焼かれたマシュマロ
彼らは落ちた天使だった。
自らの意志で落ちてきたわけではなく、神に堕とされたわけでもない。彼らはみんな生まれたてで、羽の固まっていない時、雲の上から足を踏み外し落ちてきたのだ。
天使たちは地に足がつくと羽が溶ける。元天使たちは生まれたての綺麗な心で、特に『天に戻りたい』と願うこともなく、彼らの小さなコミュニティで野生の花を食べ、果実をかじり、マロウという植物から白いマシュマロをこしらえ、日々幸せに暮らしていた。
その幸せをねたむ者がいた。悪魔である。ひとりの悪魔は彼らの様子を物陰からのぞき見て、はらわたが煮えくり返る想いをしていた。
――なんで。どうして神に堕とされた俺たち悪魔は、毎日悶々と過ごしているのに、あいつらは同じ『落ちた者』でありながらあんなに楽しそうなんだ?
若い悪魔は毎日まいにち彼らの様子を盗み見て、ついに良いことを思いついた。彼らも堕落させてやるのだ。あの羽のない天使たちを悪の道に引きずり込んで、同じ悪魔にしてやって、一緒に悶々と息苦しい日々を過ごしてやろうじゃないか!
そう考えた悪魔の青年は、にこにこの笑顔で彼らに近づいて、一冊の本を手渡した。
「……これは?」
「悪魔の……いいえ『天使の書』です。これにいろいろ文字を書けば、書いたことがみんな現実になるのですよ! 私はあなたがたの善良さが気に入りました、あなたがたならきっとこの本を有効活用してくださるに違いない! 今なら本とセットでこの『魔法のペン』もつけて、ただですよ、何と消費税込みでゼロ円!! これはもらうっきゃないでしょう!!」
どこぞのセールスマンのようなことを言い残し、悪魔はぴゃっと姿を消した。元天使たちはその一冊と『魔法のペン』をしげしげ見つめた。何の変哲もないノートみたいだ、ペンは普通の羽根ペンだ。
天使たちはその本を手に、どう使おうか話し合った。一番年若い少年が、はいはい、と元気良く手をあげた。
「あのねー! この星いっぱいに花を咲かせたら良いと思う! 綺麗な花を、虹色の花を!」
「ううん、悪いことはないが……下手に新しい植物を生えさせたら、もともと生えていた植物たちと相性が悪いかもしれんしなあ……」
「その虹色の花が、毒を持っている可能性も捨てきれない。そもそもこの本、何を書いても本当になってしまうんだろう? もし我らの誰かが万が一よこしまな想いを抱いて『王になりたい』などと書けば、それも実現してしまう……」
――おいおい、そこ迷うんだ? さすがは元天使だなあ!
物陰から様子をうかがっていた悪魔は、内心で軽く歯ぎしりをした。
――あのさあ、俺はあんたらがその『悪魔の書』で欲心を抱いて、堕落して悪魔になるのを望んでんの! 妙におきれいに考えるこたねぇ、『王になりたい』でも『世界征服』でも何でも良いから、それ相応に穢い願いをたくさん書いて、『羽のある悪魔』になろうぜぇ!!
そんな悪魔には気づきもせずに、元天使たちは話し合いを重ねてゆく。
「……そもそも我らの手中にあるからまだ良いが、これが外部のよこしまな想いを抱く人間の手に渡ったら? もしもそいつが『神になる』などとこの本の白紙に書き込んだら?」
「それはいけない、想うだに大変なことになる!」
「じゃあさ、いっそのこと燃やしちゃおうよ! 燃やして『ベイクドフルーツ』作って、みんなで食べよ!」
はいはーい、と右手をあげたさきほどの少年の案が通り、本と羽根ペンに火がつけられた。物陰の悪魔は「そうじゃねえだろぉおおお!!」と声なしで悶えて悲鳴を上げて、あきれかえって煙になって地の底の世界へ消え去った。
『悪魔の書』と『魔法の羽根ペン』はよく燃えた。涼しげな青い炎を上げて、それでも十分に暖まれるほど熱かった。
その火を囲んで『羽のない天使』たちは談笑し、野生のリンゴやマシュマロを焼いてみんなで食べた。
青い炎は雲の上の天上界でもありあり見えて、そのさまは小さな花が咲いては風に揺れるように、ささやかに清らかに美しかった。
(了)




