10.生け捕りの失敗
作戦前に渡されたイヤーカフ型の無線機を指でなでた。
科学班の試作品で装着している者の魔力を少量使用して動作する無線機。受信可能範囲にあるすべての同一の無線機に連絡がいくという欠点があるが、別の使い方が出来るように改良中だと言われた。
ビルの屋上まで階段で登り、ようやく辿り着いた。
屋上の扉にワイヤーがかかっている。開けたら何か仕掛けが動くのだろう。おそらく狙撃手の先客がいるとケイは思い、階段を降りることにした。
屋上から立ち去らせる方法はいくつかあるが、接近戦で彼が勝てる自信がない事と相手の顔をしっかりと確認したかった。
ビルの屋上を確認できる最適な建物はどこだろうかと考えながら、コウに連絡をとる。無線機が装着している人の意志でオンオフができる為、何もしなくても使えて便利だと感じた。
「コウ、狙撃は無理だ。先客がいる」
「同じ目的で来てる奴らならいいな、仕事が減る」
それなら確かに楽だが、うまい話は簡単には来ないだろう。建物を眺め、1つのビルを決めて登っていく。
管理会社に申し訳がないと思いながら、屋上の扉をこじ開けて目的地に足を踏み入れる。単眼望遠を取り出し、寝そべって先客の顔を確認しようと試みる。
相手は2人。1人は狙撃手で、残るもう1人が観測手だろう。狙撃手はすでに狙撃体制に入っており、観測手が遮る形で座っている為、服装や体格がわからない。観測手とは狙撃ポイントからターゲットまでの距離や風速、風向きを観測し、それらを伝える役割を持つ。だから近くにいることに違和感はなかった。
目を観測手に向けようとしたとき、相手の視線がこちらに向いた気がして伏せることに徹した。同時に本能がこれ以上の作戦行動を拒否している。
「コウ、聞こえる?」
「はいよ」
「無理、狙撃手の顔をみてやろうと思ったんだけど、観測手がなんか...マジギレヨル隊長を相手してるみたいでめっちゃ嫌だ」
ヨルが戦闘に直々に出てくる事はほとんどない。一度だけ、戦闘をしているところを見たことがあった。
かつて所属していた戦闘員の何名かが命令違反をしたことがある。一歩間違えれば一般人へ被害が出ていた可能性があり、ヨルが指摘すると「何もなかったからいいじゃないか」と笑って返してきた。これが隊長の逆鱗に触れてしまい、命令違反をした隊員達と隊長で殴り合いになった。
正直、殴り合いというより一方的に彼らが殴られる形になった。床に這いつくばった彼らへ舌打ちをし、無言でその場を去っていったことをケイは記憶している。コウもこの話は知っているはずだ。
しばらくの沈黙の後、返事が来る。
「顔、見れた?」
「見た瞬間バレると思う」
バレるということは死を意味している。特に接近戦が得意ではない彼にとって、絶対に逃げ切る自信のない相手との接触は避けたい。
伏せたまま、どうしようもないケイだったが、消防車のサイレン音が聞こえ、起き上がった。
対象のいるビルに消防車が止まっており、中から避難してきたであろう人たちが出てきている。
慌てて単眼双眼鏡を構えて屋上を見てみたが、誰もいなかった。騒ぎになっているのだから、その場から立ち去る事は当然だろう。
ケイが不思議がっていると後ろから声をかけられ、驚いて後ろを向いた。ヨルが無表情な顔を向けて立っている。
敵ではなかった事に安堵し、腰が抜けたケイは座り込んだ。
「た、隊長か......」
「ちょっとしたボヤ騒ぎを起こしてきた。ここから離れるぞ」
「来てたなら教えてくださいよ」
耳についたイヤーカフを見てより複雑な思いになりながら、ヨルとともに階段を下る。
無線機の内容を聞いていたが、代わりに狙撃手の顔を見に行こうとは思わなかったと隊長は話す。万が一に戦闘になってしまう場合に発生する一般市民の被害を考慮した結果だという。当初の目的とかけ離れた事はしないという方針らしい。
「コウ、生け捕りはなしだ。さっさと退散していいぞ」
ここから離れた場所で隊長命令を受け取ったコウは、白髪の男を床に叩きつけ首をすでに締め上げていた。電車内で白髪の男がやったように頭を潰すことも心臓を引きずり出す事も、至近距離にいる彼には容易に出来る。
生かすことより殺すことが得意な彼には非常にありがたい命令だったが、あえて命令無視をすることにした。
「なんで車内の人間を無差別に殺した?」
締め上げていた手を少しだけ緩める。
「意味なんてねぇよ」
望む回答が返ってこない。
「所属は?目的は?」
回答がない。
右手で首を締めたまま、空いた左手で男の右耳を引きちぎる。右耳をズボンのポケットに入れて、あがる悲鳴を抑えるために口を塞ぐ。
「もう一回」
塞いでいた手を退けようとしたとき、右側から視線を感じる。一般市民に見られた感覚ではないと思い、両手を男から離し、急いで後ろに下がった。
白髪の男がこれを期に上半身を起こした次の瞬間、男の頭部は右から左へと銃弾で貫かれた。
右を見ると金髪で黒がよく似合う女性が立っている。右手に握っている小型拳銃が目に入り、思考を張り巡らせる。
2発目はあり得るのか。魔力で威力を補強しているなら威力は充分にあるだろう。魔術で弾丸を作れるなら2発目以降もあり得るだろう。
これが小型拳銃ではなければ、2発目以降と威力も殺傷能力もあると考えてすぐに行動するだろう。
あえて小型拳銃を持ち出してくるあたり、女性は読み合いに長けているかもしれない。
いつでも走り出せるように警戒を怠らないまま、女性を眺めつつ無線機をオンにしておいた。
「この度は誠に申し訳ありませんでした」
微笑みお辞儀をする女性。それでも警戒をしたまま、無言で見つめる。
「私、“蒼月”所属のアンルシアと申します。“蒼月”で取り押さえていた凶悪犯が脱走し、このような事態を招いてしまった事。さらにはその処理までしていただき、感謝申し上げます」
嘘偽りなどありませんと言うように満面の笑みを女性はする。コウはより一層警戒する。
「...そちらの遺体は私達が責任を持って処分いたします。また、後日お礼をさせていただきたく思います」
全く信用できない女性を殺してやりたいと感じたが、ぐっと堪える。
「...コウ、そのまま戻ってこい」
無線機からやって来た隊長からの命令に、内心舌打ちをしつつ女性に背を向けないまま、ゆっくり後ろに下がりその場を後にした。