永遠のティータイム
戦場にいたはずだった。
塹壕で銃を抱えながら、不安な仮眠をむさぼっていたはずだった。
なのに今、自分は白い室内にいる。広いダイニングキッチン、清潔な空間、ただようシナモンと砂糖の香り……窓際の鉢植えはハート形の葉っぱに、ミカンの小房のような花をいっぱいに咲かせている。
「紅茶をおあがり……上等のダージリンティーだよ。ミルクと砂糖はいるかい? お茶菓子は紅茶のパウンドケーキだ……この俺の手焼きだよ!」
にっこり笑って、当然のように誰かがお茶をすすめてくる。目の前にいるのは、褐色の肌にくるくる巻いた黒の短髪、栗色の瞳が子ジカのような青年だ。
……おそらく、敵国の青年だ。自分が敵地で、蒸し暑く茂るジャングルで、今の今まで戦っていた国の青年。
青年はこちらの視線に含まれるものに気づいたのか、「おいおい」と言いたげにおどけてちょっと両手をあげる。
「そういうの、もう良いだろう? 敵も味方も関係ない……ここでは戦はなしにしようや」
「――ここはどこなんだ? 君はいったい……」
「うーん、まあ何だか良く分かんないけど……言やあ『現実と死後の世界のさかいめ』ってとこかねえ?」
あるはずもない銃を引き寄せるこちらの手つきに、青年はあきれたように息をつき、なだめる口ぶりで言葉を重ねる。
「……俺は二年前始まった戦争に、兵士として参戦していた。銃を手に沼地やジャングルを弾の雨の中走り回って……疲れ果てて仮眠してたんだ、塹壕の中でな。そしていつしか、気づいたらこの妙な空間の中にいた。ひとりっきりでね……」
「――出ようと思わなかったのか? ここから」
「そりゃあ初めは出ようとしたさ、必死にね。そこの開かない扉を無理やりこじ開けようとして、すきましか開けられない、気持ちの良い風が通る窓をぶっ壊そうとして……でもムダだった、何してもムダなあがきだった……」
ふっと息をついた青年は、どこかすさんだ笑みを浮かべた。
「……で、しまいにこう思ったんだ。なんでここを出る必要がある? きっとここは少し歪んだ天国だ、『不思議の国のアリス』にでてくる、ぼうし屋と三月ウサギといねむりネズミのお茶会みたいに、終わらないティータイムの世界なんだ。俺はきっと……」
「――君を連れてここを出る! 何とかして……」
「止めてくれよ!! 俺はきっともう死んでるんだ、仮眠してる間に爆弾でも浴びて、とっくのとうに死んでるんだ!! ――仮にここを出てどうするんだ、改めて君と殺し合うのか!?」
「……ぼくは……」
ぼくは、ここを出たいんだ。
心から強く願った瞬間に、はっと目がさめた。塹壕の中だった。銃を抱えて不安な仮眠から、また目がさめたところだった。
「――いけない!! 逃げろ!!」
誰かの絶叫が聞こえて、目の前がオレンジに燃えて燃えて、火の玉が一瞬で近づいて来て――、
……次の瞬間、ぼくはまた白い空間へ戻っていた。目の前であきれたような顔をした褐色の肌の青年が、しなやかな指つきで手焼きのパウンドケーキをつまむ。
「ほーら、言わんこっちゃない……きっと君も爆弾にやられたんだろう」
青年はすっと立ち上がる。可愛らしい鉢植えの花にミニじょうろでしゃわしゃわ水をやってから、ティーポットを優雅な手つきで持ち上げた。
「さっき淹れたダージリンが、まだ飲みごろだよ。それとも別のお茶にするか? ウバ? ディンブラ? アールグレイがお好みかい? なんならバタフライピーのお茶でも……」
「――君はこれで、本当に良いと思っているのか?」
まっすぐぶつけたこちらの問いに、青年の指がすうっと止まる。こちらを見つめた小ジカのような栗色の目に、泣き出しそうな光が見えた。
「………良いわけないよ。でも」
次の言葉は、出てこなかった。
分かってる。ぼくだって痛いほど分かっている。ぼくらみたいな兵士がひとりふたり、命をかけて頑張ったって、そうそう世界は変わらない。
「――悪かった。飲もう、お茶を飲んで一服しよう。ぼくは疲れた。楽しもう……ふたりで、永遠のティータイムを……」
青年は二三度まばたいて、泣き出しそうに微笑いながらうなずいた。
すきまだけ開いた窓の外から、ほんのわずか、硝煙のにおいがただよってきた。青年は黙ったまま、口もとにどこかあきらめたような笑みを浮かべて……窓を閉めて、カギをかけた。
甘いお菓子と紅茶の香りが混じり合って、白い部屋に満ちてゆく。鉢植えのオレンジ色の可愛い花から、ひとつふたつ、透けるしずくが垂れ落ちた。
(了)




