カルーアミルクと星の海
「何のために宇宙飛行士に?」
そう訊かれるたび、ダグラスはきっぱりとこう答えた――「嫁さん探しさ!」
そんな理由で宇宙飛行士を目指すやつはまぁいない。なんとかの一念で本当に飛行士になったダグラスは、どこでもあほう扱いされた。でもダグラスは全く意にも介さなかった。
そうさ、昔々のお話でもあったじゃないか! 『すさまじく困難な冒険の末に、魂の恋人と巡り逢う』旅人や英雄のエピソード! 俺もそれだよ、宇宙時代の旅人だ!
待っていてくれ、未来の俺の花嫁さん! 俺は宇宙じゅう巡ってでも、きっと君を見つけてみせるぜ!
――ダグラスは希望で胸をいっぱいにして、星の海へと旅立った。
「嫁さん探しに宇宙に出たんだ!」
そうのたまうダグラスを、どの星の女性もボウヤ扱いした。
「どこに行っても『お姫様』なんていないのよ。夢を追うひまがあったら、どこかの星にじっくり腰を落ち着けて、平凡で優しいお嫁さんをもらって、そこで一生暮らしなさい」……。
あほを見る目での忠告に、ダグラスは聞く耳持たなかった。かえってやる気を奮い立たせて、猛然と次の星へ宇宙ロケットで旅立っていった。
――で、三十年が経った。ダグラスは五十歳になった。結婚経験、一度もなし。火星にも木星にも金星にも、それどころか銀河系の外に出ても、お嫁さんは見つからなかった。
五十歳の今、ダグラスはもう宇宙飛行士でも何でもない。空を飛ぶには老いすぎた。定年はまだ先だが、飛行士としての賞味期限はとっくのとうに過ぎたのだ。
ダグラスは自分で自分に苦笑しながら、故郷の地球に戻ってきた。
ああ、もう星の海には戻れない。長年のつとめで貯めた金で、当面暮らしには不自由しないが、夢も何もなくなった今、独り身で何をしたらいい?
板につかないスーツ姿でぶらぶら故郷の街を歩くダグラスを、誰かの声が呼びとめた。
「――ダグ? ダグラスじゃないの、あなた?」
驚いたような声にこっちも驚いてはっと目をやる。人波に立ち止まってこちらを見ているご婦人が……、
「――クラリス? クラリスなのか? やああ、久しぶりだなあ!」
駆け寄って肩をたたくダグラスに、クラリスはかすかに顔をそむけてほおを染める。少ししわの寄った面差しは、歳を重ねても美しい。
「やあ、三十年ぶりだ! 一緒に飲まないか、クラリス? いろいろ話そう、三十年分のよた話をな!」
* * *
三十年前からまだ続いていた古参のバーに、ふたりは学生時代みたいに並んで座ってカクテルを飲んだ。
『カルーアミルクを』
ふたりのオーダーが重なって、ダグラスとクラリスはにっこりと互いに笑みを交わした。
「相変わらず好きなのね……カルーアミルク」
「仲間には『可愛いお酒が好きなんだなあ!』ってめっちゃからかわれたけど……調子こいてガバガバ飲むとべろんべろんになるけどな! 君も相変わらず酒好きなんだな!」
「このおやつみたいな味の、カフェオレ風味のお酒だけ好きよ……!」
甘いカクテルを飲みながら、ふたりは話した。子どものころの話ばかりを。
幼なじみのふたりが住んでいたそれぞれの家、互いの家にお呼ばれして、互いのママにふるまってもらったアップルパイとアップルティー、夏休みには川遊び、冬には雪だるまを作って、夜はふたりで星を見上げて……、
ダグラスはつくづくとクラリスの横顔をうかがった。
綺麗だ。三十年分歳をとって、三十年分しわが出来て、さらさらの長かった金髪はショートボブに切りつめて、ちらちら白いものが混じって……、
――それでも、とても、とても綺麗だ。
「……なあに? そんなに見られると、恥ずかしいわ」
「――クラリス。失礼なことを訊くが……君は、今、結婚しているかい?」
クラリスは黙って目を見張り、黙ったままで首をふった。酒のせいかそうではないのか、ほおが桃色に染まっている。
彼女はぽつぽつと話し始めた。今自分はもとの家にひとりで、ちょっとした画家や作家まがいのことをして何とか生計を立てていると。
「……そうして、夜は空を見てるわ。月や星を、そのあいだに広がっている青い闇を……眠れない夜は一晩じゅう、そうやって探し物をしているわ……」
探し物。――その言葉ひとつで、ダグラスは彼女の気持ちを知った。言葉の意味を嚙みしめた。噛みしめながら、カルーアミルクをひとくち含んで、それからまっすぐクラリスの顔を見つめて言った。
「――結婚しよう」
クラリスの青い目が、大きなおおきな宝石のように見開いた。じわじわと潤んでくるその瞳に、小さくちいさく年を経た自分が映っている。
「俺は、手を伸ばせばすぐ届くものを探しに探して、ずっと見当違いの星の海ばかり巡っていたんだ……もし、もし良かったら、俺と、結婚……」
してください。
今さらながらにじんわりとしわの浮いたほおを染め、ぽつぽつつぶやくダグラスに……クラリスはくすくす微笑いだした。おかしそうに笑いながら、その青い目から透けるしずくがこぼれ落ちる。
あっけにとられたダグラスに、クラリスはなおも泣き笑いながらこう言った。
「知ってる? ……こういうの、日本て国の昔話にあるのよ。『ねずみの嫁入り』っていうの」
ダグラスはぱくんと大きく口を開け、それからぷっと吹き出した。
ねずみの嫁入り。知ってるさ、昔むかしの大昔、俺らが子どもだったころ、絵本の好きな君の口から聞いたんだから。
そうか。俺は旅人でも英雄でもなかった。地球のかたすみの小さな国の、小さなちいさな昔話の――主人公だったんだ。
「これから、どこに行く?」
「……そうね。ここからちょっと歩いて、街はずれの私の家まで行きましょうか。そこで飲み直しましょう……カルーアミルクを!」
「あはは、そうだな! でも、その前に……」
ダグラスはちょっと言葉をきって、精いっぱいカッコをつけてこう告げた。
「夜の街を歩きながら、ふたりで空を見上げよう」
クラリスは少女のようにはにかんで、桃色のほおでうなずいた。ほろ酔いかげんで店を出て、何十年ぶりに手をつないで、ふたりで夜空を見上げて歩く。
五十歳のダグラスの目に、夜空はすてきに綺麗に見えた。
……白い月もまたたく星も、今までで一番綺麗に見えた。
(了)




