灰の海から
焦土、焦土、しょうど。焼け焦げた土の上には「こんなん生えて申し訳ありません」と言わんばかりにちょぼちょぼ生える植物たち。
三つ目のリスや五つ足のシカたちが、あたしたちの様子を廃墟のかげからうかがっている。
そして、あたしたちふたりの前には潰れた図書館――そうとうでかい。
「うわぁ、こりゃ良い戦利品に逢えそうだ!」
げんなりしているあたしには意も介さず、ストーリは「ひゃっほう」とか歓声を上げてから、閉ざされた扉に骨ばった大きな手をかざす。そのままで何かぷつぷつつぶやくと、扉はぎいいと軋んで開いた。
「ほら、ミモザ、早く! はやく扉を閉めないと、風で灰が飛んじゃうよ!」
赤毛の青年にそう手招かれ、あたしはあわてて扉に駆け寄る。ぱっとふたりで身をひるがえし、大きな扉をぎいいと閉めた。
――振り返れば、図書館の中は灰の海。本棚もない、本もない。ただ焼かれて、焼かれっぱなしの本と本棚の残骸ばかり、灰色の海になってこんもり盛り上がっている。
ストーリが『情報ボード』のディスプレイをそこらにかざし、ずらずら出てきたデータを声に出して教えてくれる。
「ええとね、この図書館は『ストーリ・ストール・ストーリア図書館』! あは、素晴らしい、奇跡的な偶然だ! ぼくの名前とおんなじだ!」
「おんなじはいいから……ここはどーゆー場所だったの?」
「あは、ごめん! ええっと、この星はぼくらは『第三惑星』って呼んでるけど、昔ここに住んでた知的生命体は『地球』とか呼んでたんだって!」
「で、なんで滅んだの? 例によって最終戦争?」
「そ、核です、おなじみの核戦争! しかもその『ニンゲン』とかいう知的生命体は、戦争の最中にありがちな『焚書』をやりやがってね……あらゆる本を燃やしたんだ!」
「本や読書は『我らを堕落にみちびくものだ』って、いっぺん滅んだどこの星でもおなじみのヘリクツを?」
「そーそー、そんで今、『本の回復師』のぼくたちが焼かれた本をリカバリーに来てるワケだね!」
「あたしはただの助手ですけどー」
「ははは、まあまあ、そんなヒクツにならず! じゃあいくよ、ミモザ、ちょい離れてて!」
言うなりストーリはすらりとした長身をくるりと一回躍らせて、歌うように不思議な呪文……そのとたん灰が雪みたいに白く白く舞い上がり、光を放って本のカバーが、背表紙が、少し黄ばみを帯びたページがみんなみんな『復活』して、鳥の群れさながらにちいちい鳴きながら飛び回る。
歌うたう、手をひらめかす綺麗な青年、群れ飛び回る本の鳥たち。あたしがひそかに見とれる中で、放たれた光はすうっと音もなく静まって、本たちははたはたと穏やかに床に落ち、『観客があたしだけのリサイタル』は終わりを告げた。
そして今、あたしの目の前には革張りや、赤い薄絹の表紙の本に、紙のカバーの文庫本……いろんな本が山積みに、どこかの誰かに再び優しく手にとられ、読んでもらうのを待っている。
「さ、じゃあ整理分類を始めよっか、ミモザ! 国やカテゴリー、作者別に仕分けして……あ、いつもみたいにひとりの作者が書いたやつでも、ジャンルに分けるのは忘れずに!」
「……ひとりの作者が、いろんなジャンルで何百冊と書いてても?」
「もっちろん! てかそのための分類さぁ! さ、始めよう!」
「……どのくらいかかるかしら、これ全部終わるのに?」
「んー、ぼくと君とふたりなら、十日もあれば終わるでしょう! 大丈夫、ぼくのための携帯食料と君の燃料は何百年分ストックがあるし! 怪力ロボットの君なら本の持ち運びも苦にはならんでしょう! さ、はりきって始めよー!!」
「怪力はひと言よけいじゃあぁああーっっ!!」
そうしてあたしとストーリと……『少女型怪力ロボット』と『不老長寿の人外青年・本の回復師』はふたりして、壊滅した図書館、焚書の憂き目にあった本たちの回復を終え、はてしなく思える長ーい整理分類にとりかかったのだった……。
* * *
十日どころじゃなかった。たっぷり二週間とんで五時間三十二秒かかった。
「追加手当お願いしますー、ストーリさん!」
「はは、ぼくから君への愛が何よりの報酬さあ!」
「実質タダ働きじゃないですかぁ~ストーリさん! てかストーリ! も少しあたしを大事にせんかぃ!!」
と、ちゅっといきなりほっぺにキスされ、ストーリは心から(でも少しドヤ顔)にっこりして、あたしの首すじにそっと骨ばった指を這わせる。
「……これで追加報酬。ダメ?」
「――仕事が終わったら、別枠で『最上級ハイオクガソリン』を申し受ける」
「ははは、もちろん! 『上の人たち』も今回の仕事は高く評価してくれるだろうし、きっとごほうびもたんまりくれるよ!」
からから笑って、人外美青年はまたひらりと右手を躍らせる、あたりがまばゆく光って光って、整理分類を終えた本たちは白く光を放ってはなって、次の瞬間一冊のこらず消えていた。
「やー、今回のお仕事完了! 良かった良かった、余は満足じゃ!」
くすくす笑うストーリの胸もとに、大きな手で抱きしめるように一冊の本。あかがね色の絹張りの表紙、お高そうなハードカバー……、
「……ねえ、その本は?」
「まあいいじゃん、役得ってことで。ボーナスボーナス! ……本のデータは後で『出所不明』ってことで、情報ボードのデータに流出させるしさ。問題なーし!」
言いながら、ストーリの手が愛しげにそっと本の表紙を撫でまわす。その手つきにあたしは少しやきもちを焼いて……それからふっと思いつき、今さらの疑問を口にした。
「……ねえ、復活した本は、本当にもとの通り、一文字も変わらずに復元されてるの?」
「それは分からない。誰にも分からないさ、この宇宙の誰にもね。もとの本を知ってるひとは、ひとり残らず滅び去っているんだから」
「……それで、良いの?」
「良いんだよ、それで良いんだ。今かんじんなことは、『復活した本を待ってる読者がいる』ってことだけだ」
そう言ってページをめくるストーリの目が、金色に輝いて美しい。『火星の人外の生き残り』である青年に、あたしはなおも問いかける。
「……ストーリは、何を考えて旅をしてるの? 何を考えて、宇宙じゅうを飛び回って、こうして本を復元してるの?」
「ん? ……笑わないでくれよ。いつか、遠い未来に引退したら、ぼくは今まで本で得た知識をもとに、何百年、何千年ぶりの『作家』になろうと思ってさ……」
ふうっとひとつ息をついたストーリが、悟ったような微笑を浮かべて言葉を重ねる。
「もう長いこと、宇宙の知的生命体は、『物語をつくること』を忘れている。ぼくが宇宙文明上、久しぶりの作家になって……ううん、ぼくだけじゃない、復元した本を読んだ多くのひとの内、誰かが『ものを書くこと』を再び始めてくれたらな、って……」
ぼくは、そう思うんだ。
そう言って言葉をしめた青年に、あたしは黙ってキスをした。びっくりした顔のストーリに、ちょっとはにかんで言いかけた。
「……そういうの、好きよ」
あたしの珍しい言動に、ストーリは褐色のほおにほんのりと血の色をのぼせ、それから照れてふわっと微笑った。
「――ありがと。で、ミモザ、ぼくが作家になった時には……君も一緒に『引退』して、作家の助手になってくれる?」
「あら? ただの『少女型怪力ロボット』にそんな仕事がつとまるかしら?」
「わー、まだ根に持ってたの!? 冗談じょうだん、もう許してよー!」
きゃあきゃあいちゃつくふたりを囲む図書館の壁が、『見てられねぇや』と言いたげに一部ぼろりと剥がれ落ちた。
……ストーリの手の中の一冊の本、あかがね色の表紙に描かれた二匹の蛇のデザインが、ちらりとほのかに光を放つ。
はてしなく続く、宇宙に広がる知的生命体の営みを祝福するように。『永い永い時間をかけても、やがて善くなっていくように』と、ささやかに祝福するように。
そのちらめきに見とれるひまもなく、壁が『いいかげんにしろよ』とばかりにぼろぼろりと剝がれてきた。館が軋む、悲鳴を上げる。
「わわわ、やばい! 外に出よう、逃げようミモザ!!」
ふたりであわてて表に逃げて、ふり返ったそのとたん――ずずず、と鈍い音がして、図書館は一瞬で崩れ落ちた。後に残されたのは、くすんで茶色いがれきの山だけ。
「――良かった。本だけは救い出せて……」
つぶやくストーリのきれいな金色の瞳に、涙をひと粒、見た気がした。
「ストーリ……」
「――さ! じゃあ次の図書館探しに行ってみましょーか!」
「えぇえ!? これで終わりじゃないのー!?」
「なに言ってんの、この星に着いたばっかじゃん! 他にもごまんとでかい図書館が待ってるだろうし、しばらくは『地球』の図書館めぐりだよ!」
「えぇえぇ、『最上級のハイオク』は~!!?」
「もちろん上の人がごほうびくれるに決まってるよ、ひととおり仕事が終わったらね! さあさあ、次の図書館探してしゅっぱーつ!!」
ストーリがはりきってこぶしを天に突き上げる。最期の戦争からもう何千年経ったのか、高い空は痛いくらい青く澄みきって美しい。
――骨ばったこぶしは太陽もつかめそうなほど、日を浴びて褐色に輝いていた。
(了)




