泣きたい時には
「まるで昔の映画に出てくる、ロボットみたいなことを言う……」
博士は私にそう言った。白い口ひげをしごきながら、困惑したような口調でつぶやく。
「泣くことはない、泣くことは。わしゃあ『泣く』ということは、人間の欠陥だとすら思ってるんだ。いくら悲しい時に泣いたって、物事は前進せんからな……泣いとるひまがあるのなら、研究研究、少しでも前に進んだほうが良い。そうは思わんか、なあマシーナ?」
「それでも博士、博士は五年前奥さんが亡くなられたときに、一晩じゅう号泣なさっておられました」
私が淡々とそう言うと、博士はぐっと言葉につまる。口ひげをしごくしぐさがゆっくりになり、目をそらして気弱な口調で吐き捨てる。
「――じゃからそれが、『人間の欠陥』だと言うんじゃよ。わしの造ったロボットであるお前には、そういう機能は必要ないと、わしゃあ思っておるんじゃが」
「泣くことで、悲しい気持ちは落ち着きます。悲しい時に思いきり声を上げて泣くことで、悲しい気持ちに区切りをつけて、ようやく次に進めると……そうものの本に書いてありました。それは真実だと思います」
博士は綺麗な青い瞳で私を見つめ、まっすぐな声でこう訊いた。
「お前は、時おり泣きたいくらいに悲しくなるのか? 心情豊かにプログラミングしたのは、わしの間違いだったかね?」
「幸いにもう長いこと、泣きたいくらい悲しくなったことはありません。ですが、もうじき涙を必要とする日がやって来ると予測されます……」
「……それは、何だね?」
失礼ながら、と私が博士の耳に口を寄せ、合成音声で耳打ちすると、博士は何度もまばたいた。青い目が少しばかり潤んで、「そうかそうか」と何度も何度もうなずいた。
……そうして私は、『涙する機能』を手に入れた。博士は泣くための仕組みを機械人形の私の体に組み込んで下さった。
そして、その日が訪れた。泣く機能を手に入れてからちょうど半年、博士の奥さんがお歳で亡くなられたのと同じ日だった。
――博士が、お歳で亡くなられた。
眠るように穏やかに、永遠に目をつぶられた。
私の人工網膜が潤み、視界がゆるゆるに緩んでゆく。機械仕掛けの瞳から、ほおを濡らして透けるしずくがこぼれ出る。
私は泣いた。この世に『生を受けて』初めて、涙を流して声を出して。生まれたての赤ん坊のように、冷たくなってゆく博士の胸に顔をうずめて、泣いて泣いて泣き続けた。
――博士が二十歳の年に私を造ってくださって、いろいろな話をしたこと。
ある時「奥さんは君で良い」と本気の口ぶりで言われたこと、それを真っ向から論破して、博士が私の前で初めて涙を見せたこと、博士がやがて他の方とお付き合いし、めでたくご結婚なされた時、初めて泣けない自分が悲しく思えたこと……、
いろいろな記憶がフラッシュバックし、私は泣いた。泣いて泣いて泣き続けて、やがてようやく涙も涸れて、私は博士の濡れた胸から顔を上げた。
……博士の孫の青年が、扉の前で私を見ていた。若い時の博士にそっくりな青年は、静かに穏やかにこちらに近づき、そっと私の手をとった。
「……人間には、『嬉し泣き』という事象もある。ぼくはそのうち、君にそれを教えたい……」
つぶやく青年の声音には、いつか若い時の博士がこちらに向けていたような、親愛以上のあたたかみが感じられて。
それが何故だか理由も知らずに、私は少しだけ微笑んだ。瞳から名残りの涙のリキッドが、ほおを伝って流れ落ちた。
私の認識機能がバグを起こしているのだろうか……穏やかに永遠の眠りにつかれた博士の目もとが、口もとが、微笑んでいるようにも見えた。
(了)




