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はだかがみたい

 彼女のはだかが、見たかった。

 彼女は花の一種だった。植物性の妖精だった。画家の青年は彼女の見た目に恋をした。絵に描きたいとそう願った。


 画家は人間の言葉で、彼女に愛を語った。愛というより、自分の絵に対する熱情をぶちまけた。


「あなたを絵に描かせてください。あなたのその美しさを、オパールのにじのきらめくような夢みたいに綺麗な羽を、ふんわりした自前のドレスの目にみるような清い白さを、永遠にキャンバスに留めたいんです……!」


 彼女は画家が何を熱心に語っているのか、いまいち分かっていない顔をしてうなずいた。そうして何事か妖精語でささやいて、彼のくちびるにキスをした。画家には、彼女が何を言ったのか分からなかった。


 ……ふたりの暮らしが始まった。画家と妖精はアトリエつきの小さな家で、夫婦みたいに暮らしだした。そういうつもりで言ったんじゃ、と画家は内心で思っていたが、絵を描くのにこの生活は都合が良いので、言葉が通じないのを言い訳にそのままふたりで暮らしていた。


 画家は妖精のドレスが邪魔だった。脱いでほしいと思っていた。けれど彼女はドレスを決して脱がなかった。


 画家の青年は知っていた。彼女の体はいわば『花のしべ』のようなもの、ふわふわの白いドレスは花びらにあたるから、彼女が死ぬまでは脱げないと。


 妖精本体が衰えれば、花びらのドレスは少しずつしんなりしなびていき、やがて脱げ落ちてはだかになれば、彼女の命も尽きるのだと。


 画家は、その日を待っていた。花びらのドレスからのぞく、ドレスよりもっと白い手足を眺めて……ドレスがしなびて脱げ落ちて、雪より白いはだかの見れる日を待っていた。


 画家は彼女を絵に描いた。天使のように微笑む顔を、虹のきらめくオパールのような、夢みたいに素晴らしい羽を、細く白い砂糖菓子のような手足を……脱いでほしい白いドレスを。


 画家と妖精は、毎日のようにキスする仲になった。ひとつのベッドに寝る仲になった。脱がないドレスをそのままに、画家は彼女を優しく抱いた。


 画家のかける言葉は、だんだん甘やかになっていった。妖精も甘やかな声で応えた。相変わらず互いの言葉は分からなかったが、互いの想いを分かり合うには充分だった。


 ……出逢って一年が過ぎようとしていた。画家は知っていた、妖精の寿命は短いことを。大人の女性の姿になったら、一年経つか経たないうちに、命の炎は尽きることを。


 彼女のドレスが、だんだんと色を変えてゆく。白いドレスがすそから少しずつ色づいて、ほんのりふちから赤くなり、赤みはどんどん増していき、やがてじわじわ黄ばんできて……、


 画家は、新しいキャンバスの準備を始めた。白い画布にカバーをかけて、何度もめくっては見返した。その目は赤く血走っていた。


 ……やがてドレスが、一枚いちまいと脱げてきた。黄ばんだドレスはぼろみたいに、美しい体を脱げ落ちて……画家は目に涙を浮かべ、その光景を見つめていた。


 彼女がこちらを見て微笑んだ。何もかも知っているような、でも恨む気はかけもない、そんな柔らかい表情だった。


 ――花びらが散った。一枚のこらず。白かったドレスはしんなり黄ばんで見る影もなく、散った花びらの真ん中に、雪より白いはだかがあった。


 画家は、長いことそのさまを見つめていた。筆をとって、キャンバスに向かい、そのまま黙って構えたままで……やがて一筆もとらぬまま、声もなくそっとカバーをかけた。


「見せやしない……誰にも」

 ぼく以外の、誰にも。画家の青年はつぶやいた。何度も何度もつぶやいた。その見開いた瞳に、まばたく長いまつ毛がかぶさり……塩辛い、熱いものが、ぽろぽろあふれてほおを伝い、妖精の雪のはだかを透けるしずくで彩った。


* * *


 画家は、妖精の最期の姿を描かなかった。家の庭に穴を掘って、脱げ落ちたドレスも大切に拾って、はだかと一緒に慈しむように土をかぶせて葬った。


 ――画家は、それから生涯、誰とも結婚しなかった。着衣の妖精の絵ばかり描いて、百を越して、庭に墓のある小さな家で一生を終えた。


 しわだらけのその顔は、満足そうにっていた。秋の満月の晩だった。


 ひとりきりの小さな家で、窓から落ちる月明かりが……老人の顔と、壁じゅうに飾られた妖精の絵を、濡らすように照らしていた。


(了)

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