よみがえった大作家
リチャード・リッケンバッカー。
その名をそっとつぶやくだけで、胸がじんわり熱くなる。……人工知能研究者のジャスミンにとって、神様のようにあこがれる方。
と言っても、同じ分野の偉人ではない。作家なのだ、小説家なのだ、リチャードは。しかも2012年に82歳で亡くなっている。
……現在は2080年、半世紀以上前に亡くなっている大作家。
でもジャスミンは、12歳のクリスマスに『子ども向け』に書き直されたリチャードの本をプレゼントされてから、ずっぷり彼におぼれている。彼の話におぼれている。
早々に『子ども向け』を卒業し、13歳でリチャードの書いた原文に触れ、その美しく繊細な言い回し、独特の世界観に恋をした。
SFもファンタジーも叙事詩、抒情詩も何でもござれ、『文学の魔術師』のようなジャンルを超越した書きっぷりに感嘆した。
ジャスミンは同年代の子どもたちから「あいつ、ちょっとおかしいよな」と言われるくらい、リチャードの話を溺愛した。話すこと話すことリチャード本人の逸話と、彼の書いた物語ばかりで、いじめられこそしなかったがクラスメートから距離を置かれた。
幼いころから頭の良かったジャスミンは、一年で全ての物語を読み終えた。読み終えて『リチャードロス』になった。
――ああ、もっともっと彼の書いた話が読みたい!
70歳を超えたあたりから筆が衰えて……晩年に書かれた話を読むと「ここまで落ちるか」と無性に切なくなるけれど、若い時の粗削りな話でも、彼の素晴らしい才能はすでに花開いていて、読むたびに甘いため息が出る。
ああ、もっともっとリチャードの話が読んでみたい! 出来れば彼が30代後半くらいの時期、作家として脂の乗りきったあの時期の物語を、もっともっともっともっと……!!
幼いころから頭の良かったジャスミンは、だから『人工知能研究者』の道を選んだ。
――書いてもらうのだ、私自身の造り上げた『リチャードのレプリカAI』に! 理想は30代後半、作家として一番美味しい時代のあの筆致、あの素晴らしい世界観で!
そうして2080年……今年27歳になったジャスミンは、ついに造り上げたのだ。敬愛する大作家、リチャードのレプリカAIを!
栗色の短髪に人工サファイアの青い瞳、絵に描いたような美青年。外見も『30代後半』あたりのビジュアルに寄せたAIロボットのスイッチを、ジャスミンは破裂しそうな胸をおさえて静かに押した。
……ロボットはふっと目を開けると、天使のように微笑んだ。とろけそうな心持ちのジャスミンの前で、美しいテノールで言葉を吐き出した。
『虚無。時間。天体の震え……地獄の地震……』
あっけにとられる造り主の目の前で、AIは言葉を吐き散らかす。
『病気の薔薇が悶えて叫ぶ、「神は死んだ」と何度も叫ぶ。水仙が甘い悲鳴を上げる、「もともと生きてなぞいない!」……』
ジャスミンはまるであっけにとられ、酸欠の金魚みたいに口紅の口をぱくぱくさせる。研究明けで乱れた髪をなおさらくしゃくしゃかき混ぜながら、悲鳴のようにこう叫ぶ。
「……な、何なのこれ!? 言葉にすること言葉にすること、まるっきり支離滅裂じゃない!!」
『ええ、これが現在によみがえった大作家、リチャードの紡ぎ出す言葉です』
「嘘よ、そんな訳ないじゃない!! あのリチャード・リッケンバッカーが……私の愛する大作家が、こんなおかしな言葉を吐くわけ……!!」
『今は2080年です。リチャード・リッケンバッカーがご存命なら、今年150歳になります。その年齢の彼が紡ぐなら、これは99.9%の確率でリアルな言葉と思われます』
ジャスミンは声もなく嘆きを上げて、リチャードのレプリカに近づいた。キスできるほどに顔を寄せ、AIロボットの首の後ろのホクロのようなボタンを押した。
……ロボットはもう物も言わず、その機能を停止した。
研究者はふらふらとデスクの椅子に座りこみ、電源をつけっぱなしのパソコンの光を浴びて考えた。
何が、いけなかったのだろう。もう一度プログラミングし直して、改めて『30代後半の頭脳のリチャード』をよみがえらせて……、
そう考えるジャスミンの脳裏に、ふっと言葉がひらめいた。
『決してふり向くな。前を見て生きよ……イノシシのような生に幸あれ!』
「作家としてどうあるべきか」というインタビューに、なかばおどけてリチャードの返した言葉だった。
もう忘れ去っていた、忘れたと思い込もうとしていた言葉が、ジャスミンの頭にしんしん静かに沁みていく。
――そうだ。
これじゃあだめだ、全然だめだ。機械に頼っていてはだめだ。古い時代を生きた人に、頼りきりではだめなのだ。
誰かが、現代を生きる誰かが、自分の言葉で書かなくては……!
ジャスミンは震える指で、キーボードをタイプしだした。汗ばんだ自分自身の指先で、こうタイトルを書きつけた。
――『よみがえった大作家』と。
あとはもうものすごい勢いで書き出した。『自分なんかが作家になんてなれっこない』……いじけた思い込みから解放され、かたかたかたと、鳴り響くタイプの音が激しいリズムを叩いてたたいて、一種の音楽のようだった。
部屋のすみで、機能を停止した大作家のレプリカAIが、口もとにかすかな微笑を浮かべていた。
(了)




