表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

29/57

オパールの血

 その画家は、美しい命を殺しては生計を立てていた。


 この世界では、妖精は虫と同じようにありふれた、虫と同じくらい珍しくもない生き物だ。とんぼやちょうを思わせる羽を背中に生やし、ひらひらすうすうとそこらを飛び回る、小さな人間のような姿……。


 妖精たちはそれぞれの好みで、いろいろな花の蜜を吸う。生まれたばかりの妖精の血液は透明だが、成長するにつれ、しだいに好みの花の色に染まってゆく。


 小さな太陽のようなひまわりの蜜を吸えば明るい黄色に、燃え立つようなの蜜を吸えば真紅に、ひんやりと青い朝顔の蜜を吸えば藍色に……、


 そうしてその妖精の血と、アラビアゴムと防腐剤を混ぜ、画家は絵の具を作るのだ。作り方はふつうの水彩絵の具と同じ、たいして難しいことはない。ただひとつ違うのは、少量の一色を作るたび、命がひとつ、ついえること。


「今すぐやめろ、そんなことは」

 画家と会うたび、幼なじみの友人は口を酸っぱくして止めた。


「お前も知っているだろう? ……妖精は太古の昔、異世界とのほころびから迷い込んできた『異界の者』の子孫だと。人知の及ばぬ、いわば小さな神のような存在だ」

「そんなことはない、虫けらと一緒さ」

「黙って聞け! いいか、この頃の若い奴らは畏敬の念を失っているが、妖精はもともと別の世界の生き物だ。いまだに分からないことだらけだ……これは極端な話だがな、あんまり無体なことをしていると、そのうちたたるかもしれん。これは友人としての忠告だ……!」

「はいはい、僕と同い年の若い友人……『考古学者だから言うことがやたら年寄りじみている友人』からのご忠告、確かにお聞きしましたよ!」


 ひらひらとおざなりに手をふる画家に()()として、考古学者の青年は「もう絶交だ!!」と言い放ち、画家のアトリエを後にした。画家は少しあっけにとられて、それから気を取り直して、冷めた紅茶に口をつけた。


「……まあ、あいつの怒りっぽいのはいつものことだ。そのうち怒りが収まって、しれっとふらっと訪ねてくるさ」


 アールグレイの残り香の上品な柑橘系の香りと、花の蜜のような香りと鉄臭い血の香りとが混じり合い、異様なにおいがアトリエじゅうに漂っていた。


* * *


 半年が過ぎた。考古学者の友人は、一向に訪ねて来なかった。


「……何だって、今回の怒りはしつこいな……あいつのために、せっかく用意したっていうのに……」


 自分の屋敷の庭の芝生にシートを敷いて、友人に招きの手紙を出していた画家はまったくの待ちぼうけで、冷めきった紅茶を飲みながら来もしない考古学者を待っている。


 ()()()と、淡いにじが見えた気がした。ふっと目を上げた画家の前に、いつのまに飛んできたのか、恐ろしいほど美しい大きな妖精が舞っている。


 その羽はちらちらと虹のプリズムきらめく蝶のそれ、目にみるほど白くすらりと長い髪、人と同じくらいの背たけ……そして純白のまつ毛の奥からのぞく瞳は、羽と同じくプレシャスオパールのようなふるふる揺らぐ虹色だった。


 妖精がかすかに身動きするたびに、羽と瞳の虹色がきているようにたおやかに踊り、跳ね、息を呑むほど美しい。


 画家は言葉を失って、それから顔じゅうでまるでにたにた笑い出した。


 ――ああ、何て幸運だ! こいつは珍しい妖精だ、きっとオパールみたいなきらきら虹色の血が採れるぞ! ぼくは何て運が良いんだ!!


 思いつつ、ついさっきオレンジを切り分けていた果物ナイフを手に取って、物も言わず妖精の胸に突き立てた。


 どす黒い血がほとばしった。地獄のように真っ黒だった。その血をまともに顔に浴び、画家はもの凄い悲鳴を上げた。


 痛い、熱い、いたいいたいいたいあつい!!


 猛毒を浴びたかのごとく画家の顔はみるみるうちに灼けただれ、じゅくじゅくと腫れあがりじゅうがはじけ、青年画家は見るも無残な姿になって()()と倒れた。


 ……黒い血を噴いた傷口が、見る間に静かにふさがってゆく。倒れもしなかった妖精はそっと自分の胸をで、ひらりと羽をあおがせた。


 声もなくそっと爛れた画家のほおへ手を触れ、あでやかに残酷な笑みを浮かべる。決別のキスをくれた後、ひらりひらりと飛び去るまぎわ、妖精の指が落ちたナイフにちらとかすった。


 ――指先からかすかに流れ出たのは、照り輝いてはちらちら踊る、虹のオパールの色の血だった。


 遠くからいかにも不本意そうに歩いてくる、考古学者の姿が見える。それを眺めると、妖精はふっと微笑んで、プリズムの虹をきらめかして()()()と空へ舞い上がった。


「……神だ……」

 虹のちらちらに目を上げた学者は、息を呑んでつぶやいた。それからだっと走り出し、走りながらわめき出した。


「――おい! お前も見たか、三文画家! 妖精の神だ、オパール色した神がいたんだ! だからお前もいいかげん、妖精の血で絵の具なんかを作るのは……!!」


 しにするんだ。そう言おうとした学者の口は、あんぐり開いて固まった。黒い血を浴びて化け物みたいな顔になった青年画家が、シートの上に倒れていた。


 死んでいるのか? 死んでいる。間違いなく死んでいる。人がこんな状態になって、まさか生きているわけは……そう思った次の瞬間、その化け物は()()()()とのどを鳴らして、考古学者の名を呼んだ。


 心底からのえぐい悲鳴が、画家の広い庭いっぱいにつんざくように響き渡った。


 その声を遠く聞きながら、正体も知れぬオパール色の生き物は、天へ天へと舞い上がり、ひらりと少し舞い下がり、どことも知れぬすみへ向けて、虹色の羽を駆っていた。


 日もかげらぬのに、音立てて雨が降り出した。――オパールにミルクの霧を流したような本物の虹が、淡く青空にかかり始めた。


(了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ