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親愛なるブラックベリー

「自分の言葉で書けば良いのに」と、ぼくは何度もそう言った。


 ぼくのいとこ、ダグラスは耳を貸そうとしなかった。


「書いてはいるんだよ、自分の言葉で……巨匠の本を書き写すあいまに」


 ダグラスは二十三歳の青年だった。十三歳のぼくから見ると、あまりにも大人っぽく見えた。いとこの兄さんはサラリーマンをしながら、いつか作家になるのを夢見ていた。


「いいかい、ウィル……先人の偉業をなぞるのは、とても大事なことなんだ。ごらん、僕の本棚にあふれんばかりに並んでいる、この巨匠ののこした宝を!」


 ぼくは言われるままに目をめぐらす。こじんまりした部屋ながら、四方の壁は全て本棚に覆われている。その本棚の九割がた、ブラックベリーの本がぎっしり……ダグラスの愛する大作家だ。


「いいかい、ウィル。ブラックベリーは半世紀前に九十歳で亡くなった、それでも書いた本の数々はいまだに本屋で売られている……分かるかい、この本棚には先人の英知が詰まってるんだ!」


 熱っぽく語りつつ、ダグラスは一番お気に入りの『万華鏡~ブラックベリーの傑作集~』を本棚から一冊抜き出す。


「ほら、表題作は青年と妖精の恋を描いた短編だ……人外の寿命はとても短い、恋に落ちた妖精は『わたしを殺して』って言うんだよ……」


 知ってる、君から何度も聞いた。ぼくも何べんも読んでるよ、一部は暗唱できるくらい……そう言おうとして言えなくて、ぼくは口をむにゃむにゃさせる。


 ダグラスは自分に言い聞かせるように、熱いまなざしを本に注いで語り重ねる。


「妖精は言うんだ、『わたしが綺麗なうちに殺して、死体を宝石のかけと一緒に、万華鏡に閉じ込めて……そうすればずっと綺麗な姿のまま、あなたのそばにいられるから』……」

「で、青年はその通りにして、一生(ひと)り身で通すんでしょう?」

「そうだよ! それで、老いた青年の眠るように亡くなる時、そのしわだらけの手の中には万華鏡が握られていて……!!」


 ダグラスは潤んだ声をつまらせる。いつもながらこの熱愛ぶり、何だか少し心配になる。


「……そういうさ、素晴らしい文章をこしらえたくて、ダグラスは巨匠の本を書き写すんでしょ? ノートに鉛筆で……文章の練習に」

「そう、その通り!!」

「――でもさ、そんなことに熱中してたら、自分で『自分らしい文章』や『自分らしい物語』が分からなくなっちゃう日が来ない?」


 本心から訊ねると、ダグラスはふっと黙り込む。文庫本を大切に抱く手に力を込めて、ぽつりとひと言つぶやいた。


「……もう、分からなくなり始めてるかもしれない」


 じゃあ、やめなよ。

 書き写すのはもうやめて、自分の言葉で物語を紡ぎなよ――、


 ダグラスが、どれだけ作家になりたいか。どれだけ文章を、物語を……ブラックベリーを大事にしているか分かるから、想いは言葉にならなかった。


* * *


 ……出版界に『魔法』が起きた。ブラックベリーが死んでから五十年経った今、ブラックベリーからある出版社に『新作』が郵送されたのだ。


 それは手書きの原稿だったが、もちろん故人の筆跡とは違う。明らかに別人の書いたものなのに、書いてある内容はブラックベリーそのものだった。


 ある青年の、『少年の日の回想録』のように始まって、時おり流れるようにSFのような展開が混じり、そうかと思うと植物が芽吹いて花咲くようにいかにも自然に美しく、ファンタジー要素が花開く。誰がどこからどう読んでも、『ブラックベリーの新作』だった。


 出版社は作者の正体を探ろうともせず、すぐにいわくつきの『新作』を文学雑誌に事情を明かして掲載した。


 文学を愛する者は喜びの渦に巻き込まれた。『ああ、あの巨匠ブラックベリーの新作! ありがたい、生きているうちに(天国でじゃなく)こんなものが読めるなんて!!』


 ……そうして誰も、そう、誰も、『ブラックベリー』の正体を知ろうとはしなかった。読者の方はともかくも、出版社の対応がぼくにはどうにも分からなかった。


 後からあとから『ブラックベリーの新作』を送ってくる者の正体を――知ろうとすれば知れるはずだ。筆跡も独特、どの地域から郵送されてくるのかは、郵便物を見れば消印で一発で分かるのに……どうして?


 考えた十三歳のぼくは、思いあたって腹の底から煮えくり返る想いがした。


 ――知りたくないのだ。この国の独特の出版に関する法律では、死後五十年経てば著作権は消滅する……『五十年前に死んだブラックベリーの新作』ということにしておけば、本当の書き手に金は払わなくても良い!!


 ぼくはそのことに気づいた夜、近所にあるダグラスの家に泊まりに行った。いとこの兄さんは、部屋にこもって何かを原稿に書いていた。ノックもなしに扉を開けたぼくの気配に驚いて――がさがさと音立てて原稿を両手で覆い隠す。


「ダグラス」

 ぼくは、精いっぱいの笑顔を浮かべて、それから堪えきれず真顔になって、ひと言だけ、ありったけの想いを込めてこう告げた。


「ぼくは、ダグラスの書いた、ダグラスの物語が読んでみたい……」


 それだけだった。あとはもう何も言えなかった。目を見開いたダグラスの、宝石のような青い瞳に、真顔のぼくが映っている。その姿がじわじわにじんで、いとこの兄さんの青い目から、透けるしずくがあふれ出した。


 ぼくは、黙って一生けんめいに微笑んで、何も言わずに扉を閉めた。


 ――それが、ぼくがダグラス兄さんを見た、最後だった。


* * *


 ダグラスは失踪した。会社にも何も言わず、友人たちにも何も告げず、家からひとり出て行った。愛用の黒いかばんだけ、いとこの家からなくなっていた。


 それと時を同じくして、『ブラックベリーの新作』は郵送されてこなくなった。文学好きは芯から嘆き、出版社は今さらになって『真の作者』を探し求めた。


 見つからなかった。新作は送られてこなかった。新聞の一面を占めていた『ブラックベリー失踪事件』はやがてどんどん記事のすみっこに追いやられ、半年も経つ頃にはその見出しの記事自体が消滅していた。


 一年が経った頃、ある作品が小さな出版社に送られてきた。『ブラックベリー』とは署名されていなかった。


『とある青年の回想録』という雰囲気で書き出し、やがて自然とSFの気味を帯びてきて、水中で夢幻の花が咲くようにファンタジーの作風が泡をまとって花開く……ブラックベリーのようでいて、ブラックベリーのようでない、確かに誰か、別人の書いた物語。


 作品の末尾には、『ラズベリー』と書かれていた。送られた出版社は作者を探し出し、「正体は明かしたくない」という作者の言葉に従って、『ラズベリー』という作者名だけ明かして、作品を小さな雑誌に載せた。


 文学を愛する者は、その小さな雑誌から新しい名文家を見出した。ラズベリーはその後もいくつも作品を発表し、その作品は話題になった……『ブラックベリーの新作』ほどではなかったけれど。


 ぼくの本棚に、ラズベリーの書いた本が十冊くらい溜まったころに、一通の手紙が送られてきた。送り主の名も住所も書いてない、ピンクの封筒の手紙だった。


 今すぐに読みたい、びりびりに破いてでも中身を見たい気持ちを抑えて、ぼくはゆっくりていねいに、ペーパーナイフで開封した。手紙には忘れもしない()()くせ字で、こんな風に書かれていた。


「ウィル、ごめんね。ありがとう。


 あの時の君のひと言で、目が覚めた。僕は自分の言葉で、自分の物語を描き出した。


 家にはもう戻れない。あの本棚を見ると、ぎっしり詰まったブラックベリーの本を見ると、君の言葉を聞く前の、自分に戻ってしまいそうで……。


 ごめんね。ありがとう。愛してるよ――」


 そうして手紙のしっぽには、へたくそな手書きのイラストで、赤い実がひとつ、描かれていた。


 ラズベリーだ。甘酸っぱいベリーの実だ。ぼくが世界で一番大好きな、ラズベリーのジャムをおみやげに、ダグラスは家によく遊びに来た。


 そのまま泊まって朝食に、ふたりしてパンケーキに赤いジャムをたっぷりつけて食べたんだ。


 ダグラス兄さん。最後の言葉は、単なるあいさつだろうけど……一生忘れない、一生この手紙は大事にするよ。これからぼくが大きくなって、もしか誰かと結婚しても、子どもが出来ても孫が出来ても、大事に大事にとっておくよ……、


「――愛してるよ、ダグラス兄さん……」


 しゃっくりみたいな声が出て、ぼくは手紙を胸に抱いたまま泣き出した。うるうるに潤む視界のすみで、『ラズベリー』の書いた本たちが、ぼくのことを見守っている。


 何十年後、ぼくの本棚がラズベリーの著者名の本でいっぱいになる光景が、脳裏いっぱいに広がって……ぼくは口のに笑みを浮かべて、いつまでもぼろぼろに泣き続けた。


(了)

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