。レイドを開始する」
ターン……、ターン……、ターン……、ターン……
急ぐことなく熟練の動きで、滑らかにかつ素早く弾が薬室に送られていく。
「ターゲット追加、二ポイント」
「了」
先ほどより少し間を空けて二発の銃声が響く。
「排除完了」
「よし、降下準備」
ショーがライフル型デバイスをその場に置いて素早く起き上がり、突入用の装備をチェックする。
桔花は今回も無手だ。全身を覆う赤いプロテクティブスーツは夜空でも目立つが、桔花の扱う術式との親和性を考慮した結果だ。隠密性よりも威力重視というわけだ。
「パラシュート無しなんて、降下術式があるって分かっていても肝が冷えるわね。こんな上空まで結界は有効なのかしら?」
「大丈夫。ちゃんと見えてる」
レイドの結界は平面に対して施されるため、高さ方向には制限がない。
「結界が見えるってすごいわね」
オレンジ色を濃くした桔花の虹彩を見つめてユナが感心したように言った。
「……そんないいものでもないよ」
少し目を伏せて桔花がつぶやく。
「ごめん、デリカシーがなかったわ。ほんと、ごめんね……」
「ううん、気にしないで。悩みは人それぞれだから」
桔花がヘッドギアのゴーグルを降ろす。
「作戦中だ。私語は慎め」
「「イエス、サー」」
「状況報告」
「追加のドローン、認められません。降下開始までカウント五で行きます。
――五、四、三、二、一、開始!」
ゴーグルを降ろした漣とショーがガラス仕切りの向こうで身を投げる。
桔花はブーツを発光させて跳び上がり二メートル近いガラス仕切りを軽々と片手で超える。そのままくるりと頭の向きを変え獲物を狙うハヤブサのように落下していく。
「ひぇーーっ。ああは言ってたけどやっぱり私には無理ね。留守番でよかったわ」
地下三階までの高度差は二百四十メートル。自由落下では約七秒で地表に到達する。
ほとんど重なり合っていたメンバーの位置を示す光点がきれいな三角形に展開し、無事に着陸したことを教えてくれる。バイタルサインを見守るユナの表情がわずかに緩み、情報端末から顔を上げた。
「さて、機材を回収して私も移動しましょう」
ショーは降下開始から6.39秒後に胸部のボタンを叩いた。全身に強烈なGがかかり、蓄えた落下速度を相殺していく。
VRシミュレーション通りにつま先を下にして降下し着地と同時に前転、降下ポイントから移動する。ショーはアサルトライフル型デバイスを構えた姿勢で素早く周囲を確認した。
「クリア」
桔花の降下はもっと単純で本能的なものだった。
頭から突っ込み腕を体側にそろえて空気抵抗を最小限にする。
降下速度は最大で時速二百二十キロメートルを超えるが桔花には地上の動きがすべて見えていた。
遮蔽物越しに銃撃戦を繰り広げる三チーム。
先行して地下に侵攻した一チーム。
着地地点に待ち伏せはない。
「いても蹴散らしてやるけどね」
ぐんぐん迫る床を見据えて不敵に笑う。
瞬間、床にパッと炎の輪がフラッシュし、熱風が巻き上がる。
コントロールされた上昇気流が桔花の体をとらえ、落下の速度を相殺する。
チリチリと炎の余韻を残す輪の中に両手を翼のように広げた桔花がふわりと降り立つ。
「地上の敵は三竦み状態で足止めされているわ。当分動けないわね。あと一チームが先行中」
「把握している。バロック・ドックスは二チーム編成で参加しているようだ。一方が地上に残って競合チームをけん制している間にもう一チームがレイドを攻略する戦略だな」
「リソースに余裕のあるチームは違うな」
「別の入り口から入り込んだ競合チームとの遭遇戦も考えられる。このままバロック・ドッグスを先行させて様子をうかがうぞ」
「了解」
「猟犬は有効活用しないとね」
三人はバロック・ドッグスの残したブービートラップに注意しながら静かに地下通路を進んでいった。
新生渋谷の象徴たる超高層ビルの屋上から参戦したノクターナル。一方そのころ、レムナンツ・ハンズの面々は初心者の英太を引き連れて終電の去った地下鉄トンネル内を進行していた――




