19.桜の木と女性
人は覚えていないだけで毎晩夢を見ている。最近は運動会の練習による疲れで、夢の内容を覚えていることはなかった。
久しぶりに見た夢は、暗闇の中にそびえ立つ美しい桜の木が出てきた。光り輝くように見えるほど美しい桜の木に息を呑む。
今までの人生で見たことがないとユノは感じたあと、これが夢であることに気がついた。夢だと分かり、あまり深く考えないようにして桜の木に近づく。
桜の木に触れようと手を伸ばしたとき、女性に呼び止められて手を引いた。
「おはようございます、こんにちは。あるいはこんばんはかしら」
小紋の着物を着た女性が微笑んでいる。誰かに似ていると感じたが、誰であるのか分からない。
女性は桜の木を撫でる。
「これね、庭にあった桜の木なのよ。綺麗でしょう」
桜の木も女性にも覚えがなく、ユノは何も言えないまま立っていた。
相手の警戒心に気がついたのだろうか。女性は手を口元に当てて笑う。
「警戒することは良いことよ、それでいいわ。そんなあなたに助言をしましょう。もしもこれから......」
「ユノ!!」
女性の言葉と重なるように呼ばれる声は耳に入る。気を取られてしまい、ユノは顔をあげた。同時に現実でも顔をあげて周囲を見て、夢から覚めたことを確認する。
目の前にはアサヒの顔は映っている。放課後の教室ですっかり眠ってしまったところを、彼に起こされたらしい。普段はあまり覇気のない目をしているアサヒが、しっかりと目を開けて顔を見ていることにユノは少し驚いた。
「ご、ごめん。寝てたみたい」
「大丈夫?もう17時だから帰ろう」
「え!?」
眉を潜めて心配そうに話してくれるアサヒのセリフに、ユノは驚いて声をあげた。教室の掛け時計を見て、彼の話が事実であることを確認すると、さらに目を開く。
荷物を慌ててまとめて、2人は一緒に昇降口に向かう。
同じクラスの仲間ではあるが、この2人はあまり会話をすることがない。マヤとアサヒは時々会話をしてるところを見ている程度の関係性。
下駄箱の前には、綺麗な金髪を靡かせ仁王立ちでいるレナの姿があった。
「遅い!!」
「そう言うなら自分で迎えに行けよ」
ツッコミを入れるアサヒを無視して、レナはユノの横に立ち笑顔を見せる。自分のクラスの友人よりも、ユノを優先するほど仲良くなったことは3人とも想定外だったに違いない。
「先に帰ればよかったのに」
「新作のコンビニ限定フルーツティーを飲みに行こうと思って。ささ、行くわよ」
左腕をグイグイと引っ張られてたことで進むことしかできなかったユノは、空いている右手でアサヒに手を振った。手を振り返してくれると思っていたが、軽く会釈された程度だった。
なにか嫌われることをしただろうかと考えながら、目的のコンビニまでたどり着いた。
買い物かごの中に、プラスチップカップに入ったフルーツティーをレナが2個入れる。そっとユノは買い物かごにカフェオレを入れる。
かごに入れられたカフェオレを見て、何か言いたげな顔をレナが向ける。彼女はきっと同じフルーツティーを飲んでくれるものだと思っていたのだろう。
「私、紅茶、苦手」
苦手な物を強要しようと思わなかったようで、彼女は無言でフルーツティーを1つ棚に戻した。好き嫌いを確認しなかった側にも、言わなかった側にも非があるため双方とも何も言えなかった。
会計を済ませて、2人は買った飲み物を飲みながら帰路につく。
「それ、果肉いっぱい入ってる?」
「うん、美味しい」
他愛もない会話をしながら、歩みを進める。
途中で新しくできたラーメン屋が気になり、ユノは1人で立ち止まった。塩ラーメンの専門店らしく、今度はアサヒやマヤ、キヨマサを誘って行ってみようと考える。
視線をもとに戻しラーメン屋の話をしようとすると、そこには非日常的な光景があった。
口を押さえられ車に詰め込まれるレナの姿だった。
頭の整理が追いつかず声をあげることも動くこともできず、ただその場に立ち尽くす。何をすることが最善な選択肢かを導き出す余裕はなかった。
誘拐犯の仲間らしき男に腕を掴まれる。
「友人を殺されたくなけりゃ車に乗りな」
涙も出ないほど状況が追いつかない頭を左右に動かして周囲を見る。通行人の誰とも目が合わない。異様な光景に彼らには見えないのだろうか。
恐怖から彼女は車の後部座席に自ら座ることになった。