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うつくしいこえ

 美しい声に、なりたかった。


 昔から歌が好きだった。歌うことが好きだった。でも僕は昔から悪声だった。ハスキーといえば聞こえはいいが、幼稚園のころから「おじいちゃんみたいな声」と友だちに悪気なくからかわれた。


 僕は小学校あたりから、人前で歌わなくなった。音楽の授業ではしかたなく歌った。なるべく周囲から「○○くん、歌ってません!」とは言われないぎりぎりの音量で。


 自分の部屋で、ひとりきりで、窓を閉めて小さな声で歌うのが、僕のささやかな趣味になった。


 中学校あたりから、ひそかに歌詞を書き出した。歌を作り始めた。ボーカロイドに歌わせて、ネット上で投稿した。


 少しずつ少しずつ、僕の歌とハンドルネームは、有名になっていった。透明感のある歌詞と、美しいメロディーと、唯一無二の世界観と、ちらほら称賛されるように。


 僕は歌った。自分の部屋で、ひとりきりで、窓を閉め切って、小さな声で、自分の作った歌たちを。


 ――ひどい声だった。とても聴けたものじゃあなかった。僕は、美しい声が欲しかった。


 そんなある夜、夢を見た。夢の中で悪魔が言った。悪魔は見た目、クラスメートの女の子にとても似ていた。


「美声をあげるよ、あんたに。とろけるような甘い声、素晴らしく美しい声、聴く者全てをとりこにする声をあげるよ」


 僕は喜びの声をあげ、黒ぶちメガネのおさげの悪魔に抱きつくように肩をつかんだ。悪魔はにやりと笑ってみせて、「条件があるよ」と口を開いた。


「あんたの才能、全部もらう。透明感のある歌詞や、美しいメロディー、唯一無二の世界観を紡げる才能、ぜーんぶもらう、交換条件……そんでも良いの? 美声になりたい?」


 僕はたっぷり五分は黙り込み、とうとう首を横に振った。美しい声は欲しい、のどから手が出るほど欲しい。でも……歌を作り出す、この能力を失えば、僕がぼくじゃなくなることも、痛いくらいに分かっている。


 そう伝えると、悪魔はどこか満足げに微笑んで、霧にまかれて姿を消した。


 ……そんな、おかしな夢だった。目覚めて思わず出した声は、相も変わらず老人みたいにしゃがれていた。


 夢の余韻を引きずりながら学校に行き、ぼーっとしたまま授業を受けて、あっという間に放課後になった。僕は帰りがけに忘れ物に気がついて、自分の教室に引き返した。


 教室の中から、かすかな歌声がもれてくる。綺麗な声だ、女の子の声、甘く優しく、天使のような……、


 ――僕の歌だ。僕の作った歌を、中でも一番お気に入りの歌を、甘い声は奏でていた。


 少しためらって教室のドアを開けると、声はぱったり歌いやめた。夢の中で見た悪魔と同じ、黒ぶちメガネにおさげのクラスメートが、ほおを赤くして僕を見てきた。


「……今の、ネットでそこそこってる歌?」


 なにげなくそう訊ねてみると、クラスメートはぱっと表情を明るくして、弾けるようにうなずいた。


「――うん! わたし、この歌が大好きで……」

「……おれも好き。めっちゃ良い声してるんだね、君……授業じゃあんまり大きな声で歌わんからさ、気づかんかった」


 クラスメートはますますほおを色づけて、ちょっとのあいだ考え込んで、それからそっと口を開く。


「……歌い手、やってみようと思ってるの。まだ何にも分かんないけど……」

「――ユニット組まない?」


 思わずぱっと言葉にすると、彼女はきょとんと僕を見た。黒ぶちメガネのレンズの向こう、栗色の瞳が綺麗なことに、その時初めて気がついた。


「……おれの作った歌、君にもっと歌ってほしい。おれさ、こんな声だから、自分で歌ってもどうにもならんし……」


 彼女は栗色の目をまばたき、僕を見つめるその目にきらめくような憧れがぱあっとあふれてきて……、


 彼女は返事の代わりみたいに、ぎゅっと僕の両手を握る。心臓を甘くつかまれたような、なぜだか妙にそんな気がした。


* * *


 ……僕の作った歌、彼女の歌う歌が、テレビの歌番組で流れる。彼女はそっとテレビを消して、小さく子守唄を歌う。


 この歌が、今一番好きだと言ったら、彼女は苦笑いするだろう。微笑みながら言うだろう、「こんなプライベートな歌、家族にしか聴かせないわよ!」


 あの日、夢の中で悪魔は嘘をついた。僕は歌を作る能力を失わないまま、美しい声を手に入れた。歌のおかげで、愛しいひとと、最愛の家族を手に入れた。


 黒ぶちメガネをコンタクトに、おさげの髪をショートボブにした可愛い妻が、僕らの赤ちゃんを胸に抱いて、小さく子守唄を歌う。


 世界じゅうで一番綺麗な、美しい愛しい声だった。


(了)

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