「我が一族の守護獣(ライオン)になつかれなくば、娘との結婚は認めん!!」ってお父様は吠えるけど、秒でなつかれた彼はマタタビの精。
「お父様がありえないのです……!!」
――あら? どうしたことでしょう。ちょっと信じられません。自他ともに認める『人見知りでひっこみじあん』な私が、決死の覚悟で家出してきて……たまたま森の入り口で出逢った、初対面の殿方にいきなり人生相談です。
おかしいなあ、と思いながら見つめる目の前の殿方は、とても優しげでハンサムです。
カフェオレ色のなめらかな肌に、ところどころ浮いた木肌のようなたくましいあざ、淡い緑の短髪に緑柱石のような透ける瞳……この森に棲まう人外さんなのでしょうか。
殿方の透ける瞳の中に、私の姿が映っています。幼なじみのメイドに借りた身軽な衣装を着ていても、ふわふわの金髪ロングに気弱そうな青い瞳、どこからどう見ても『家出してきた弱っちいどこぞの貴族令嬢』です。
そんな私を瞳に映し、殿方は小首をかしげて話の続きをうながします。私はぶしつけにも、相手を凝視していた自分に気づき、はっとしてあわてて話を続けます。
「……とにかく、お父様は何につけてもワンマンなのです。自分の意見が通らないと激昂して、身につけた剣を振り回す……私の先祖は『戦功を挙げた剣士の出』だったらしいので、その血を強く受け継いだのでしょうか……」
殿方は黙って静かにうなずき、続きを待ってくださっています。私もひとつうなずいて、さらに言葉を重ねます。
「……小さいころからお父様はいつもそんな風だったので、もう慣れたと思い込んでいたのですけど……今年私も十七歳になり、その……お婿をとる年齢になったのですけど……」
「お父様が、そのお相手を選ぶことに?」
「……ええ。貴族にはごくありがちなことですけど、その選考基準がもう……! 信じられます? 我が家のお婿選びの基準は、『守護獣になつかれた者』なんですわ! しかもその我が家系につく守護獣は……ライオンなんです! 猛り狂うオスのライオン!!」
守護獣というのは、たいがいの貴族の家系に憑いているもの。『実体化した守護霊』のようなもの……この世界では常識です。殿方もうなずいてくださったので、私も話を続けます。
「なので、我が家系のお婿さんは皆様……猛り立つライオンもうんざりして適当にしっぽを振るような、押しの強ぉおおい方々ばかりで……」
「……あなたは、そういう殿方はお好きでない?」
「それは……そうですわ! 私、昔から部屋に閉じこもって一日じゅう本を読んでいるのが好きなくらいの性格ですから……、」
――出来ることなら、あなたのようなお優しい方と。
そんなことはそれこそ最上級のぶしつけで、そんなこととても私の口からは言えません。じっと殿方の目を見た後で、うつむいてしまう私の肩を……何ということでしょう、殿方はぎゅっと抱き寄せたのです!
「――な、何を……」
「黙って。ぼくの胸に顔をうずめて、すーっと深く息をして……」
私はパニックに陥りながらも、言われたとおりにいたしました。細身ながらたくましげな胸に顔をうずめて、二三度、深く深呼吸……、
なんだか、なつかしげな木の香り……不思議とイライラも薄れていき、私はそっと殿方の胸から顔を離します。さっきまでの不快な気持ちが嘘のように、私は何とも心地よい微笑を浮かべていました。
「……少しはリラックス出来ました? 実はね、ぼくはマタタビの精なんです。マタタビは猫科の動物をリラックスさせるので有名ですけど、人間にも多少は効果があるんですよ」
ああ、そういうことですか……何だかとてもおかしくなって、私はくすくす笑い出しました。殿方も笑ってくださって、そっと私の手を握り、手の甲に触れるだけのキスをひとつ、くださいました。
「……ちなみにあなたは、どういった本をお読みですか? 実はぼくもたいがいな『本の虫』でして……よろしければ、またお逢いして読書の話など……」
さわやかであたたかな笑みを浮かべて、人外の殿方はおっしゃいました。
「――ああ、申し遅れました。ぼくの名はシルヴァ。シルヴァ=ヴァインと申します。以後よろしくお見知りおきを」
「……私は、サフィラ……サフィラ=ジプサフィラと申します……」
ついつられて真名を名乗ってしまい、私のほおが熱を持ちます。この地域では、真名を教えるのはプロポーズのようなもの。あたふたする私のほおに手を触れ、シルヴァは「その反応……あなたも真名を名乗ってくれた……」とささやいて、くちびるにキスするでもなく、至近距離で紳士に微笑ってくださいました。
その瞬間、私の心の恋の防壁が『ぐわしゃあああんん』と音を立てて決壊しました。
* * *
あとはもう、恋の魔法にかかったように物事は進展していきました。数か月後、正装して私の屋敷に現れたシルヴァの姿にお父様は当然激昂。
「何だこのふにゃふにゃした気弱そうな若造は! サフィラお前、よりにもよってこんな男と! ――そうだ、守護獣!! 我が屋敷に棲まう守護獣のライオンになつかれなくば、我が娘との結婚は認めんぞ!!」
そうして別室から放たれたライオンは、牙を剥いてまっすぐシルヴァに向かっていき――!! 陥落。もう守護獣は牙を抜かれた獣さながら、ごろごろぐるぐるのどを鳴らして巨大な猫のようにシルヴァにすりすりしています。
あっけにとられたお父様が、それは呆然とつぶやきます。
「――な、なんだお前は……いったい何者……」
「あ、ぼくですか? マタタビの精です」
「剣士の血を引くものに、二言はありませんわよね? お父様!」
にっこり笑って言い放つ私のドレスのすそにすがりつき、お父様は男泣きに泣き出しました。その瞬間――あれほどに疎ましかったお父様が、私は何だかちょっと可愛く思えました。
* * *
それから私はめでたく『人外の嫁』になりました。どうやらシルヴァはここいら一帯の植物系人外を統べる王だったらしく、森の奥に霧をまつわって隠されていたお城の中で、私は『若き女王』として、お城の方々にも愛していただいています。
そうして人外の精を受けると、人間の私も人外として体に変化があるらしく……私は今や『永遠に若々しい容姿を持つ、長寿の生き物』となりました。可愛らしい子どもたちにも恵まれて、幸せに日々を過ごしています。
ちなみに私の七人の妹たちも、シルヴァの弟さんたちと次々に親交を深め、そのうちに親交どころではないほど濃密な仲になり、早々と将来を誓っています。
『剣士の血を引く者に二言はない』と公言していたお父様も、婚約に反対出来ようはずもなく……このごろはすっかりカドが取れてしまって、別人のように穏やかな性格におなりです。
かくして、お話はめでたしめでたし。
『力を持つものが正義』だなんて、もう古臭い価値観ですわよ、ね?
「おーい、なに何にもないとこを見てキメ顔してるんだい、サフィラ? そろそろ午後の三時だよ、みんなでティータイムといこう!」
お城に住まう猫たちに本体が見えないくらいにたかられてすりすりされながら、シルヴァがカフェオレ色の右手をふって誘います。私は芯からの笑みを浮かべ、はあい! と彼に駆け寄りました。
またたびのほのかな木のにおいが、鼻先に優しく香ります。世界一穏やかな、世界一愛しい香りをかぎながら、私は猫たちの柔らかな背中を撫でました。
……つやつやのビロードめいた手ざわりが、幸せの証のようでした。
(了)