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Ep1-8 昼下がりの密会

昼下がり。生徒会室のある辺りはひと気がなく、遠く校庭のほうで上がる嬌声がかえって静けさを感じさせる。じっとりと汗ばむ初夏の陽気が英太の緊張に強張る体を包み込んでいた――

 コンコンコン。

「どうぞ。お入りください」

 なぜか普通の教室とは異なる観音開きの重厚な木製ドアを引いて、生徒会室に足を踏み入れる。

「失礼しまーす……」

 しんと静まった部屋に挨拶の言葉も思わず尻すぼみになる。

 会議机の奥に窓に背を向けるようにして置かれた執務用のデスクから彼女が立ち上がった。

 綾神さんだ。他には誰もいない。あれ?生徒会の呼び出しじゃないの?

「そちらにお座りください」

 会議机の端の席をすすめられる。

「あ、ども」

 用意してあった急須からやわらかな甘みを含んだ香りの煎茶を注ぎ、茶托に乗せて差し出されたそれを受け取る。

 緊張して喉が渇いていたこともあり、作法も分からないまま湯呑を右手でつかんで底に左手を添え、ごくりと飲んだ。ほどよくぬるめに冷まされたお茶が喉を通り抜ける。爽やかな苦味とともに上品な甘みが口内に広がり、わずかな塩味が後味を引き締める。

 上等なお茶って甘いんだなあ、と自分の置かれた状況から意識が逸れるとともに緊張感が引いていく。

 タイミングを見計らったかのように正面に座った綾神さんがにこりと微笑んだ。

「わざわざご足労をいただきありがとうございます。本来ならばこちらから出向いてお話をさせていただくところを申し訳ありません。ですが、他聞をはばかるお話でしたので」

「いえいえ、お構いなく」

 いったい何の話が始まるのだろう?

「……その、片梨さんとはどういうご関係でしょうか?」

 はい?

 少しうつむき加減で目を逸らしながら発せられた言葉が生徒会の呼び出しというイメージからあまりにもかけ離れていて返答に詰まる。

「えっと、なんていうか、知り合ったばかりというか、昨日初めて話をした関係ですかね」

「あら、そうでしたか。私ったらてっきり以前から仲良くされていたのかと」

 なんで綾神さんがそんなことを気にすんだろう?

「いえいえ、仲良くなんてとんでもありません。どちらかというと責められている感じです」

 ぴくりと綾神さんの肩が揺れる。

「あーいや、俺が何かしたっていうわけではないです。あ、でも彼女が悪いわけでもなくて」

 どう説明したらいいんだろう?

 主観的には俺に落ち度はないけど、客観的に見たら悪いのかもしれないし。

 女性相手に女性を悪く言うのは心証が良くないだろうか。

 事実をありのままに説明したほうが罪状が軽くなる?

 あれ?これって尋問なんだっけ?

 頭が混乱したまま、説明の言葉を紡ぐ。

「えーと、偶然俺が彼女のパンツを見てしまって、そのあとたまたま俺が彼女のスカートをめくるような形になってしまい、それで彼女に落とし前をつけることになって……」

 あ、やっちまった。これじゃ俺が性犯罪者予備軍認定されてしまうぅ。

「ほんと、偶然だったんです。信じてもらえないかも知れないけど、石が急に熱くなって、それで空気が重くなって、ばしゃーんて。いや、空気を重くしようとしたのは偶然じゃなくて俺の意志だったんですが……」

 だめだ、自分でも訳がわかんないことを話している。

 涙目になりながら机に目を落とす。

「それで昨日は片梨さんと昇降口で待ち合わせをしていたんですね」

 予想していたのとは百八十度異なる晴れ晴れとした綾神さんの声が返ってくる。

「えっ」

 思わず顔を上げる。

 なぜか上機嫌の笑顔で綾神さんが座っていた。

「石守さんが誘ったのではなく、片梨さんに無理やり従わされていたのでしょう?」

「無理やりっていうほどでは。俺にも多少の責任はあるかなと思いましたし」

「まあ、石守さんは片梨さんとご一緒して楽しくお過ごしになられたんですの?」

「楽しいっていうわけでもないですけど、俺の知らないことを教えてくれましたし」

「石守さんの知らないこと……あの子、あんな貧相な体でそんな大胆なことを……いいえ、きっと何かの間違い……あの子でいいならわたくしにだってチャンスは……」

 綾神さんの顔色が赤くなったり青くなったり目まぐるしく変化する。

 これ以上弁解しても余計ややこしくなるだけだと判断して話を最初に戻す。

「あのー、それで、ご用件はなんなんです?」

「はっ、これは失礼いたしました」

 コホンと小さく咳ばらいをして姿勢を立て直す。

「石守さん。あなたにはこれ以上、量子結晶にかかわらないことをお勧めいたします」

「なっ」

 なぜ量子結晶のことを、と言いかけて昨日の片梨さんの言葉を思い出す。俺の量子結晶を見つける能力が知られたら悪い連中に狙われるらしい。どこの陰謀論だよと半信半疑だったけれど、こうして初対面の人から警告を受けてみるともう信じるしかない。

 綾神さんはどこまで知っているのだろう?俺はさっきどこまでしゃべった?

「世の中には知らなくてよいこともたくさんあるのです。どうか御身を大切に、この先には足を踏み入れませぬよう」

「綾神さんはどこまで知っているのですか?そのう、量子結晶というものについて……」

「深く存じております。石守さんが想像するよりも百倍も千倍も深く」

 綾神さんの瞳の色が急に深くなる。それは覚悟を持った人の瞳だったのだろう。

「……綾神さんは大丈夫なのですか?」

 俺の言葉に不意を突かれたように彼女の瞳から張り詰めたものが消える。同時に凛とした面持ちがほんの一瞬だけ崩れ、年相応の十六歳の顔がのぞく。どこかで見たことがあるような、懐かしさを感じる顔だ。

「あなたは本当に……。わたくしの身を案じてくださってありがとうございます。ええ、大丈夫です。わたくしには後ろ楯がありますから。危ういのはあの子のほう……いえ、なんでもありません」

 再びいつもの落ち着いた顔を取り戻し、小さく微笑みを浮かべていった。

「約束してください。今後、量子結晶には触れぬと。そして片梨かたなし桔花きっかには近寄らないと」

「それは……約束できません。俺は、量子結晶を知ってしまったから。知らなかったことにはできません。申し訳ないですが……」

 綾神さんが心配してくれているのは伝わった。

 けど、知識欲は人の欲望の中でも五大欲求に次ぐといわれるほど強い。

 このまま忘れてしまうことなどできない。したくない。

「そう……ですか。残念ですが、仕方ありません」

 えっ、俺、ここで消される?

「差し出口をしてしまい申し訳ありませんでした。ですが、片梨桔花にはくれぐれも気を許されませぬよう」

 ほっ。あきらめてくれたようだ。いやまあ、片梨さんのことは念を押されてしまったけど。彼女にはいろいろと教えてもらうかもしれないけれど、友達付き合いするわけじゃないからその程度なら大丈夫だよね?

 俺は曖昧にうなずいておく。

「本日はお時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした」

「いえ、それで量子結晶……」

「しーっ」

 量子結晶のことは秘密にしておいてください、と言おうとして人差し指で唇を押さえられてしまう。

「その言葉は軽々に口にのぼせてはなりません。この約束はお守りください」

 近くで囁かれて思わず耳まで真っ赤になる。

「ご、ご忠告ありがとうございます」

 俺はお礼を告げて、生徒会室を慌ただしく立ち去った。



桔花への返答もままならないうちに、新たな忠告を得てしまった英太。量子結晶のことを知りたいという望みは変わらない。だけど、このまま片梨さんについていっていいのだろうか。言い知れぬ不安に英太の決意は揺らぐ――

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