好みの問題
何とも言えない濃ゆい香りを、楽園の果実は放っていた。
楽園の中央にある『知恵の樹』になる、禁断の果実。その実を食べるのは禁忌とされてはいるものの、何とも素晴らしい良いにおいだ! あああ、食べてみたい!
常日頃からそう考えて樹の下の茂みでとぐろを巻いて悶えているオスの蛇は、はっとある時気がついた。そうだ、誰かを巻き込めばいい! 誰かと一緒に罪の果実を食べたなら、その分ひとり頭の罰は軽くなるんじゃね?
――うん、そうだ、そうしよう! 赤信号、みんなで渡れば恐くない!(※楽園には信号存在しないけど)
そう考えた蛇はするする人間の始祖に近づいて、イブという名の女を誘った。
「ねえねえカノジョ~、そこの『知恵の実』美味しそうだと思わない? 俺と一緒にひとかじりしてみない? きっと極上の風味だよ~!」
イブは『人間にこんな表情が出来るのか』と思うほどそれはビミョ~な顔をして、つくづく知恵の樹の実を眺めた。それからくんくん鼻をうごめかし、ぎゅうっとくちびるを噛みしめた。
「――ええ、やめとくわ。あんまり食欲がわかないの」
「ええ~、何でですかあ? こんな素晴らしい香りなのに~!!」
あきらめきれない蛇はしつこく言いつのったが、もうイブは全く聞く耳持たず。「ねえアダム~、おかしな蛇がこのあたしに絡んでくるの~」と甘ったるい声で夫に助けを求め、血相変えたアダムが棒っきれ持ってこちらへ駆けてきたので、蛇はあわてて逃げ出した。
――そうして、あとは何にも起きなかった。蛇はひとりで罪を追う危険をおかすには、あまりにも小心者だった。
ああ、あの果物食べたいな~食べたいな~と思いながら、楽園のすみっこでとぐろを巻いて悶える蛇を、他の生き物たちは『物好きなヤツもいるもんだ』となんか冷めた目で眺めていた。
イブとアダムは決して知恵の実に手を出さず、楽園はいつまでも平和だった。
そうしてどこぞのパラレルワールド、『禁断の知恵の実』は……とげとげをびっしりまとった巨きな果実『ドリアン』は、誰にも口をつけられることなく、今日も楽園の中央でそれはそれは濃厚な、くっさい臭いをまき散らしている。
(了)




