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わたしのヒスイ~散歩中、『獣神の妻』たちに絡まれマウントをとられた人外少女の正体は~

 ただの幼い人外だった。

 何のとりえもなさそうな、ぺたんこ胸の少女だった。


『これは良いカモが来た』と、森の中の散歩道で談笑(という名の自分自慢の押しつけあい)をしていた獣神の妻たちは、人外少女を三方から取り囲む。美人さんにんに囲まれてどぎまぎする少女に向かい、獣神の妻たちは口々に問いかける。


「あらあらまあまあ、可愛らしい女の子!」

「ねえねえ、あなたも人外でしょう? なんだか青臭いにおいがするもの。これはあなたの体臭でしょう? あなた、そこらの雑草の精なんじゃないかしら?」

「その見た目、あなたはどこかのお屋敷の使用人かしら? どこにおつとめ? あるじはどなた?」


 切れ目なく訊ねかけられ、「主はどなた?」でやっと答えるぶんの質問のさかい目が出来たので、少女はおずおず口を開いた。


「……あ、あのう……この近くの、『蛇神の泉』の……」

「ああ、あのここいら一帯を統べる人外の王の! 良いわねえ、良いとこにおつとめね! あなた青臭くってそのくせ甘いにおいがするから、『体臭が似てる』って蛇の方たちに気に入られたのね、きっと!」

「あらあらまあまあ、幸せねえ! そんなくせのある体臭のおかげで……! 人生なにが幸いするか、ほんとに分からないものね!」

「い、いいえ……あの……、」


 少女は何か言いかけたが、もちろん獣神の妻たちに()()()のような少女の言葉を聞く気はない。


 ――その刹那、木々の葉の影からもれる日の光に照らされて、美人のひとりのはくの胸飾りがきらめいた。


「……あら! いつもながらきつねの奥様、胸の琥珀が素晴らしいはちみつ色の輝きですこと!」

「そうですか? たいしたものではありませんわよ……ヴァルト産の最高級、大粒で太古の妖精が閉じ込められた、ただそれだけの()()()()ですもの……!」

「いえいえ、たいそうご立派ですわよ……! 中の妖精の美しさに、持ち主の容姿がかすんでしまうくらいですわ……!」

「……あら? それを言ったら、かささぎの奥様のプレシャスオパールの耳飾りもなかなかのものですわよ? 本物のにじをいくらか取り込んだ特別な宝石だそうじゃありませんか……!」

「本当、虹のきらめきで持ち主の良さが全く見えなくなるくらいですわ……まるで『ブタになんとか』……あら失礼を! わたくし素直すぎるのが玉にきずで……!」

「あらあらまあまあ、ご自分を棚に上げてよくおっしゃるわ! おおかみの奥様、あなた様のパパラチア・サファイアも、天上のはすの花びらを封じ込めた見事なあやで、持ち主のけんのあるお顔がますますきつく思えましてよ……!」

「……え、ええと……あの……」


 聞くに堪えない遠回しな悪口雑言のなすり合いに、少女は困りきっておろおろ妻たちの顔を見回す。獣神の妻たちは内にこもった怒りにそれぞれの目を輝かせ、少女の顔にさんにんそろって顔を寄せる。


「――そうだわ、あなたは? あなたは何か、宝石をお持ちでいらっしゃる?」

「何でも良いのよ、石ころみたいなくずでも……風に聞くうわさによると、蛇神様はたいそうお優しい方だそうねえ……?」

「そうですわ、そんなにお優しいお方なら、こっぱみたいな使用人のあなたにも、くず宝石のひとつくらいはお与えになっていらっしゃるでしょう? ね、あなた、そうじゃない?」


 少女はひとつ大きく息を吸うと、覚悟したようにうなずいた。


「……ええ。わたしはすいを持っています……」

「――あら! そうなのね、やっぱり蛇神様はお優しい! なんでも素晴らしく美しい男の方の姿でいらっしゃるそうだけど、こんな使用人の少女にまで宝石を! で、あなたのお持ちなのは等級はいくらくらい?」

ろうかんですわ」


 さんにんは()()と思わず身を引いた。琅玕? 最高級のヒスイじゃないの! どういうこと? いくらお優しい主と言えど、よりによってこんな小娘なんかに最高級の宝石を?


 さざなみのようにざわつく妻たちに、少女はどこかしら凛とした様子で、平たい胸にそっと手を当てて言い続ける。


「わたしのヒスイは、それは気高く、お優しく……五月の新緑をありったけ集めてちゅうしゅつし、きらきら結晶したような、美しいうろこを持っておられます。人間のお屋敷で、人外奴隷だったわたしを大水を起こして屋敷を潰し、たすけ出してくださって……」


 ――ええ!? 以前のあの大水で救け出された人外奴隷……!? それじゃあもしや、わたくしたちの話していたのは……!!


 驚きに口を開けるさんにんの前、少女の体にうろこが浮く。それは透き通る虹色に光り輝いていた。


「……わたしを『あんまり美しいから、宝石などは見た目にかえって邪魔になる』と……そのままの姿の、わたしを愛でてくださるのです……!」


 言うなり少女の体全体がわあっと光を放ち、見る間にそれは美しい乙女へと姿を変えた。透ける虹のうろこは日を反射してまばゆいばかり、獣神の妻さんにんなど足元にも及ばぬくらい素晴らしい。


 言葉を失い、赤い口をぱくぱくするさんにんの前をざあっと大きく風が吹き、緑のうろこを肌に浮かせた麗人が()()()と姿を現した。とたんに虹のうろこの美女はたおやかな顔を輝かせ、抱きつかんばかりに彼にすり寄る。


「――ヒスイ! お迎えに来てくださいましたの?」

「ああ、こう……お前はだいぶ内気だから、『久しぶりのひとりの散歩』に出したものの、心配でなあ……案の定、()()()()()ご婦人たちに絡まれていたか……」


 優しい蛇神とおぼしき麗人に、遠回しな言い方で皮肉を言われ、獣神の妻たちはいたたまれずにじんわりとほおを赤くする。ヒスイと呼ばれた美青年は、宝石のようなうろこの浮いた手を伸ばし、虹の美人を姫様にするように抱きかかえる。


「――泉の底の城に帰ろう。我が妻よ」

 言うなり大風がふたりを巻いてびょうと吹き荒れ、一瞬でふたりの姿はかき消えた。


 ぽっかり残されたさんにんは、もはやろくろく話も出来ず、早々にその場を後にした。


* * *


 そうしてその後、『蛇神の泉』の底にそびえる白い城の中。絹の寝台に妻とたわむれ、ヒスイが甘く虹花の耳たぶに言いかける。


「すまなかった、ふたりで一緒に行けば良かった……結婚してからずっとこの城で一緒にいたから、とんと気がつかなんだ……『お前が我と共におらんと、人外奴隷の時の少女の姿に戻ってしまう』とは……」

「ええ……あなたと共に暮らして百年、身も心も成長したつもりでしたが……命の恩人のあなたがおそばにいてくださらないと、わたしの見た目は内気な少女奴隷に戻ってしまうのですね、自分でも知りませんでした……」

「しかしなあ……いくら何でも、このままずっとひとりで外出もかなわんというのは……そうだ、お前に良いものをやろう。宝石だ、すいだ、ろうかんだ。これを身につけてさえいれば、もうあんな奥方どもに絡まれることもあるまいて……」


 いいえ、わたしはこれ以上もう何もいりません……!

 そう言って拒もうとした虹花の前で、翡翠はかっと小さな石を赤い口から吐き出した。


 ――翡翠だ。水なしで吞み込めるほどに小さなだが、見つめれば吸い込まれそうなほど深い緑……どこからどう見ても琅玕だ。


 ヒスイはそのぎょくを虹花の手元へ優しく押しつけ、そっとその手に握らせた。


「これは、我の魂だ。お前に我のたましいをやろう……これを身につけてさえいればもう二度と、あんな『にせものの宝石』を身につけた、くだらぬ者どもに絡まれることはないだろう……」


 じっと手の中の魂を見つめていた虹花は、熱っぽい七色の瞳で夫を見つめて問いかける。


「……あなたは……これを、わたしに」

 ヒスイが深い緑の瞳に熱をたたえてうなずくと、虹花は七色にきらめく瞳を潤ませて、その宝石を……呑み込んだ。あっと思わず腰を浮かす夫に向かい、頭のすじをたがえたような甘い笑顔で言いかける。


「これで、あなたとわたしは真実『運命さだめを共にした者』……わたしが何かで殺されるはめになったなら、たとえどれだけ遠い場所にへだたろうとも、あなたも共に死ぬのです……」


 あっけにとられたヒスイの顔が、くしゃくしゃ美しく崩れてゆく。ヒスイはけたけた笑い出した。愉快そうに、愛おしそうに。涙のこぼれるほどに笑って、やがて蛇神はそれはそれは甘いしぐさで、妻の肩へと両手を回す。


「――なるほど、さすがは我が妻だ! 素晴らしい愛の表明だ、これ以上ない美しい手段だ!! そうだな、そうだ、何かあったら一緒に死のう……そうしてもし、我の身を滅ぼす馬鹿者が現れたら、我はお前の身の内で、魂ばかりで幽霊のように語り合って一生を過ごそうではないか……!!」


 そうしてふたりはきつくきつく、甘くあまく抱き合って、絹の寝台の上を絡まるように転げ合い、ねちっこく溶け合うようなキスを始めた。


* * *


「――どうかしてるわ」


 のぞき見していた魔法の水晶を布でくるんで、きつねの奥方は寒気がしながらつぶやいた。


 真実の愛とは、こういうもの? 信じられない、狂気を感じる。わたくしは、わたくしにはとても……!


 思わず握りしめる胸の飾りは、ちゃちな妖精のイミテーションの入った模造品にせものはく。あくびの声に振り返れば、そこには自分の夫の姿……、


「おおーい、メシはまだか~?」


 のたまう夫は肥えた中年男性の姿、べろべろの寝巻きからふんどしも毛の生えた腹もさらけだし、その腹をぽりぽりかいている。


 あーあーあー。肺から全て吐き出すいきおいのため息で、そのあと狐の奥様はわけもなく、ふっと小さく笑えてきた。


 ――そうね。にせものの宝石を競い合うようなわたくしたちには、こういう愛がお似合いなのかもしれませんわね……!


 含み笑いで眺めるお腹丸出しの夫のことが、なんでかちょっぴり可愛く思えた。


「待っていてくださいね、今日のひるは小鳥の丸焼き……」

「また小鳥かー、たまにはキジとか食いてぇなあー」

「……っ、あんたがろくろく狩りに行かないからでしょうがぁ! ちったあ動け、このタヌキツネ!!」


 ぎゃあぎゃあ騒いで、逃げる夫をめちゃくちゃに追い回す妻の胸もと、にせものの琥珀の妖精が笑うみたいにぴょんぴょん跳ねた。


(了)

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