髪色
「ねえ、その髪色って地なの?染めてるの?」
「え?地毛ですけど…」
学園の渡り廊下を歩いていると、すれ違いざまに見知らぬ男子生徒に話しかけられた。物珍しそうにヴェネットの髪を見ている。
「へえ、変わった色だね。小さい頃からそうだったの?」
ネクタイの色から1年生だとわかり納得した。去年までヴェネットは婚約者に冷たい女として学園でそこそこ有名だった。そのため自らヴェネットに関わろうとする生徒などほとんどいなかった。
「おい、この人3年生だぞ。タメ口やめとけ」
声をかけてきた男子生徒と一緒にいた友人が、ヴェネットのネクタイの色に気がついたようだ。
「え、上級生だったの?それは、すみません。可愛いから同級生かと思った」
「はぁ。……それでは、私は急ぐので」
ヴェネットはどちらかというと童顔で確かに年下に見られやすい。これ以上、話すのも気が重くヴェネットはその場を立ち去ろうとした。
「ちょっと待ってよ、お姉さん。もう少し髪見せてよ。ねー俺らと友だちになんない?」
男子生徒がヴェネットの前に立ち、行く手を塞いだ。
(軽い。軽い系の人だ…)
ヴェネットはたじろぐ。今まで接点のない人種だった。そもそも婚約者に冷たいヴェネットに話しかける生徒もいなかったし。たまにこの赤毛に一束桃色が混じる髪色が珍しくて話しかけられることがあっても隣にはテオドールがいてくれた。ヴェネットがうまく対応できないときはいつもフォローしてくれた。
そんな優しいテオドールが今は隣にいない。
「ねえ、お姉さん。話聞いてる?」
「えっと…」
固まるヴェネットをからかうように男子生徒は彼女の顔の前で手をヒラヒラさせる。
「彼女に何か用?」
来たのはオーランドだった。背の高く無表情なオーランドは、そこにいるだけで迫力がある。
「あ、なんでもないです」
「失礼します」
男子生徒たちはオーランドの顔を見るなり、足早に退散していった。
「大丈夫だった?」
「あ、ええ。ありがとうございます」
オーランドの顔を見て、ホッとしたヴェネットは礼を言った。
◆
2階の教室の窓からヴェネットが、男子生徒に話しかけられているのが見えた。少し困っているようだ。反射的に助けに行こうと身体が動き出したが、テオドールはそんな自分に戸惑った。
(彼女はもう婚約者でもなんでもない。僕が助けに行く必要はないだろう…)
それでも気にはなって窓から様子を窺っていると、そのうちオーランドがやって来て彼女を助けていた。
「おっ、ヴェネット嬢とオーランドじゃん。最近よく一緒にいるな」
隣にやって来たスコットが同じく窓から階下をのぞいて言った。
「…二人ともマイサー族に関心があって話が合うらしい」
「へ?…マイサー族って、なに?」
◆◆
テオドールがヴェネットと初めて会ったのは10歳のとき婚約者としての顔合わせの場だった。
ガチガチに緊張していた彼女を和ませたくて、本当に綺麗だと思った彼女の髪色を褒めてみた。
テオドールの言葉で嬉しそうに恥ずかしそうに笑った彼女の笑顔は花が咲いたように可愛かった。
2人はすぐに打ち解けて、仲良くなった。
素直で、笑顔の可愛いヴェネットをテオドールもすぐに好きになった。
婚約者同士このまま良好な関係が続いていくと信じて疑わなかった。
それなのに12のとき大事故から奇跡的に生還したヴェネットは人が変わったようになってしまった。それもテオドールに対してだけ。
『ヴェネット、どうしてそんなに冷たくなったの?何か僕に悪いところがあるなら直すから教えてくれない?』
『特にないわ』
『じゃあ、どうしたら前の、仲が良かった頃に戻れる?』
『…無理よ』
その後もテオドールはなんとかヴェネットとの関係を良くしたいと努力した。
彼女の好きそうな贈り物を用意したり、興味のありそうな場所に誘ってみたり。
5年間、そうやって努力したがヴェネットの態度は冷たいままだった。
ヴェネットに対する好きな気持ちが、彼女に冷たくされる度に擦りきれていくようで、次第にテオドールも彼女に会うのが辛くなっていく。
きっと婚約解消したほうがお互いのためなんだ。テオドールそう決心した。
だから、婚約解消して以来、学園で初めて顔を合わせた日のヴェネットの変わり様にテオドールは大変混乱した。
もう縁を切るつもりで婚約解消を告げたのに。あんなに自分に冷たかった彼女が、にこやかに挨拶をしてきたのだ。
彼女がいったい何を考えているのか全くわからない。
この5年、彼女の態度でどんなに自分が傷つき悩んできたか。相当の決心をもって婚約解消を告げたテオドールに対してあまりにも軽すぎるのではないか。彼女に対して怒りすらわいた。
きっと何か思惑があるのだろう。
もしかして手放した婚約者という地位が惜しくなって、取り戻そうとしているのかもしれない。テオドールは由緒ある伯爵家の子息でもある。ヴェネットと婚約解消してから縁談の話がたくさん来ていた。
『―――――いろいろあったけど私はあなたと友人のようになりたいと思っているの 』
今さら仲良くするつもりは毛頭ない。
できるのなら話したくも、顔を合わせたくもないくらいテオドールはヴェネットに対して苦手意識を持つようになっていた。
とにかく今さら復縁するつもりも親しくするつもりもないと彼女に理解してもらうためにも、態度で示すしかない。
そのうちヴェネットだって諦めるはずだ。
彼女はテオドールのことを好きなわけでもないのだから。