003_残されたスクロール
スクロールの文字は英語で書かれていた。熟練した筆跡で、文字一つ一つが流れるように刻み込まれている。
これがゼレネイアの筆跡なのだとしたら、彼は前世はきっと英語圏に住んでいた人間だったのだろう。ソーラはそう考えた。
そして『英語』という言語だが、どうやらこの世界には存在しない言語らしい。だからこの世界で英語を話せる者はおらず、ましてスクロールの内容を理解できた者はいないのである。
ちなみに、ソーラは前世ではあまり英語が得意ではなかった。そしてキルルに関してはお察しの通り読むことも話すこともできない。
ではなぜ、今こうしてスクロールを精読することが出来ているのか……?
それは《トランスレート/翻訳》という即時翻訳のスキルを死神は体得しているからだ。このスキルは一般の死術とは違って、死神に自然と備わっている。目の前にある知らない言葉の羅列を、即座に自分の理解できる言葉に翻訳して脳に伝える事ができるのだ。
これは文字だけに限らず、“会話においても”である。今ソーラと共にいる村長も、実際は『魔族語』という別の言語を話している。しかし、話し始めると即座に自分の理解できる言葉に変換され、脳にそれが伝わるのだ。
ソーラとキルルはそのスキルを駆使し、英語で書かれたスクロールをまじまじと見る。村長やジュジャナもその内容に興味があるらしく、机の上に身を乗り出している。
──なるほどなるほど。
それほど長い文でもないため、すぐに読み終えることができた。
まず、このスクロールの目的として書かれていたのは、『もしかしたらいるかもしれない同胞への情報の伝達』ということだった。思念伝達を用いても良いとは思うが、なにせここは異世界である。思念伝達が正しく行われているかは分からない。だからこそスクロールとして形に残したのであろう。
そして、書かれていた内容を要約すると、大きく分けて三つだ。
第一に『この世界の精神世界が非常に汚れている』ということだ。
人間による亜人種の虐殺、農民たちの飢餓、国の政治への不満。これらが積み重なって、情が負のイメージを持ち、精神世界が汚れてしまったようである。特に人間の住む場所付近の汚れは酷いらしい。
そして、死神が全くいないことから、浄化をすることもできず、汚れは溜まっていくばかりだそうだ。
第二に『異常空間や異常変異体の発生が多発している』ということである。
元の世界では精神世界の汚れがそこまで酷くはなく、これらの発生は比較的抑えられていたが、この異世界ではそうもいかないようだ。精神世界は汚れに汚れ、異常空間、異常変異体が至るところに発生している。
第三に『死術を使用して高知能生物を殺してしまうと負の情を生み出してしまう』ということである。
元の世界では、死神は精神世界側に存在していたため、生きた物を殺すような事はなかった。が、しかし、なぜか異世界では“現世の物体の一部”として存在している。よって死術を人間に使用することができるのだ。
とはいえ、死術は人間よりも断然強力な異常変異体を封じ込めるためにあるもの。これを人間などに使用して殺してしまうと、必ず負の情を精神世界へ持ってきてしまうのだそうだ。
ソーラは大まかな内容を理解すると、すぐさまそのスクロールを丸め、村長に手渡した。
「どうでしたかな? 解読できましたかな?」
村長が期待の眼差しでソーラを見つめる。だが、ソーラはそれには応えなかった。
「いいえ、私にも分かりません」
「そうじゃったか……」
「うえぇ!? 私わかっt……」
ソーラは慌てて背後にいたキルルの口を塞いだ。そしてキルルの耳元で静かに囁く。
「ここは“分からない”という事にしてくれ」
「なんでよぉ」
「まぁいいから。頼む」
キルルは小さく頷き承諾した。
というのもここで解読した事にしてしまうと、それはそれで不都合な事になる可能性があると考えたからだ。
ゼレネイアのスクロールを理解したという旨を広められてしまったら、きっと面倒くさい厄介事に巻き込まれてしまうだろう。例えば会社であれぱ、とあるテーマがあったとして誰が草案を纏めるか。それは、その分野の知識に長けていると認められた者である。これは自発的にではない。知識があると知られて任されたという形だろう。草案作成の任を喜ぶ人間もいるだろうが、ブラックな労働環境に身を置いたソーラにとっては、それは苦痛であった。残業してまで纏めさせられるに違いない。
まだ異世界について殆ど理解していない状況で、自分たちの名を一般に晒すのはあまりにも危険すぎる。
しかし、精神世界の状況について知ることができたのは、ソーラにとって非常に大きかった。やるべきことは多くなるだろうが、死神としての仕事ならば大歓迎だ。
色々と思慮を巡らしているうちに、窓からは夕焼けの赤い光が差し込んでいた。先程まで和やかだった空間は、会話の無い会議室へと変貌していた。向かいの席で目をぎゅっと瞑ったまま動かない村長。その横で白湯がなくなるとすぐに注いでくれる機械のようなジュジャナ。痺れを切らして歩き回るキルル。そして、それを見る自分。
日常っぽくも日常っぽくもない時間がそこには流れていた。
──すると、やっとのことで村長が重い口を開いた。
「ソーラ殿、キルル殿。良ければそのスクロールを持って行ってはくれないじゃろうか」
「え!? いいのですか?」
ソーラは目を丸くする。大事そうに保管してあったスクロールだ。こんなに呆気なく渡してしまって良いのだろうか。
「どういうわけか、このスクロールは今も人間どもに狙われておりますのじゃ。ワシらの保管庫もいつ見つかってしまうか分からん。どうか持って行ってくだされ」
「そうですか。それならば遠慮なく」
村長は微笑みながら持っていたスクロールを手渡した。そこには村長による強い信頼があるようだった。
「解読できたら教えてくだされよ」
「……えぇ」
村長がより一層微笑む。しかし、これには背徳感を感じてしまった。ソーラは俯いて、どことも分からない皮肉な笑みを溢す。人間として相向かっているならば今教えてやっても良かった。だが、ソーラは死神。信頼より大事な物がある。
「さて、そなたらは人間どものいる場所へ行くのじゃろう。この森から出るようなことはないもんで、あまら多くは知らんのじゃが、良かったら少しばかり教えましょう」
「おぉ、それは助かります村長殿」
「そして、代わりになんじゃが……その……」
「なんでしょうか」
村長が口籠る。難しい顔をしているようだ。ジュジャナも村長の横で不安げな顔を浮かべている。
「その……しばらく村に残ってはくれないじゃろうか……」
「なぜです……?」
村長がより一層難しい顔になる。何か重大な理由があるようだった。すると、村長の代わりにジュジャナが口を開く。
「実はこの村には恐ろしい化け物が現れるんです……」
「マジで!? 面白そーう!」
キルルが目を輝かせて嬉しそうに叫ぶ。
最近あまり異常変異体の討伐をしていなかったためか非常に喜んでいるようだ。きっと殺人鬼としての本能があるのだろう。
それに構わずジュジャナは続ける。
「しばらくは見かけなかったんですが、村のゴブリンたちによると、最近になって再び現れるようになったらしくて……」
「なるほど。どんな姿をしていました?」
「えっと……体が真っ黒で、とにかくデカくて強いそうです。実は私の父と母はその化け物に殺されました……」
「それはお気の毒に……」
「だから……どうか、倒してほしいんです……! あの化け物を!」
ジュジャナは昔の事を思い出したのか泣き崩れてしまった。それに対してキルルはふわふわとした顔をしている。脳内で甚振り弄ぶシュミレーションでもしているのだろう。
しかし、この世界でいう“化け物”というのはどれほどなのだろうか。圧倒的な力を持つ死神が勝てないほどの強者なのだろうか。いずれにせよ、力を試さないといけない時は必ず来る。
──ここで腕試しをするのも悪くないな。
「いいでしょう。引き受けました」
「──!」
ソーラは、背中に背負っていた大鎌を手に取り、地面に強く叩きつける。キルルは久々の“狩り”という事で、かなりウキウキしているようだ。
「本当にそなたらは救世主じゃ……! 本当にありがたい」
「いえいえ。このスクロールを貰って、この世界の情報まで教えていただけるんですから、これぐらい普通のことですよ」
村長はその言葉に感銘を受けたのか、再び涙を流している。とはいえ、実際の目的は力を試す事だが……。
──それにしても年甲斐もなく涙脆い爺さんだ。
「よし、今日はワシの家に泊まってくだされ。二階の部屋が空いておりますじゃ。自由にお使いください」
「ありがとうございます」
ソーラは丁寧に頭を下げる。
「そして今夜、世界の情報を出来る限り教えましょう。それまでどうか寛いでいてくだされ」
そう言うと村長は家を出て保管庫へ向かっていった。
窓から外を見ると、あたりは月の光が優しく地面を照らしている。上を見上げるとそこには満月と満天の星。こんな綺麗な夜空を見られるのはいつぶりだろう。
ソーラはしばらくこの夜空を眺めていた。
読んでいただきありがとうございます! 最近ちょっとキルルちゃんの容姿が話し言葉に合ってるのかなーっと考えてしまいます。のちに変更あるかもしれないです……笑。
ついでにですが、評価を入れていただけると自身かなりやる気が上がります! どうぞよろしくお願いします!